凧と糸、人生に擬えて、
自分を凧と擬えて見たら、新たな気づきに出会った。
最初は、凧の糸を引っ張ってもらって、凧は空に揚がることができる。 その糸は、両親が育ててくれた縁。
成人した時、また親が亡くなった時、その糸が切れて、大空に一人舞い上がる。
大空の気持ち好さと、心細さが同居する。
たとえ結婚していても、子供がいても、 個としての五感六識を持った人間としては、一人で生きて行く孤独は、逃れれようもない。 大空に、糸の切れた凧が飛ぶ。
凧は、凧自体で飛んではいない。 凧の糸(両親)が、空に持ち上げてくれて、後は、空気の気流(他人との縁)が飛ばしてくれる。
そして、人生の終わりに、結局、凧の糸は切れていなかったと気づく。
全て、両親の縁に見守られ、他との関わりの縁の力で空を舞う。
自分も凧になったり、子供に対して糸になったり、そして気流と云う大海の中で遊ぶ魚の様なものだと想う。
(2015年1月10日の記)