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December 31, 2014

大晦日の感慨、

大晦日、子供時代は、みんなで紅白歌合戦を見た想い出。両親、兄弟姉妹の顔が浮かぶ。飲食店をやっていたから、忙しかったことも覚えている。

大晦日は私の誕生日で、母は、いつもすき焼きにしてくれていた。少ない牛肉を、野菜の中から掘り当て、金鉱掘り当てと云って笑っていた。

最近は、紅白にも興味が無くなり、また、みんなで食事することもないが、それはそれで、それぞれの自由自在な、新たな生き方だと、納得している。精神的に繋がっていれば、物理的に一人であること、ないことは、大した問題じゃないと云う境地である。

私も、年末は帰省はするが、大晦日は、最近は、一人旅の真っ只中が多い。

大晦日は、静かに、自分の人生を振り帰り、新年の生き方などを考える時間にするのも、大変好い機会だとも想う。

(2014年・12月25日の記)

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December 30, 2014

曼荼羅の示唆、

曼荼羅には、中央に大日如来、周りに文殊菩薩・弥勒菩薩・観音菩薩など八っつの菩薩を配置した図が描かれている。

その曼荼羅を、経営に活かしてマンダラ手帳を考案され、マンダラ学会と云う、ビジネス研究会を作られ社会に貢献されてる人もいる。

マンダラ手帳の冒頭のページには、中心の"今年の目標"の周りに、曼荼羅のように八個のマスが囲み、それぞれに、健康面、仕事面、家庭面、経済面、学習面、人格面、社会面、遊び面などが、印刷されている。

発想は、色々な目標を立てて、それを、八個の方面から、チェックして、サポートして行くのである。目標も、八個の菩薩欄も、全て自分が考えて組み立てれば好いとの考えである。

日々、色々な菩薩に励まされて、自分の目標に向って行くと云う発想は、確かに力が湧いて来るものだと想う。

年始を迎える頃、そんな人生の指針となるような曼荼羅でも、考えてみる機会だと想う。

(2014年・12月25日の記)

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December 29, 2014

禅との出遭いに救われて、

前の会社を辞めた頃、約10年前、たまたま行った異業種交流会で、講演する住職との出遭いが、本格的に禅の思想に触れるきっかけになった。

その時以来、住職は、坐禅と共に、その禅の思想の圧倒的な広がりを、自らの言葉で、インドヴェーダンダ哲学なども交えて、斬新な切り口で、熱く語って下さった。

禅を学ぶことで、どれだけ、精神が安らいで、またエネルギーが湧いて来たかと振り返る。

仏性に導かれて、あらゆる可能性が広がる。その仏性こそが、人生の指針。

衆生本来仏なり。

仏性に気付く道は、我を捨てて行く道、無我への道。

(2014年・12月25日の記)

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December 28, 2014

選挙の時、小学校の体育館に、胸がキューン、

先日、12月14日、選挙の時、訪れた地元の小学校は、娘が卒業した小学校だった。

体育館の中も想い出、運動場も想い出、教室も、校庭も、みんな想い出が浮かんで来て、胸がキューンとした。

父兄参観で訪れた時、授業の後の父兄どうしの会にも出て、近所のお父さんとは、一杯飲む仲良しになった。

今では、当時の小学生は、成人して、子供がいる子もいる。

選挙で訪れたのに、学校を記念に写真を撮ったり、ちょっとした旅気分になった。

それは、若いお父さんだった頃の私との再会でもあった。

(12月25日の記)


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December 27, 2014

免疫力と食べ物、

今月は、食と免疫力について調べてみました。
医学の祖、ヒポクラテスは云う、一番下手な治療法は手術、二番目は薬、一番好い療法は、食で治すことだと云う。

―「免疫力が上がる食べかた」、(マガジンハウス、Dr クロワッサン)から抜粋―
順天堂大学・アトピー疾患研究センター長・奥村康氏 著

(1).胃の粘膜保護は、キャベツで。
(2).ブロッコリーには、強い解毒作用と、抗ガン作用あり。

(3).ウイルス、細菌を攻撃するマクロファージ は、ニンジンで活性化する。
(4).ヨーグルトは、インフルエンザの感染を予防する効果あり。

(5).カルシウムで、自律神経のバランスを整える。
免疫細胞に情報を伝達するサイトカインを作り出すのが、カルシウム。
自律神経のバランス、朝食をちゃんと摂って、身体をしっかり目覚めさせる。
(6).キノコ は、免疫強化成分の宝庫、ガン予防で注目。

(7).細胞を傷つける活性酸素の除去には、皮付きごぼう。
(8).毎日50g の納豆が、免疫細胞を活性化させる。

(9).風邪予防、花粉症には、レンコン。
風邪の引き始めには、トマト、ヨーグルトも。

(10).冷えは、免疫細胞の大敵、生姜で、身体の中から温める。
免疫細胞が好むのは、体温36・5℃以上。 ガン細胞は低体温好き。
冷え性なら、生姜、納豆、唐辛子も。

(11).紫蘇は、アレルギー症状を軽くする。
(12).トマトのリコピンが、老化を予防。

(13).バナナ は、電子レンジ で温めると、免疫力がアップする。
整腸効果は、バナナ、じゃが芋。
(14)、笑えば、免疫細胞を活性化させる。
また、笑いは、免疫細胞の過剰反応(アレルギー反応)を抑制する。
以上、 (2014年12月25日の記)

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December 26, 2014

ガイドと云う職業への憧れ、

外国から日本への観光客を、英語でガイドする仕事は、さぞ楽しかろうと想う。

旅と同じように、人も、驚きをもたらしてくれる。

日本の地理も歴史も文化も、語らねばならないし、時にはジョークも云わなければ楽しくない。

それは、全て、私の興味あることばかり。

オリンピックも予定されていて、今でも、年間・1300万人もの外国人観光客が日本に来る時代、私の出番じゃないかとも想う。ちょっと、自分に発破をかける気分。

(2014年・12月25日の記)

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December 25, 2014

振りかえれば"旅人"、

私は、前の会社を辞める頃から、一人旅の魅力に取り付かれた。寧ろ、旅の魅力に取り付かれたからこそ、会社を辞めたくなったとも云える。

こんなに色んな、自然界の圧倒的に美しい世界があるのに、それまでに気付いていなかったことを恥じた。前の人生には終止符を打ち、もう一つの、人生が始まったように思う。会社ドップリだったサラリーマンが、名利に翻弄されていた会社員が、すっかり価値観も変ってしまった。

四六時中、まるで機械の様に生きて、機械のような仕事をして、そんな人生は早く、見直さなければ、私の人生は悔いだらけで、収まりがつかないと思った。そして、10年以上前に、前の会社を辞めてからは、新たな旅の感動に包まれた人生に変った。

色々、行ったことのない場所への旅が始まった。両親ゆかりの旧満洲、憧れのニュージランド、未知の国・エストニアなど。前の会社を約10年前に辞めるまで、日光・奈良にさえ行ったことがなかった私が、急に、生き方が急転回した。そして益々、人と旅が、驚き、そして生きるエネルギーの根源であると確信した。

旅は、生命への感謝、神への感謝ももたらしてくれた。

今年も今日の夜からの九州への帰省の途上、初めての壱岐・対馬に立ち寄ろうと思っている。

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December 24, 2014

夜空に有難うの声がこだまして、クリスマス、

今日は、サンタさんを信じていた頃の世界を想い出す日。クリスマスの朝、起きて驚いた想い出。何で、サンタさんは欲しかったものがわかったのか不思議だった。

そして、自分が親になり、サンタをやった時の想い出も。

今日は、世界中で、夜空に子供達の有難うの声がこだまする日。

私の娘は、幼児語で"シャンタシャン""シャンタシャン"と、呼んでいた。

昨日夕方、地元商店街を歩くと、クリスマスキャロルが聞えて来た。地元教会の方々が、約30人くらいで、聖歌を歌ってくれていた。

私は、サンタに贈り物を貰い、娘にサンタを演じ、そして今、今度は周りに、いつしか安らぎを届けるサンタのようになりたいと願っている。私も、安らぎの法を、プレゼントして貰ったように。

プレゼントのお礼は、夜空にすれば好い。 デズニーの"星に願いを"のメロデイーを想い浮かべながら。

2014年・クリスマス。


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December 23, 2014

幸せも不幸も自由自在、"禅"と云う"人生の流儀"、

小さな不幸を大きく感じることも、大きな不幸を小さく感じることも、人の心は自由自在。極大は極小なり。

小さな幸せを宇宙一杯の祝福と感じることも出来、また、大きな幸せを、全く気付かない程、小さく見ることも出来る。

五感六識ある人間には、常に、不幸も幸せも共存している。それが身体を持って、生きている証拠でもある。

そして、幸せを拡大して見たり、不幸を縮小して見たり、それは自由自在。

思い通りにならぬことを、寧ろ楽しめる境涯が、人生の達人だと想う。

禅と云う"人生の流儀"、剣の流儀のように。

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December 22, 2014

早朝の喫茶店、会社立ち寄り、そして忘年会、

昨日は、早朝7時半から五反田の喫茶店で、先日の自己啓発セミナーの参加者、30代内外の若者達中心に6人くらいで、朝の交流会を開いた。メンバーが中々、時間が合せられず、、やむを得ず、朝の時間しかなく、早朝に集まる元気に、私も苦笑しながらも、参加したが、12時までの長い時間、実に楽しい語らいの時間だった。

喫茶店の中で、そばの席には、早朝ながら、オーストラリア人観光客の家族6人くらいがいて、話しかけたら、何と、これから、白馬にスキーに行くところだと云う。 日本のスキー場の人気に改めて驚き。

その後、夕方の忘年会までの空いた時間に、休日ながら、神谷町の会社に立ち寄り、プロ意識で、20日の石油業界のビッグニュース、出光興産による昭和シェル石油買収案の報道と解説をアラブの本社に発信した。

夕方は、住職の太極拳の会の方々の忘年会に、特別参加して談笑。太極拳からでも、坐禅からでも行き着くところは同じと感じながら、私は、最近は、太極拳の方々とも、兄弟弟子のように、つきあうようになった。住職のオーラに包まれて、それは、穏やかな、安らぎのひとときだった。

昨日は、早朝、まだ真っ暗な日の出前、農作業でも行くかのように朝、6時に家を出て、早朝の電車の中、早朝の五反田の繁華街の光景が、新鮮な一日の幕開けだった。 そして、これで好しと、一日を振り返った。

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December 21, 2014

流転の果て、"無我と云う本当の私"を目指して、

「流転三界中、恩愛不能断、棄恩入無為、真実報恩者」、此れは、葬儀の時の戒名を与える時に、よく云われる言葉だと知った。欲界、色界、無色界を流転しながら、執着を断つことは難しい、修行の果てに、やがて無為の世界に入ることが、真に恩に報いること。

そして、戒名とは、終りに頂く名前ではなく、"此れから修行して行きなさい"と云う言葉だと云う。

馬祖太子が、両親との縁を絶って無為の世界に入る修行の時の厳しさの話を、昨日、住職から聴いた。

世間で云う親孝行を遥かに越えている世界。

全ての男性が父親に見え、全ての女性が母親に見える世界。

そのような境涯に達することが、親への恩に報いること。

家族を越え、家族がやがて全てに拡がる世界。"無我と云う本当の私"目指して。


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December 20, 2014

小学生の集団登校の可愛らしさ、見守る交通安全のおじさん、

昨日の朝、出勤前に近所の洗濯屋さんに行く途中、小学生が、集団登校の集合場所に丁度集合して、縦に並んで8人の小学生が登校する場面を見た。

背中のランドセルには黄色いカバー、みな、アヒルの行列の様に並んで、愛くるしかった。

横断舗道には、近所のボランテイアの顔見知りの、おじさんが、安全確認の旗を持って立ってくれていた。

その人は、十郎さんと云って、山形出身の11人兄弟の家族に育った人。 男8人、3人の11人兄弟だと以前、私に教えてくれた。可笑しかったのは、一番末の女の子は、トメと名前が付けられたと云うこと。 男だったら、トメ吉かと、思って可笑しかった。

小学生の可愛い行列を見て、十郎さんと言葉を交わして、昨日は、もう、出勤前に、ほんわかと、とても暖かい気持になった。

冬の日の朝、近所の、何気ない日常の感動のシーンだった。


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December 19, 2014

クリスマスのイルミネーションが始まる頃の詩、

これしか生きて来れなかった。

そして、仏性の光を、微かに感じることが出来た。

その光に照らし出されて、道が見える。

この場所から、生きて行く。

照らし出された新たな可能性の道は、神が導く。

一歩一歩が、ささやかながらも、励まされながら歩く可能性の道。

「大丈夫、大丈夫、貴方の顔が見えたから」。 仏性は、母の顔にも見えて。

2014年、クリスマスの頃。

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December 18, 2014

「何故?」と云う言葉の優しさ、

昨日、異業種交流の会の忘年会で、元刑事の人と話をしているなかで、その人の取り調べのスタイル、考え方にいたく感動した。

被疑者に、「何故そんな行動をしたのか?」と、優しく問いかけをして、話を引き出して来たと云う。

世間から即非難されるような行動をした人でも、どんな犯罪を犯した人でも、優しく「何故?」と聞かれると、いつしか心を開いていけると私は想う。

「何故?」と云う問いは、優しさの象徴の言葉。

そして、如何なる行動も、何故を繰り返している内に、仏性に到達すると、私は想う。

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December 17, 2014

年賀状を書く頃、今年の再会を想い出しながら、

年賀状で、長らく会ってない人に、今年は、お会いしましょうと書く人も多い。

今年は、年賀状でそう感じた人と、今年は再会出来るようにと、考えて行動して、何人もの、懐かしい友人達とも再会できたと想う。

大学入試で上京する時にお世話になった高校の先輩、前の会社時代に製油所で職人的に鍛えてくれた先輩、亡くなった会社先輩の親しかった友人達との会の実現、親しかった会社の後輩達など。

人間関係は、それぞれの縁の成せる自然の造形。

友人達に、私の人生の歩みが投影して見えるようにも想う。

来年は、どう云う再会があり、どう云う出会いがあり、どう云う旅をしようかと、内面の自己と、静かに対話する時。

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December 16, 2014

親子の掛け声、冬の幼稚園バス停、

ただそれだけで、感動させるシーンが、日常の中にも転がっている。

毎日見掛ける、幼稚園の送迎マイクロバスのバス停で、寒さを紛らす為か、"エイエイ"→"エイエイ"、"エイエイ"→"エイエイ"と、母親とちっちゃな女の子が、掛け声を掛け合っていた。まるで、ラクビーとかの選手のスクラムのように、"ファイト"→"ファイト"と、掛け声を掛け合っているように想えた。

その幼い子の声の可愛いこと。

私は、そばを通り過ぎながら、、、、感動の渦に巻き込まれた。

私も、こうやって、励まされて、これまでの人生を、生きて来たことを想った。

そして、今でも、"ファイト"と云う掛け声を感じながら生きている。

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December 15, 2014

既に始まっている来世、三世両住の因果、

人生の前半半分は、前世の因果を引き継いでいて、人生の後半半分は、来世の因果が始まっていると云う。それを、仏教では、三世両住の因果と云う。

私は、人生の半分を終えていると思うから、既に前世の因果は精算され、新たな世界に足を踏み入れていることになる。

丁度、その境目の頃、私は住職との出会いがあったのだと想う。

生々世々、生まれ代わり、死に代わり、個々のエネルギーは新たな展開を見せる。

新たな難問も宿題も好し。

もはや、私は、濁らず、退かず、光に向う。 仏性、自他一如の安らぎの光を想う。

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December 14, 2014

境目が無いこと、暗から明、明から暗、"等無間縁"

12月初旬、天城山で、"ろう八接心"をされた住職は、今年は真冬ながら、外で、朝3時から坐れたと云う。

早朝、夜明け前から外で坐り、"暗"から"明"に移る境目を感じられたかったと云う。

夕方は"明"から"暗"に変る。

春夏秋冬も然り。 その境目を感じることは同じ。

"等無間縁"(とうむけんえん)と云う言葉も聴いた。前の縁が終わり、重なる様に次の縁に繋がって行く例え。

生も死も然り。"生ぜず、滅せず"とは、このこと。

内面に潜む仏性は、色々な縁に触れながら、サラサラと、サラサラと、永遠の川に流れに身を任せる。

昨日、久しぶりに住職の話を聴きながら、人生の時の流れも、境目がなく、それぞれの法位を現しながら、流れている様な安らぎを感じた。


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December 13, 2014

Sabotage of Success , 成功の罠、

先日参加した米国版自己啓発セミナーの時、講師の米国人女性が、Sabotage of Success と云う言葉で、成功は、必ず、次の失敗の罠を仕掛けて来るものであると云ったことが、大変印象に残った。

驕れば、隙が出て、転ぶ。 上がったものは下がる。

だから、禅は中道を教える。 陰と陽が混ざり合った時に生じる中間の静寂を教える。

日々戒めて学ぶことが修行、精進とは"濁らず退かないこと"と云う。

喜び過ぎず、悲しみ過ぎず、人生の静寂の時は柔らかに輝く。

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December 12, 2014

全体を愛する力、

一人を愛する力が無ければ、全てを愛することは出来ない。

全てを愛する力が無ければ、一人を真に愛する力も持つことは出来ない。

全てを愛する力無しでは、決して安らぐことは出来ない。

一人を愛するだけでは、安らぐことは出来ない。個は苦しい、全体は安らぎ。

家族は、愛することの入り口、そこから、どれだけ、家族の様な愛が、広がって行くかが、安らぎへの道。

全体を愛する力の広がりが、人生で問われていると想う。

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December 11, 2014

5年間の日本滞在の想い出、

5年間、日本に滞在したアラブ人家族が、15日、帰任の為、離日する。

昨日は、職場の全員6人で、送別の会食をした。 生まれて数ヶ月だった男の子は、日本を故郷だと思っているらしい。時々、アラブへ帰省する時、いつも、旅行先と思い、日本に帰ろうと云っていたと云う。アラビア語もよく喋れなく、英語と日本語が喋れるようだ。

30代後半のアラブ人は、丁度、私が、アブダビから日本へ帰任する時の状況と似ていて、その感慨がわかる。帰りたくたくないが、本来の土地に帰らなければならない。数日前、彼は寝ている時、不図、大きな寂しさが襲って来たと云う。

かぐや姫のように去らねばならぬ時が来る。忘れ得ぬ、去りがたい日本。 色んな情景が、走馬灯の様に浮かぶ。

私も、人生の出会いと別れの場面、幾度体験して来たことだろうと振り返る。

それでも、今の私は、喜びも哀しみも、寂しさも、目を閉じて、胸の前に一本の指を立て、宇宙との一体感を感じれば、動じないような気がする。

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December 10, 2014

仏像の表情の示唆、

笑ってもいなく、泣いてもいなく、私は、そんな仏像の表情に憧れる。

全てを受けいれる時の表情を、私は、仏像の表情の中に見る。

笑っていては、軽過ぎる。人間の苦しみへの理解がなさすぎる。泣いてる人は近付けない。

泣いていては、重たすぎる。人間の素晴らしさへの理解が、一時消えている。笑ってる人は近付けない。

現実生活では、泣いたり、笑ったりして、人は生きている。

人を勇気ずける表情は、笑ってる人には戒めを、泣いてる人には慰めを与える表情。

全てを包み込む優しさは、笑ってもいなく、泣いてもいない表情の中に現われていると想う。

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December 09, 2014

東京の会社帰りに、琵琶湖湖畔で夕食、

先週の週末、会社業務を終え、品川駅17:40発の新幹線ひかり号で米原へ向った。19:45分米原着、新幹線の中で、長浜で20年振りに再会する後輩から、長浜は雪になりそうですとメールを貰った。ローカル線を乗り継いで20:10に長浜着予定が数分遅れたが、20:30には、長浜で夕食をしていた。

旅の醍醐味。旅と人、それが私の驚きの源、そして気づき、学びの源、そんな生き方に、10年程前から、生き方が変った。

長浜では、後輩とも、仕事以外の話が中心を占め、お互いの人生観のことや、地元の社会的活動などの話が、とても新鮮であった。長浜の子供歌舞伎のこと、後輩自身が太夫をやっているとかも、同じ会社時代の後輩からは信じられず、とても印象に残った。

翌日朝、私は、琵琶湖・長浜港・北国街道・大手門通りなどをホテルの自転車で散策した。散策からホテルへ帰った後、視界を遮る程の雪が降り始めた。雪国のシーン、まるで新潟の冬のシーンみたいな錯覚にとらわれながら、
、長浜駅から京都へ向った。

長浜は、浅井三代の小谷城があった場所。私は、小谷城の資料を買って地図を見ながら、お市の方や、茶々・初・江の三姉妹の平和な時代の暮らし振りを想い浮かべた。

湖畔の長浜城は秀吉、近くの佐和山城は石田三成、明智光秀の坂本城(大津)も近くにある。この近江の地は、戦国武将の夢と悲劇の地でもあった。

東京で出勤し、金曜日夜の会社帰りの旅で、場面は一気に、人生や、雪国や、歴史ロマンの旅へ。


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December 08, 2014

教育係りだった私、毎日のマラソン、消灯点呼、新潟の想い出、

昨日、大阪・宝塚在住の元の会社の後輩と、久しぶりに、宝塚で会い、宝塚劇場や武庫川を見下ろすホテルのレストランで昼食を食べた。

1970年代後半、私が、新潟の工場で、高卒の新入社員の入社試験問題を作ったり、新入社員約30人の教育係りをしていた時のことを、彼は話してくれて、私の遠い記憶が蘇った。

新潟で採用の高卒の約30人が、入社後、約3ヶ月の間、会社の通常のアパートを寮代わりにして集団で、各アパートに5人ずつくらい住んで、毎朝、私が、ランニングを指揮したり、朝食に独身寮の食堂まで引率し、食事後、歩いて、工場に通うと云う日常だった。

夜は、10時くらいの門限・消灯で、私が、各部屋を毎晩、点検して、点呼して回っていた。「みんな、いるか?」と玄関で声をかけると、「ハイ、います。」と声が返って来て、「よし」で、終わり。本当に、その時、全員いたか、定かではない。

私は勤労課だったので、よく職場懇談会で、酒を飲んで、酔って帰って来る時などは、それを、彼らは知っていて、その日は、点呼が多少遅れるとか、いい加減だから大丈夫だとか、読んでいたのだと云う。

その、後輩と、大昔を想い出しながら、お互いに、よく元気に生きて来たもんだと笑った。

当時の私の生活の一部ながら、私自身より、刻銘に覚えてくれている後輩の存在が、愉しい驚きだった。

そして、新潟駅、万代橋、信濃川、古町、など、新潟の街の姿が、いつまでも、私の20代のシーンとして心の奥に、残っている。

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December 07, 2014

歯医者さんの想い出、アブダビ、

私は、年に1回くらい、歯の検診のために会社のそばの歯医者さんへ行くが、先日昼休みも、出掛けた。

治療・処置台で、白いクリニックの内部の様子を見ながら、いつも、幼児だった娘をアブダビの歯科医院に連れて行った時のことを想い出す。

頑張ったら、おもちゃを買ってあげるからねと、なだめて、診察・処置して貰ったこと。

トイザラスで、リモコンの車を買った様な気がする。

そんな時間を、不図、想いだすことも、人生を愛おしく想うことだと想う。

(12月5日朝の記)

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December 06, 2014

星の優しさ、

先日出席した、産業カウンセラーのワークショップに出た時、懇親会の席で、ある男性が、中学生くらいの時か、家出をした時の想い出を語ってくれた。

自転車で、どこまでも、どこまでも、果てしなくこぎ続けたい気持だったと云う。

その時の、夜空、余りの美しさに、星々の優しさに、感動した話をしてくれた。

私は、自分も、同じ様な体験があることを、彼に話したら、驚いて、二人して同じだと喜んだ。

そして、いつしか成人して、一人ぼっちではない、星がいる、優しい星達がいると感じるような生き方が出来るようになったことも、その人と同じだった。

(12月5日朝の記)

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December 05, 2014

58年振りの幻の流星群との再会、カナリヤ諸島、

国立天文台などのチームが、12月2日、大西洋・スペイン領カナリヤ諸島付近で、地球上で58年振りに、ほうおう座流星群の観測に成功したと云うニュースを昨日知った。

生田緑地のプラネタリウムの説明の佐藤幹哉さんなどが、軌道などから、今回の再来を計算していたと云う。先日11月16日も、私はプラネタリウムへ行って、佐藤幹哉さんの説明、中村純二・東大名誉教授の講演を聴いたばかりだった。(佐藤さんも中村さんも、今回のカナリヤ諸島の観測に参加された)

1956年12月、南極観測船・宗谷の甲板上、インド洋で、流星の豪雨のような大流星群を観測された中村純二さん92才(東大名誉教授)も、今回・カナリヤ諸島に同行され、58年振りの大流星群との再会だったそうです。

中村純二さんは、南極で樺太犬・タローとジローと再会した人です。

私は、プラネタリウムの佐藤幹哉さんの、星に語りかけるような説明、中村純二さんのタローとジローを語る慈愛のオーラが好きで、今回のカナリヤ諸島の観測の成功が、飛びあがる程、嬉しかった。

タローとジローと隊員が、再会した時、タローとジローの名を呼ぶと、尻尾をちぎれんばかりに振って飛びついて来たシーンも浮かんで来た。


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December 04, 2014

オイルメジャーのレセプションにて、不思議な感慨、

昨日夜、汐止め・インターコンチネンタルホテルで開催の毎年恒例のオイルメジャーのレセプションに出席した。

久しぶりに会う、業界の友人知人に、心が踊った。何より嬉しかったのは、商社の若いトレダー達が、親しく私に近寄って来て、声をかけてくれて談笑したこと。

私も、日頃、若いトレーダー達との会話や、つきあいができてるんだなーと嬉しくなった。

会社の経営陣から、若い社員まで、みんな同じようにフランクにつきあえて、また同じように見える、今の私の境地がとても嬉しい。

今度、また飲もう、飲もうと、云う人が多過ぎて、これじゃ身が持たないなと思う程だった。

昔、華やかに、トレーダーとして、石油の取引をしていた時代も想い出す。

今週末は、京都、大阪へ、昔、私が勤務していた石油会社の後輩達を訪ねて旅をする予定。

現在と昔、東京と旅先、みんなごちゃごちゃに、混ぜご飯のような、面白さ。

私は、昔と今をごっちゃまぜにして生きてるように想う。そして、また昔の様子が、新鮮に今そのまま展開しているようにも想う。

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December 03, 2014

坐禅されてる多くの人の姿を想う、

12月は、別名"臘月(ろうげつ)"と云う。お釈迦様は、12月1日から8日の朝まで、昼夜、菩提樹の元で坐られ、12月8日の明けの明星の頃、悟りの境地を拓かれたと云う故事に因んで、12月1日~8日朝までの坐禅を、"臘八接心"と呼ぶ。

多くの修行する方々が、この時期は、特別な想いで坐っておられる姿を、私は想像する。

静かな、12月の朝。

静かな境涯で、私を眺める。

そして、今日も、ただ、坦々と生きる。

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December 02, 2014

一つの物語 、そしてもう一つの物語、

色々な人が、内面に潜む仏性に目覚め、変化する感動の話を聴く時、例えば、妙好人(お経を学ばずとも悟りの境地に至った方)と呼ばれる人を想う時、それは、今まで思い込んでいた自分の人生に、もう一つの全く違う物語を作れる力だと想った。

不幸だ不幸だと思い込んでいたことの中に、全く逆の、幸せが隠れていたことに気づく力。それは、不満・恨み・後悔から、感謝へ繋がる。

幸せだ幸せだと思い込んでいたことの中に、全く逆の、不幸が隠れていたことに気づく力。それは、満足、祝福から懺悔へと繋がる。

懺悔と感謝、私は、それが仏性、宇宙の真理への扉だと想う。

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December 01, 2014

自己分析、励まされたり、諌められたり、

昨日は、産業カウンセラーのワークショップに出席してみた。

参加者どうしの対話の中で、それぞれの参加者の世界観・人生観の特徴が際だって見え、また私自身の特徴も感じることができた。それは自然の一部のようにも見え、それぞれの星のようにも見えた。

それぞれに、何かに拘って生きているのが人間、その拘りが、人生を導いている。 何に拘るかは、その人の内面の自己との対話力。

時に、大きな衝撃が、内面の自己との対話力を増すと想う。

昨日は、私の生き方を振り返る時間を持てたように想う。

サラサラと流れる、行く川の流れの、川に水になれているだろうか? 内面の自己に、励まされたり、諌められたり。


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