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April 30, 2015

内臓の疲れは、肥満のもと、

今月の健康レポートは、万病のもとになる肥満について調べてみた。ちょっと気をつける食生活で人生は激変すると思う。身体は食べたものの成績表。反省も込めて。

― 「太らない食べ方」、枻(えい)出版社、から抜粋―
内臓の疲れは、肥満のもと、

1、肝臓、
* アルコールを控え目に、肝臓に好い食材を、

ゴマ、シジミ、ウコン、サバ、サワラ、高野豆腐、オリーブ油、にんにく、糠漬け、カツオ、パプリカ、タコ、イカ、貝類、大豆、納豆、豆腐、枝豆、など。

2、腎臓、
* 高血糖、塩分過多、尿酸値上げる食品に要注意、

尿酸値を上げないアルカリ食品: ひじき、ワカメ、大豆、昆布、ごぼう、薩摩芋、干し椎茸、人参、ほうれん草、バナナ、里芋、キャベツ、メロン、大根、カブ、ナス、ジャガイモ、など。

3、腸、
* 朝食を抜くと腸の働き鈍る、朝食で腸のスイッチが入る、

腸の働きをよくする食べ物: オリゴ糖(ヨーグルト、糠漬け)、 オレイン酸(オリーブ油)、乳酸菌(ヨーグルト、キムチ、糠漬け)、 食物繊維(野菜・果物・海藻、キノコ)、
マグネシウム(豆、魚、ゴマ、野菜、しいたけ、芋)

4、膵臓、
*味の濃いもの、刺激物、アルコール、高GI食品などは、控え目に、

高血糖を防ぐ食品: ゴーヤ、オクラ、メカブ、ワカメ、昆布、山芋、レタス、ごぼう、セロリ、キノコ、豆腐、など。

* 高GI 値(グリセミック指数)食品とは; 血糖値の上昇が早い食品:

上白糖、フランスパン、チョコレート、食パン、ジャガイモ、キャラメル、精白米、ジャム、ケーキ、うどん、せんべい、人参、山芋、トウモロコシ、パスタ、パイナップル、かぼちゃ、など。

*低GI値食品: サツマイモ、玄米、ワカメ、そば、ピーマン、キノコ、こんにゃくなど。以上

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April 29, 2015

お金の哲学、北川邦弘氏の講演、

昨日は、会社帰りに、ビジネス交流会でFinancial Doctor の北川邦弘氏の講演を聴いた。

「何故、貯金好きは、お金持ちになれないのか」と云う本の著者で、100億円の借金返済から学んだ哲学の話しであった。

お金のことを二元的に語りながらも、一元的な価値観が随所に感じられ、大変感銘を受けた。

自分の価値の反映である将来のキャッシュフローを考えて生きることは、どんなところにいてもやり直せることである。自分のコンディションを保つことが大事。

子供へのお金の使い方ばかりでなく、お金の貰い方の教育も大事。お金は感謝を伝えるメディアでもある。子供は、感謝を貰ったことの意味を感じることも大事。

資産を作る技術的な話は巷の儲け話とは全く違う、寧ろ地味な分散投資であった。

どこからでもやり直せる生き方に、改めて、感動した。


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April 28, 2015

全ては、神からのメッセージ、

毎日の出来事を、全て、神からのメッセージとしてとらえる生き方は好い。

神は、私に何かを学ばせようとされていると想えば、全てが受け入れられる。

無常と無我に守られて、エゴが、小さく見えて、エゴが可愛くも見える。

エゴからは逃れられないが、エゴを子供扱いすることはできる。

全ては、どちらでも好いこと、大きな愛(真理)に守られての中での出来事。

それでも神は、いつも、エゴを消した世界の安らぎを示してらっしゃる。

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April 27, 2015

インド、中国の大道芸、

昨日は、横浜・野毛の大道芸祭りに、インドの大道芸も中国大道芸もあり、世界旅行のつもりで見た。

マルコポーロの東方見聞録にも出てくると云うインディアンバスケットのマジック、インドの街、風景を感じながら見た。

中国雑技団の大道芸は、圧巻大感動の技だった。高く積み上げた椅子の上でのアクロバットは、13才のアンジン君と云う男の子が観衆を驚かせた。私は、余りの危険な技に、その男の子が、どんなに厳しい練習に耐えて来たのか思うと涙した。自分の娘が13才の頃を想うと涙した。

でも、高く積み上げた椅子の下でお父さんのような眼差しで見上げる団員がいた。

私は、13才の男の子になったつもりで頑張る気持ちもわかった。人生の過酷さも、愛おしさも味わった大道芸だった。

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April 26, 2015

執着してもよい、名前と形なき世界、

執着してもよい。完全円満無限絶対なものになら執着してもよい。

変化しているものには実体は無い。

名前と形あるものは、常に変化している。

現実世界は、法(真理)を表しているが、印象気分で見ている現実世界に、法は無い。名前と形に法は無い。

印象気分が消えた、一体感の世界が無常、無我。悟りも迷いも無い世界、死も無い世界。

個を超えた世界、あるべくようにある。外の世界を一体と観るのが禅。

昨日の住職の、般若心経にまつわる法話であった。生きてもいない、死んでもいない、そんな世界の気配を感じる。

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April 25, 2015

一元と二元の揺れ、絶対大丈夫の世界の発見、

真理を学ぶことは、絶対大丈夫の世界の発見。

二元世界は、喜びと苦しみに翻弄される。そして人は、苦からの解放を目指す。

そして無常の寂しさが、それは二元世界しか見えてない人の世界であることに気づく。

無常の中に、永遠(無我)を観る力が一元。

泣き叫ぶ二元、絶対大丈夫の一元。

苦しい時は、静かに、胸の前に指一本立てて、一元の世界に入る。

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April 24, 2015

"いい人生だったと言える10の習慣"と云う本を読んで、

緩和医療医師・大津秀一さんの著書"いい人生だったと言える10の習慣"(青春出版)と云う本に出会った。

数々の死を看取って来た医師の本とあって、参考にしたいことをメモした。

「元々苦しいものを、楽しいものに変えて行く過程こそが人生なんだ」、俳優の入川保則さん(水戸黄門役)の言葉だと云う。

日々の仕事をこなしているだけの人生じゃなく、どうしたら満足できる人生かを考えて生きないと、人生が何だったかと、振り返ることになる。

世間的には不幸に見えても、幸せと云う人がいる。 世間的には幸福に見えても、不幸と云う人もいる。(幸・不幸は、自分の判定する心次第)

"ありがとう"は、完結と継承の言葉。 "ありがとう"には、さようならの意味もある。 遺された人へのエール。 送る人も、"ありがとう"で、エールを受け取る。

そんなことをメモしていた。

"ありがとう"を、日頃から素直に云える様に、生きて行きたいと想う。


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April 23, 2015

朝、大手町のカフェ、

月曜日から各社に案内して面談して来たアラブからのゲスト達が、今日離日する。ちょっと名残惜しい。

毎朝、有楽町のペニンシュラホテルに直接出勤して彼らと合流した。

朝の大手町のカフェ、皇居の緑、清々しい空気、今も、ビジネス最前線に関われることにも感謝した。

若いアラブ人達に、私の得意なジョークで笑わせて、各社では、業界の知り合い達の成長振りを眺めた。

朝の大手町のカフェ、感慨に耽りながら、また、たまには、朝、フラリとひとりででも来てみたくなった。

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April 22, 2015

メロディー道路出現らしい、芦ノ湖スカイライン、

車で走るとタイアと路面の摩擦音で音楽が聞こえる道路が、昨日、箱根・芦ノ湖スカイラインで開通したと云う。

メロディーが聞こえる区間は、箱根峠料金所付近の下り坂320mで、道路にワザと凸凹を設け、時速40kで走行するとメロディーが聞こえてくるらしい。

富士の絶景と、どこからともなく聞こえてくるメロディー。何と云う、メルヘンだろう。

例えば、ちっちゃい子供達などに何も知らせずに、この道路を走ったら、その驚きを見てみたい。じいちゃん、ばあちゃんの反応も。

野生の動物達の驚きは?

考えるだけで、楽しくなる。人生を手品のように、人を驚かせて生きると考えると、新鮮なエネルギーが湧いてくる。


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April 21, 2015

家族と云う病、凄い本、

最近、元NHKアナウンサーで作家の下重暁子さんが、「家族と云う病」と云う本を出された。

新聞の広告だけでも、強烈な言葉が散りばめられていた。

家族のことしか話題が無い人は、つまらない。

家族の話は、所詮自慢か愚痴。

家族は、何故排他的になるのか。

家族写真入りの年賀状は、幸せの押し売り。

孤独死は、不幸ではない。

など、神聖化されて来た家族を斬る内容に、とても惹かれた。

私は、家族は、愛を学ぶ入り口であるが、そこに留まることは、エゴの塊となり、醜く苦しみから逃れられないと想う。

波(個)は、家族から大海の入り口まで連れて行ってもらえるが、そこに留まっていては、ただエゴ(業)が拡大しただけ。

大海(真理・仏性)は、家族など遥かに超えた、万物との一体感。


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April 20, 2015

伊勢佐木町にチャップリン

昨日は、横浜・大道芸の日だった。来週は伝統の野毛大道芸、横浜で大道芸の連続開催にそわそわ気分。

昨日は、元町、伊勢佐木町の大道芸を見て回った。元町ではコメディジャグリングの若い男女の芸に、その一生懸命さに感動した。

伊勢佐木町では、コメディマイムの山本光洋さんの芸に、優しいチャプリンのような安らぎを感じた。隣りで見る幼児達の生き生きした、驚きの表情も愛おしかった。

チャップリンの映画を想い出しながら、チャップリンは世界で一番優しい人のように想えた。

横浜・伊勢佐木町で見たチャップリン。


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April 19, 2015

怒りから、エゴの崩壊へ、

怒りに対しては、怒りでは解決出来ない。怒りは、自己の内面に優しく包み込んで行くことで、愚かさに気づかせてくれる。そして、エゴ性の放棄が始まる。

住職は、ベトナム戦争を経て来たベトナム人の僧侶ティクナットハーンの世界を解説してくれた。

圧倒的な無常観は、エゴ、自分の欲など出す余裕を与えない。

あるべくようにある世界、今ここの世界、無我の安らいでいる世界がある。

それは、個人の印象気分を超越した世界で、時空を超えている世界だと云う。

法灯明が、ティクナットハーンの言葉で、住職の言葉で、道を照らしている。

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April 18, 2015

坂上忍さんのファミリーヒストリー、三池高校

昨日は、TVでタレント坂上忍さんのファミリーヒストリーを見た。坂上忍さんの父親が、私と同じ大牟田の三池高校の出身の先輩であることから、TVで見る昔の大牟田市の映像を大変興味深く眺めた。

父・勝也さんは、太宰治に憧れ三池高校時代に心中未遂事件を起こし退学、その後の人生も作家の夢に翻弄され、事業失敗、忍さんがまだ15才くらいの時、多額の借金を家族に残し離婚、72才の生涯を終えたと云う。

魚釣りに一緒に行った親子の想い出。1億円もの借金を返して来た坂上忍さんと母親の母子家庭の過酷さ。父・勝也さんは、家族にお詫びも感謝の言葉も言わず、ニヒルな言葉を云い続けて亡くなったと云う。忍さんには、今も乗り越えられない父親との確執がある。

それでも私は、親子がたまらなく愛おしいと想う。それが人間を磨くカルマだと想う。

15年以上前か、大牟田市・築町にあった有名な書店・金善堂で開かれた父・勝也さんの小説の出版記念サイン会に、親子で出席したのが、最後の別れだったと云う。

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April 17, 2015

丸顔の馬、

最近、会社の人から聴いた傑作のユーモアが強烈に印象に残る。

長州の高杉晋作は、長めの顔だったと云うが。馬上の高杉晋作を評して、

「乗った人より、馬が丸顔、」と云ったそうだ。

西の人は、大袈裟で、ユーモアに溢れている。想い出す度に笑ってしまう。

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April 16, 2015

七色仮面の絵、カニの絵、

私が幼児の頃、家の戸棚の壁に、七色仮面の絵を描いていたことを想い出す。

パイナップルのような頭のヒーローの壁画。

幼稚園では、いつもカニの絵を描いていた。母の故郷の長崎の海で、見たカニだろう。

そんな、絵が、将来、発掘されたら、面白い。

ネアンデルタール人の文化や、アルタミラの洞窟の壁画のように、将来、意味を持つかも知れない。

私だけにしかわからない、心の中の世界遺産に微笑む。

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April 15, 2015

魚のひらまさ、

「ひらまさ」と云う名前の魚がいる。それは、同じヒッポクラブ(語学クラブ)にいる小学生の男の子のヒッポネームで、魚釣り好きで、彼が自分てネーミングしたニックネームでもある。

昨日ニュースで、東日本震災で被災した漁船が4年を経て米国西海岸に漂着し、その船のいけすの中に、ひらまさが何匹も生き延びていたと伝えていた。会社で英字新聞に、その記事があり、ひらまさは、英語で、yellow tail amberjacks と云うことを知った。名前からぶりの一種だとも知った。

昨日、ヒッポクラブの日だったから、私は、喜び勇んで、小学生の友だち、ひらまさ君に、その英字新聞のコピーをして持って行った。

彼は、昨日は残念ながら休みだったが、記事を他の人にことづけた。それでも、そんな、ひらまさのエピソードが私を和ませる。

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April 14, 2015

千の風と、ハチドリの光景、

そう云えば、それは、ハチドリの光景だったことに気づいた。

先週、日曜日に、会社の人のお父様の告別式に出たときのこと。

郵便局長を辞められてから、73才での事故死であったが、川崎に「海風の森を作る会」のリーダーで、6000本の木を植えられたと云う。告別式会場には、地元の人達や小学生からも、ありがとうのメッセージがあった。

また、犯罪を犯した青少年の更正を世話する保護司の奉仕もされていたと云う。

川崎にも少しでも自然を取り戻すことや、人の道に迷った青少年を更正させることに活動もされていたことを知った。

それは、森林火災を消そうと、一滴の水を運ぶハチドリの光景を見た想いがした。

千の風に乗って、一滴の水を運ぶハチドリが飛ぶ。仲間のハチドリが集まって行く。


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April 13, 2015

吃音だった著名人リスト

先日、吃音研究のシンポジウムで見た資料に、吃音だった歴史上の著名人のリストがあり驚いた。

源頼朝・徳川家光・徳川家重・柴田勝家・ジョージ6世・大江健三郎・サマセットモーム・ニュートン・アリストテレス・ダーウィン・アインシュタイン・マリリンモンローなど、意外な人物の数々に仰天した。またベルギーの王室は、歴代吃音とも。

講演した近藤雄生氏は、東大工学部卒で、吃音に悩み、就職せずに、2003年から世界を旅しノンフィクシュンライターになった人、夫婦での5年間の旅は、「遊牧夫婦」として本になっていた。

吃音と云うハンデを通して、それぞれに見えてくる世界が展開している。ハンデも、時に素晴らしい感性に目ざまさせてくれるものだと想う。

人生のそれぞれの世界が、私は、ただ、愛おしいと想う。


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April 12, 2015

103才になってわかったこと、

昨日の新聞に、「103才になってわかったこと」と云う本の広告が出ていた。

「身体の半分はもうあの世にいて、過去も未来も俯瞰するようになる」

「この寂しさを観音様は微笑む」と、書いてあった。

美術家・篠田桃紅さんは、人生は、一人でも面白いと云う。

新聞の広告の短い文章の中でも、万感の想い、人格は伝わる。

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April 11, 2015

5月場所・相撲予約大成功、アラブからの友人夫婦、

数日前、 5月10日から約2週間、私のアラブの友人の、そのまた友人夫妻が来日するので、何か観光アイデアを推薦してくれないかとのメールが来た。

私は、早速、昼休み、会社の近くの旅行代理店で、はとバスのパンフレットに、大相撲5月・東京場所(5月10日~24日)の見学ツアーがあり、これはいいと閃いて、早速予約を試みたら、運よくまだ16日に4席だけ空いていて、即座に2名分を予約した。

その後、アラブにメールで、2名分即座に予約を入れておいたので、どうするか判断を求めたら、大喜びで感謝された。

私も、その相撲見学に一緒にどうかと招待されたが、その時は、すでに完売だったが、アラブの若い夫婦の日本への旅に貢献できたことが、とても嬉しかった。

日光江戸村なんか、忍者ショーもあり、面白いとか、やっぱり、安芸の宮島なども、好いのではないかとか、富士山を一望できる山中湖畔・箱根湖畔の宿など、また日暮里の下町なども、色々推薦してみようと思うと楽しくなる。

いつの間にか、観光ガイドの私に喜び。♪そうだ、京都へ行こう♪のメロディーを感じながら、日本の紹介をあれこれ考える。

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April 10, 2015

日常の奇跡、

先日、天城山の坐禅道場の書棚にあった一冊の本の記述が、今も心に残る。

枯れ木に花咲きたりと云うとも、先ず、生木に花咲く故を尋ぬべし。(枯れ木に花咲くを驚くより、生木に花咲くを驚け)、と江戸時代の医者・三浦梅園は言ったと云う。

アインシュタイン曰わく、人生には、二つの生き方がある、一つは、奇跡など無いと云う生き方と、もう一つは、まるで全てが奇跡であるかのような生き方である。

当たり前に想っていたことも、不思議な人生に感謝の気持ちが湧いて来る。

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April 09, 2015

木の枝に雨の雫の花、

先日の天城山での坐禅の時、窓の外に見える木の枝に、雨の雫の花が、まるで小さな真珠を散りばめたように咲いていた。

時折、ポツリポツリと、自らの重さに耐えかねて落ちて行く様を、人生で初めて見る光景として見とれた。

人生には、日々、今まで気付かなかった光景がある。

日々が平凡で、感動がなくなると云うのなら、それは、時間を殺傷している残虐なことになる。

命ある限り、日々の奇跡に驚いて生きたいと想う。


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April 08, 2015

ハチドリの一滴、

私は、仏教逸話の中の、"ハチドリの一滴"の話に、いつも勇気と安らぎを感じている。

世界の遠くで起きてる悲劇に対しても、身近な社会の悲劇に対しても、また自分の身の周りの悩み・苦しみに対しても、微力ながら立ち向かう気力が出て来る。

森林火災に、とにかく一滴の水でも運び、立ち向かうのだ。

最近、新潟や東京・立川で、私が行った食育やアラブに関する講演の中で、私は、ハチドリの一滴のつもりで、微力ながら社会に訴えた。そして手応えも感じた。

余りにも人間社会は、人間の三毒、即ち、貪り・怒り・無知(愚痴)に翻弄されているように想う。

みな安らぎたい気持ちは同じなのに、なぜ、これほどまでに争うのかと想う。

私は、仏性を灯りに、森林火災を消そうと、一滴の水玉を運ぶハチドリになりたいと想う。

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April 07, 2015

愛別離苦と隣合わせの日常、

昨日、会社へ行くと、会社で働く女性のお父さんが週末に事故で突然亡くなられたことを知った。

突然襲って来る愛別離苦を想った。見えていないが、人は、愛別離苦と隣合わせで生きていることを想い、気持ちが沈んだ。

そんな時、一瞬一瞬が愛別離苦であり、今生の別れの集合体こそ人生ではないかとも想った。

そして、一瞬一瞬は、前後際断されていることを想った。

無常を感じる時、変わりようも無い、今ここの永遠性を想い、また安らぎを取り戻す。

無常と無我は、一体で感じる力量を持ちなさいと住職は云う。

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April 06, 2015

夜明け前、山中の野外坐禅、闇の中の灯り

昨日の早朝4時、天城山中の坐禅道場で、初めて野外で坐る体験をした。

毛布を膝に、また背中から被り防寒対策をした上で、道場の外の軒下で、闇の中の林と森の中の早朝の空気を感じながら坐った。

闇の中の林に、住職が作った木の切り株のほこらとその中の小さな地蔵様、中国の達磨大師ゆかりの寺のそばから持って来られた石、三輪崇仁天皇皇居跡の石など祭られた、木の切り株に小さな灯りが灯され、幻想的な光景であった。

私は、生まれて来る前の私が蘇るような神秘的な気がした。孤独たけど、何か圧倒的な優しさに包まれているのだ。人は、みな、生まれた時から、切り離され生きて行く哀しみがあるが、私は、いつも見守っていますよ、と云われているような気がした。

西行の、かたじけなさに涙こぼるるの心境が浮かんだ。

このような場を作られる住職は、根っからの修行の人だと敬服した。住職は、お母さんを感じながら今も修行されていることを想った。

いつしか明けていく朝の薄い灯り、啄木鳥の音、全てが、母の励ましに想えた。

自然の中の夜明け前、野外の坐禅は、永遠の絶対大丈夫の世界を暗示しているように想えた。

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April 05, 2015

長崎、ハルピン、長野、母の足跡

先週金曜日昼休み、私は、会社近くの長崎ちゃんぽんの店に入った。

長崎の響きは、いつも私の心を安らがせてくれる。

長崎・京泊りは、遠藤周作・記念館のある外海町に近い場所、隠れキリシタンゆかりの地。段々畑と広大な海。

旧満州・ハルピンは母が、長崎の家を、若くして飛びだし、辿りついて暮らした場所。 街には母が云っていた美しい松花江が流れる。 松花江は満州語で「スンガリ・ウラー」と呼ばれ、「天の川」の意味だと知った。

長野・伊那郡・平谷村は、母が死別した前夫の故郷だった。 川がせせらぎ、木曽にも近い山合いの田舎だった。

長崎・ハルピン・長野、私には、全てが、安らぐ場所。

いつでも、その情景を心の中に描き出せる場所になった。


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April 04, 2015

渡り鳥へ手旗信号、宮沢賢治

先日、神奈川公会堂で、神奈川の中学生の演じる銀河鉄道の劇を見た。

空に向かって、手旗信号を送る男のシーンがあった。

渡り鳥達が,迷わないように、空に向かって、信号を送り続けるのであった。

私は、何と云う美しいシーンかと想った。

宮沢賢治は、妹さんの死を乗り越えるために、銀河鉄道の夜を着想したと云う。


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April 03, 2015

山の朝、天城へ、

今年は、いつもの年より少し遅れて、花祭りの時期に伊豆天城へ坐禅に出掛ける。

天城は山、館山は海が素晴らしい。山に溶け込んだり、海に溶け込んだり、自分を風景の中に、徐々に消し込んで行く。

山の朝は、晴れの日は、小鳥のさえずりが好い。時に、私は、小鳥として坐る私を眺める。

山の朝は、雨の日は、シトシトと雨の音、風の音が好い。雨粒となって、坐る私を眺める。

明日早朝には、私はもう小鳥や雨粒となる。

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April 02, 2015

音楽を聴きながら、花祭りの頃

最近、不思議な本に出逢った。「聴くだけで自律神経が整うCDブック」と云う医師が書いた本にCDが入っていた。

曲のイメージは、縁・舞花・新緑・涙のあと・我が道・ひとときの休暇・安堵・もの思い・ぬくもり、であった。

桜の美しい景色を見たり、心やすまる音楽を聴いて、2015年の春。

人生も、新学期が始まるような、桜の季節。

丁度、お釈迦様の生誕祭、花祭りの時期。

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April 01, 2015

桜の頃、全ては西方浄土

昨日も東京は、ピンクの桜に包囲された街だった。そんな日に、会社の人が帰りがけに、私に、これ誰の句かわかりますかと云って紹介してくれた。

なにごとの、おはしますをば、しらねども、かたじけなさに、なみだこぼるる。

1140年に出家した西行が、伊勢神宮に初めて参拝した時の感動を詠った句であった。

西行は、極楽浄土が西方にあることから、西行と名を付けたと云う。

お守りは、ただ有り難いもの。中味が何かは、どちらでもよいと、その句を紹介してくれた人は言った。

そして、この世は、お守りのようなもの、中味がどうだとか、どちらでもよい。お守りは、ただ有り難いのだと私は、想った。

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