無自性、→無去来、→無所得、即ち"空"、金剛般若経、
始めも終りも無き世界を、一昨日、住職に教えて貰った。
「無自性」から感じる、ただ一点の仏性、「無去来」から感じる永遠性、「無所得」から感じる大海の安らぎ、私は、そんなイメージに浸った。
住職の師、原田湛玄老師は特攻隊の生き残りで、多くの死んで行った仲間達のことを、どこに行ったのですか?と、若い頃、老師の師・原田祖岳老師に尋ねられた時、祖岳老師曰く、「坐禅をすれば、すぐわかる」と云う答えだったと云う。
「無去来」、人の死、別離にあっては、「無去来」の響きに救われる。
住職が述懐されていた祖岳老師の言葉に、「真理(仏性)を知ることは誰にでも簡単に出来る。だが、それを人格化(体現)した人は、仏陀くらいしかいない」と。
学びは、理論だけでは、人生の何の助けにもならない。証(実践)せざれば、安らぎに到達することは出来ないことを、改めて想う。