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January 14, 2015

1904年夏休み、房総布良(めら)海岸、夭逝の画家・青木繁の青春

高校の教科書にも出て来る、青木繁の「海の幸」は、荒々しい裸の漁師達がサメを吊るして、砂浜を抱えて歩く姿で有名な絵である。 1904年の夏、東京美術学校を卒業したばかりの青木繁(福岡・久留米出身)は、画友の坂本繁二郎、森田恒友、恋人の福田たねと共に、布良に写生旅行にやって来た。 布良の漁師・小谷家に、8月末まで、約2カ月、滞在して、この絵の着想を得たと云う。

28才で結核で亡くなった青木繁の書き残したものに、当時の布良の様子、小谷家の様子、当時の漁村や海、山、人々の様子を想像して、感慨で一杯になる。 今も布良は余り大きく変わっていないところもあり、また私の母の実家の長崎の漁村の様子を想い出させる。

「海の幸」の中にでてくる裸の漁師達の中に、一人だけこちらを振り向いている若い女性の顔が、描き換えられている。その描き換えられた作品こそが、名作の秘話として有名なのである。

そして、描き換えられた顔、その人物は、恋人の福田たねであると云われている。

今となっては、青木繁の真意は、わからないが、私は想う。 自分の絵画の人生の最高傑作に、恋人の姿を残し、永遠のものにしたかったのではないかと。

「海の幸」は、その年の白馬会第9回展に出品され、一躍、青木繁の名を世間に轟かせたと云う。

今回も私が坐禅会の住職を訪ねた布良の自然村・能忍寺は、その青木繁が投宿した小谷家、海の幸の舞台となった海岸(記念碑)のすぐ近くにある。

青春時代の青木繁が見たであろう海、夕日、水平線に浮かぶ大島・式根島、そして富士、近くの布良崎神社など、、、。

今回の布良の旅では、私は、じっくりと、青木繁の足跡を辿って散策しできたことも、密かな旅の安らぎでもあった。

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