"なりきる"だけでは、まだまだ、
昨日の住職の言葉に、言葉を越えた真理の世界の光を感じた。
"なりきる"だけでは、まだまだ浅い。 "なりきる"とは力みがある証拠。
怒りがある間は、まだまだ本当の苦しみを知らない。本当の苦しみはエゴを崩壊させる。
修行とは"陰陽二力"から"大極"を知ること。2の世界から1の世界に気付くこと。その修行する気力は"苦"から生まれる。統一の世界は、これほど自由な世界はない。
母心(ぼしん)とは、一般的な母の心ではない。我が子と他人の子の差が無い世界のこと。一切の存在、全てを我が子と見れる力のこと。それが菩提心。これが神。
光の世界に行くのではない、ただ帰るのだ。そんな、ほんわかとした気持で、今朝は、目覚めた。
私は一元の世界をA面、二元の世界をB面と、自分の世界では呼んでいる。A面を演奏したり、B面を演奏したり、
それぞれの曲には深い味わいがある。