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March 02, 2015

川崎・多摩川・河川敷へ献花、人間の業、縁の恐さなど想う、

昨日は、午後、雨の中、最近の事件で亡くなった13歳の少年・上村涼太君の亡くなった現場へ、献花に行った。

現場は、川崎駅から大師線に乗って、一駅目の港町と二駅目の鈴木町の間くらいの場所の、河川敷であった。事件発生の2月20日から、約10日経っても、大勢の献花する人がいた。バスケットボールの前に、花は一杯に積まれ、大勢の人の悲しみが伝わって来た。そこは、彼が最後に見たであろう、多摩川の光景が広がっていた。

バスケットボール部の先輩(15歳)に連れて行って貰ったゲームセンターで、容疑者の18歳の少年グループと知り合い、悲劇的な縁に繋がって行った彼の人生。

色々な縁が渦巻く人生で、その縁の扱い方次第で、その後の人生が、制御不能になるような恐い縁もある。

人生は、常に仏性(安らぎ)に導かれているか否かを問わなければならない。それは、まだ、13歳の被害者の少年には、難しい状況であったかも知れない。

人間の三毒・"怒り、貪り、愚痴"に導かれてはいないか? 自分のエゴは拡大・肥大化してはいないか? と、常に自問して行かなければならない。

人生には、常に好い縁と同時に、悪い縁にも触れている。

そして、仏性を見る力を養うのが、修行だとも想う。

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