桶の底を抜く、
"桶の底を抜く"とは、素晴らしい修行の境地を表していると想う。
江戸初期の盤珪禅師(ばんけい禅師 1622-1693)は、長年の苦行難行の末、ある日「古桶の底抜け果てて、三界に、一円相の輪があらばこそ」と、詠ったと云う。
"桶の底が抜ける"とは、境目がなくなることとも云われる。住職の云う、大海。 波が大海に気づく境地かと想う。
桶の底が抜ければ、何も滞らず、ただサラサラと清々しく流れる。
盤珪禅師は、雨乞いの百姓達に、"うす引き歌"と云う仏性の歌を作って与えたと云う。
「不生不滅の本心なれば、地水火風は仮の宿」、仏性が宿るこの身体は、四大元素から成る仮の宿の様なものだ。
「生まれ来りしいにしえ問えば、何も思わぬこの心」、何も思わない無念無想の清浄本源心と共に誕生した。煩悩は、その後に身に付けたもので、元々は無かった。
「悟り悟りと、この頃せねば、朝の寝覚めも気が軽い」。
桶の底を抜いたイメージは、ただ想い浮かべるだけでも、心地よい。
今日から、週末は、館山の能忍寺へ向かう。