"生まれて来たのは親のせいと云う発想"
生まれて来たのは、親のせいで、親は、子供の面倒をみるべきだと云う発想は、子供側にとっては、ごく普通に、馴染んで来た考え方だろうと思う。
自分が生まれて来たのは、親のせいだとして、次にその親も同様に、親のせいと云って、ずーっと遡って行くと、人類の祖先、類人猿やアメーバーなど行き着くのであろうか。
そして、ついに、宇宙そのもののエネルギーの源、(神・仏性・真理)に行き着く。
出だしは、ひねくれて、親のせいにしても、結局、誰のせいでもない、私は、宇宙そのものであったと気づけば、それで好いと想う。
誰かの責任として責めたり、自分は無力と想ったり、無関心であるほど、力も可能性も、安らぎも、遠のいて行く。
私は全てであると云う発想は、誰にも責任を求めない。 だから自由で、安らいでいるのだと想う。