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January 31, 2015

アラブ人の意見、そして世界史的意味を想う、

昨日、会社のアラブ人に、イスラム過激派に関する意見を真剣に聴いてみた。

「キリスト教徒でも、KKKのように、人種差別で、黒人を同じ人間と思っていない集団がいる。 イスラム教徒でも、自分の信じる偏狭な解釈のみを、(オーム真理教のように)信じて、他の大勢のイスラム教徒を虫けら同然と思っている集団がいる。 蒙古帝国と同じように、残虐な手法で、恐怖を与えて勢力を拡大している自己利益追求型集団である。予言者ムハマッドは、ユダヤ人との融和も説いている。」と、云う主旨であった。

KKK、イスラム過激派、オーム真理教、ヘイトスピーチ集団と云った過激な思想(強烈な被害意識による洗脳)を持った集団が国を作ったと云う世界史的な意味が、私には衝撃的であった。

人々が気付かない裏で、それらの、社会から疎まれた集団が肥大化していたことに気付かされた。このように、徐々に社会に醸成されたエネルギーは、何百年単位で、このような激しい反応を起すだろうと私は察した。

人間の持つ業(煩悩)とは云え、"怒りと攻撃・殺戮"で理想を追うことと、"慈悲と感謝"で理想を追うことの差を想う。

理想に対する熱情には変りないが、怒りと殺戮では、余りにも憐れであると想う。


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