"母のソネット"、銀座"ギャラリー403"、
昨日、昼、詩と書の個展を見に立ち寄った銀座1丁目のギャラリー403は、古いビルで、手動のエレベーターを体験出来る程の古さで、すぐ別空間に入れるような空気がある。
そこには、"母のソネット"と云う題の自作の詩の一部が、"書"で描かれていた。
「青白き閃光 爆風 友の声 母が語りし被爆その時」、 「親しみし 中島川はくろぐろと 水満ち死者満つ 母の見しもの」、
「見しことも 見ぬ 行く末も 夢の中へ 四十二年は静かに終る」、「母逝きし 卯月十二のさくら花 咲くも憶えず散るも憶えず」、
「十六歳のもろ手に余る悲しみを 投げどころなく ただ立ち尽くす」、 「悲しみよ 時を味方に澄んでゆけ 添える手のないすり鉢をする」、
「ふるさとの香りを運ぶ橙(だいだい)で 作るなますは 母の味して」、「 青匂う豆の筋とる指先は あの日に似たり 母のソネット」、
「大切な言葉 云えぬままでした 聞えていますか "ありがとう"」、
長崎で被爆されたお母さんが42歳で亡くなられた時、16歳だった自分を想いだして綴られた詩を、"書"に表されている作品だった。
そこには、山頭火の句、「しみじみ生かされていることが ほころび縫うとき」、 八木重吉の「もくもくと雲のようにふるえていたい」と云う詩も書で描かれ、
「一鳥(イッチョウ)の声 聞かずして 冬木立」と云う自作の句も、飾られていた。
2月の快晴の日、ある休日にフラリと立ち寄った、長崎・原爆・母の詩・静寂であった。