ひかるような人、明治の詩人・八木重吉の世界、
「私をぬぐってしまいたい。そこのとこへ、ひかるような人をたたせたい」、昭和2年、29歳で夭逝した明治の詩人・八木重吉の詩である。
「人は人であり、草は草であり、松は松であり、おのおの栄えある姿を見せる。進歩と云う言葉にだまされない。懸命に無意識になる程、懸命に、各々自らを生きている。木と草と人と栄えを異にする。木と草は動かず、人間は動く、しかし、動かぬところへ行くために動くのだ。木と草には天国の面影がある。もう動かなくていいと云う。そのことだけでも天国の面影をあらわしているといえる。」
「春の水は雨に濡れて金色に流れる,新しい柳の芽は、うっとりと見ている。」
「この明るさの中へ、ひとつの素朴な琴をおけば、秋の美しさに耐えかねて、琴は静かに鳴りだすだろう。」
重吉は病床で亡くなる時、高熱の中、十字を切ったと云う。
私が、相模原・相原の八木重吉生家(記念館)を訪れたのは、田園風景に薄っすらと数日前の雪が残る2月1日、冬の朝であった。
その日は、シリアで後藤健二さんが、神に召されたと報道された哀しみの日だった。
「キリストが生きていなさると想うと、身体がおどりだす」、そんな日に、八木重吉の数々の詩に出逢った。