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January 16, 2015

"生まれて来たのは親のせいと云う発想"

生まれて来たのは、親のせいで、親は、子供の面倒をみるべきだと云う発想は、子供側にとっては、ごく普通に、馴染んで来た考え方だろうと思う。

自分が生まれて来たのは、親のせいだとして、次にその親も同様に、親のせいと云って、ずーっと遡って行くと、人類の祖先、類人猿やアメーバーなど行き着くのであろうか。

そして、ついに、宇宙そのもののエネルギーの源、(神・仏性・真理)に行き着く。

出だしは、ひねくれて、親のせいにしても、結局、誰のせいでもない、私は、宇宙そのものであったと気づけば、それで好いと想う。

誰かの責任として責めたり、自分は無力と想ったり、無関心であるほど、力も可能性も、安らぎも、遠のいて行く。

私は全てであると云う発想は、誰にも責任を求めない。 だから自由で、安らいでいるのだと想う。

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