一条の光、
不幸な打撃衝撃に対して、自分の反応が、仏性から来る反応か否かを見極めるものは、愚痴(怒り)であるか、学びであるかであると住職は、昨日、力強くおっしゃった。
私はすぐ、イスラム過激派に対する世界の反応、世間の反応のことを想った。
統治する側にとっては大きな怒りの的、過激な行動の根絶を誓う。
反逆する側にとっては、大きな怒りの帰結(報復)、相手に苦しみがわかるまでは、怒りの行動はおさまらない。
怒りの応酬は暫く続く、お互いが疲れ果てるまで。
統治する側には、懺悔が必要。反逆する側には感謝が必要。
統治する側は、今まで、どれだけ気付かない間に、苦しい人々を放置、無視して来たか、その人々の上に、自分の豊かさを築いて来たかを知る機会。
反逆する側は、今まで、社会的な不利や差別から、怒りに翻弄され、人々を傷つけ、一体何かに感謝することがあったかを想い出して欲しい。どんな状態に於いても、自分が感謝出来ること何かがあることに気付いて欲しい。感謝する力が仏性。
仏性は、決して、怒りに翻弄されることはない。
殺す側も私、殺される側も私、私が私を傷つけている。仏性の目は、全てが私、全てが我が子。
それは、暗闇の中の"一条の光"だと想う。