一休さんに救われる、
昨日の坐禅会で、住職から一休さんの言葉を聴いた時、何か改めて深く心に入って、救われた気がした。
「呼んでくれるな返事はせぬぞ。何処にも行かぬ、ここに居る。」、"今ここ"の永遠性を説く一休さんの言葉。
私が子供の頃、風邪とか病気で二階の部屋に寝かされている時、店をやっていた母は忙しく、時々しか、二階に上がって来てくれなく、母がいない時は、天上の木目をじっと眺めたり、寂しい想いをしていた。時々、母が二階に上がって来てくれる時間の、母がそばにいる時間の安心した、あの安らぎは今でも、私の心に刻まれ、今でも私を安らぎに導いてくれる。
母の体内から切り離され生まれた時から、人は、苦しみが始まる。あの一体感しかなかった親子が、自他と別れてしまうのだから。
そして、長年を経て、今、私は、海を見ても、山を見ても、木々草花を見ても、そこに母がいて、一緒に見ているような気持になることがある。
私は、子供ながら、母がまたそばから離れる時、いつも、「行かんで」(行かないで)とせがんでいた。
そして今、一休さんの言葉となって、母が帰って来たのだ。丸々頭の可愛い一休さんがそんな言葉を云っていたのだ。
切り離されたと想っていたのに、死別したと想っていたのに、いつも一緒だったのだ。
2月6日は私の母の誕生日、そして住職の誕生日でもある。 一休さんは、自他不二を教えてくれている。