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November 30, 2014

紅葉の宮島の光景を目に浮かべながら、

12月中旬にアラブへ帰任するアラブ人が、5年の任期中、最近訪れた、宮島にいたく感動していた。丁度紅葉に映える宮島に、日本で一番美しかった光景と評した。

宮島の大鳥居が8回改築されたことなど、ガイドさんから聴いたことも色々私に教えてくれた。家族で泊まった旅館(石庭)が、また日本で最高の旅館だったとも云って、感激していた。

原爆記念館に自分の子供達(幼稚園の男の子、小学生の女の子)も、教育になると想い勇気を出して連れて行き、好かったと云っていた。 小学6年生の時、白血病で亡くなったサダコの話、1000羽鶴の話も、アラブ人の家族に強く印象に残ったと云う。そして、男の子から、「お父さん、人間はどうして戦争するの?」と聞かれたと云う。

これから、帰るアラブの地で、しっかり生きていって欲しいと想う。

アラブ人家族にとって、日本は離れがたい場所、だけど、本来の帰るべき場所がある人生のジレンマ。本来の帰るべき場所には、本来の自分のあるべき姿もある。

人生も同じようなものかと想う。人生(煩悩)は、離れがたい場所、だけど本来の場所は、仏性(自他一如)の世界。死は、仏性に帰ること。脳裏に浮かんだのは、そんなことにまで想いを馳せる、宮島の美しさの光景だった。

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November 29, 2014

囲炉裏端で民話、藁葺き農家、紅葉ライトアップ、民家園

私の、気に入りの民家園(向ヶ丘遊園)では、先日、夜も開園して、紅葉のライトアップがあった。

飛騨の合掌造りのような家、藁葺きの農家、紅葉がライトアップされて、日本昔話の世界であった。

私が訪れた夜は、囲炉裏を囲んで、民話を語るイヴェントがされて、岩手・遠野からの語り手の女性が見えていた。

「昔、昔、あったずもな、、、、、、」で物語は始まり、「どんとはれ、、、、」で終わる遠野の民話。

遠い昔、訪れた、母の実家、長崎の田舎の家の雰囲気も想い出した。

子供の頃、寝ながら、父が話してくれた物語は、いつも、話す本人が寝てしまって、尻切れトンボだった。妹と一緒に、父を揺すって、話の続きをせがんだ想い出。

カラス天狗が出て来たり、狐が出て来たり、祭りにはいつも同じ囃子だった。

"秋の紅葉の頃、夜、藁葺き屋根の農家の囲炉裏端で、民話を聴く"、それは、やっと実現した、一つのメルヘンだった。

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November 28, 2014

どちらでも好いこと、それは安らぎ、

"どちらでも好いこと"と思えば、全てが安らぎに変るような気持になる。

白黒つけること、こうしなければ、こうあるべきと拘る時、心が乱れる。

山岡鉄舟は、"晴れて好し、曇りても好し富士の山"と云う境地を詠んだ。

住職は、"どちらに転んでも大丈夫の世界"を求めて出家された。

全ては、神の館と想えば、全てはどちらでも好いこと。

"どちらでも好いこと"は、魔法の言葉。

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November 27, 2014

同郷ビジネスマンの会、お笑いライブにも似て、

昨日夜、毎年恒例の、私が幹事の同郷ビジネスマンの会を市ヶ谷・アルカデイアで開催した。毎年11月末、20人くらい、福岡県の大牟田・久留米界隈出身のビジネスマンが集まり、立食形式の懇談を楽しむ会で、もう15年以上は続いている。

特に代表者も決めず、会の挨拶・乾杯もせず、ただ、集まって歓談するだけの会。同郷の気安さ、方言も使えて、大変リラックス出来る会である。

今では、大会社の社長・会長・役員クラスのメンバーも多いが、最新の役職は、特に気にせずに談笑。

途中、近況を1分づつくらい話す時間も設けているが、その時の話が、地元のこと、最近の出張であった面白い体験、ジョークなども交えて、ちょっとお笑いライブっぽい雰囲気が好い。

東京単身赴任中も弟も、今回で2回目の参加で、兄弟で、ちょっと、お互いの仕事を感じさせる雰囲気も新鮮に感じる。

会社では、大プレッシャーの中で働いている人達も、定年後の人達も、この会で、大きな息抜きになっている様で大変嬉しい。

人は、色々な側面を持ち、生きていると想う。そして、そこでは、故郷の友人にだけ見せる側面をお互いに見ているのだと想う。

故郷の山々を想い浮かべながら、毎年、そんな、お笑いライブの会を続けて行きたいと想う。


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November 26, 2014

唇を噛み締めて水を運ぶ少年の姿の写真、被災地、

震災の瓦礫の中、唇を噛み締めて、水を運ぶ少年の姿の写真がある。

高倉健さんが、いつも持ち歩いていた台本に、貼り付けられていた新聞の切りぬきの写真である。

私は、その写真を見た時、瞬時に、高倉さんが、大切に持ち歩いた意味がわかるような気がした。

高倉さんは、その写真を宝物ですと云っていたと云う。 「人生は切ない。切ないからこそ、何かに、うわっと感じる瞬間がある」と語っていたと云う。

高倉さんは、その写真の中の男の子に、いつも心の中で、頑張れと声援を送っていたと想う。

そして、それは、自分自身でもあったのだと想う。また、その写真に、いつも励まされていたのだろう。

たった一枚の、歯を食いしばって頑張る少年の姿の写真が、万巻の経より人を導くこともあると想う。


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November 25, 2014

"千と千尋の神隠し"に、何故か再び感動、

数日前、夜、たまたまTVで、"千と千尋の神隠し"の映画が放映されていたのを見た。

10年くらい前に見た映画だったが、改めて、映画の色々なシーンの世界に、新たな魅力を感じた。

それは、小学1年生くらいの女の子の視点、私の娘が小学1年生くらいの時は、こんな風に世界が見えていたんだと云う感動だった。

動物や、魔法使いや、お化けや、おじさん達や、空を飛ぶ龍や、海の中を走る電車など、、、、。

そこに、ちっちゃな女の子から、見えていた世界を想うと、人間が愛おしくなった。

私も、子供の頃、子供らしい妄想の世界が見えていたことがわかる。

そして、10代、20代、30代と、次々と、また別のシーンが見えて来る。

それぞれの年代に見えてる妄想の中で、人は生きているのではないかとも想う。

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東洋医学、食による養生、

今月は、東洋医学の本も読んでみた。食べ物の持つ不思議な力を感じる。人は食物で出来ている。

― 「東洋医学のしくみと治療法がわかる本」丁宗鉄著、ナツメ社 より抜粋-
    “食養” の項目から抜粋、
1, 関節リウマチ・変形性膝関節症:
主な原因は、水毒(水分代謝の異常)。
○ ハトムギ: 関節の腫れや痛みを鎮める。水分代謝・血行を促進。
○ 黒豆: 腎臓の働き助け、むくみを取り、鎮痛効果。
○ 香辛料: 身体を温める。
X 肥満大敵→ 適度な運動不可欠、 関節・筋肉を鍛える。
X 湿度が高いと痛む → 除湿に務める。

2、 アレルギー性鼻炎・花粉症:
X 甘いものは水毒を起こし易い体質を悪化させる。
X 油っぽい食事もダメ。
X 生もの、冷たいもの → 身体に余分な水分を貯める。
○ シソ: 水分代謝を高め、身体を温める。

3. 腰痛:
○ エビ・イカ・山芋・ウナギ・クルミ・黒豆・ニラ・胡麻・栗など →腎臓の働きよくする
○ 小豆 → 水分代謝よくする。
○ 小魚・良質タンパク・カルシウム → 骨を丈夫にする。

4. 肩懲り:
○ かんきつ類 → ストレスによる肩こりに対し、気の流れを改善、クエン酸は乳酸の代謝をよくする。 イライラを解消する効果も。
○ 梅干し: クエン酸あり。
○ ジャスミン茶: リラックス効果。
○ アーモンド: 血管拡張作用あり。

5、 アトピー性皮膚炎:
X 甘い菓子・スナック菓子・揚げ物・唐辛子など香辛料は控える。
X 加工食品・アルコール・動物性タンパク控える。
○ 温野菜・緑黄色野菜・海藻
○ きくらげ: 皮膚を潤す、肌あれを防ぐ効果。 以上

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November 24, 2014

ふくしまの地で大蛇山を引く、

第3回ふくしまフェスタが、昨日、福島県・須賀川市の市民スポーツ広場で開催された。そこに、全国の祭りの山車が終結し、弘前のねぷた、私の故郷・九州・大牟田の大蛇山なども出ることを知り、横浜から日帰りで福島へ出掛けた。

初めて訪れた福島・須賀川の市民スポーツ広場は、田園風景の中にあった。近くの山の紅葉も秋晴れに映えていた。

勇壮な大蛇山の山車は、約100人くらいで引かれて、太鼓や鐘の音を鳴らしながら、大きな大蛇の口から火を吹き、ねり歩く。

地元で、大蛇山は子供の頃、見るだけで、山車を引く体験はした事は無かった。今回は、地元から遠く離れ、人数が不足しているとかで、観客からも、その場で引き手が募集され、私は、喜び勇んで引き手に加わった。

まじかで見る大蛇山、火を吹く大蛇山。子供時代に見た故郷の街の賑やかさ、父の顔、母の顔、大牟田の街が浮かぶ。

炭鉱爆発の被災地・大牟田、原発の被災地・福島。そして、力強く、大牟田の人と福島の人が一緒に、同じ祭りの山車を引くことの感動。

祭りばやしの音、祭りのざわめきを、私は、忘れない。

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November 23, 2014

綱島、お笑いライブ、傑作集

坐禅会で慣れ親しんだ綱島地区センターの2階和室、何とそこで、昨日昼、若手芸人のタマゴ達10人のお笑いライブ(無料)があり、ワクワクして出掛けた。

大喜利の中の"お笑い俳句"傑作集、題材"ニート"、
「人間は生まれた時は皆、ニート」、 「親のスネ、かじれなければ舐めてみよ」、「出ないなら、出るまで待とうパチンコ屋」、「芸人ト云ってるこいつら皆ニート」、"作者:ニートたけし"など。

こんな総理大臣イヤだ、 → 矢部(ヤベ)総理、

6億円あったら、かっこいい使い方、
「公園の炊き出しにビーフストロガノフを配ってやる」、「ビルゲイツに恵んでやる」、「札束の上に、キャビアを添えてみる」、「2000円札を買い占めて、完全に流通を止める」、「札束を庭の踏み石にして、踏んだら落とし穴に落ちるように仕掛ける」、

若い男性芸人のタマゴ10人に、お客が私を含めて10人、勿体ない様な、楽しい時間だった。

普段、住職の法話を聴き、坐禅をする同じ会場で、チャンチャカ、チャンチャカ、吉本気分になり、全く、綱島の新しい世界を見た。

やっぱり、人生は、色んな、驚きに満ちている。 私の笑いのネタ帳の整備もしなくちゃと想う。

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November 22, 2014

バランスを取ること、それが神の仕事、

私が、神なら、自信過剰な人には、過剰な自信の愚かさに気づかせてやりたくなる。

自信が過少な人には、もっと自信持って大丈夫だと気づかせてやりたくなる。

幸せいっぱいに感じてる人には、勘違いであることに気づかせてあげたい。

不幸いっぱいな人には、勘違いであることに気づかせてあげたい。

笑いが必要な人には、笑いを沢山与えたい。

矛盾と統一を繰り返しながら、バランスを取りながら、宇宙の全ては、ただ、あるべくようにある。

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November 21, 2014

抑制の美学、慈悲、優しさ、強さ、それが高倉健だった、

一人の意外な男が、日中関係に大きな光を灯した。

中国政府は、高倉健さんの死に異例の哀悼の意を評した。私は、日本人で、これ程、中国に死を悼まれた人を知らなかった。また、日本政府は、彼に、国民栄誉賞を検討していると云う。日中両政府が、高倉健さんの死を通して、エールの交換をしている姿に、鳥肌の立つような感動を覚える。

中国を想う時、私は、私の父の家族の満洲からの逃避行を助けてくれた行商人の袁さんと云う人のことをいつも想い出す。

高倉健さんは、いつも何か抑制しているイメージがある。抑制の中に、私は、慈悲、優しさ、強さを強烈に感じる。 言葉が要らないのだ。

彼は、世間で云う成功や幸せな結婚をした人ではない。ただ、不器用なほど、一生懸命に生きて来ただけなのだ。

私は、高倉健さんと会ったことはなかったが、これから、私は心の中で、いつでも会話することが出来ると想う。


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November 20, 2014

毎日毎日が旬と云う生き方、

毎日毎日が旬。 毎年毎年が旬。

悲しみも喜びも、完璧な調和、陰陽の調和。

陰は陽、陽は陰、同じものの裏表。ただ見え方が違うだけ。

高倉健さんの生き方を想って、毎日毎日が旬、毎年毎年が旬だと感じた。

誰に何と云われようが、これしか生きれなかった、本人曰く"不器用な生き方"。

神の導きは、時に人を不器用に見せる。

健さんと、酒を飲み交わしたかったなー。

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November 19, 2014

イスラム国に殺害された米国人活動家の両親の凄さ、

シリアで拉致され、イスラム国に殺害された米国人援助活動家ピーター・カッシグさん(26才)のビデオが11月16日公開された。その翌日、両親が記者会見で述べた許しの言葉に、私は驚愕した。

カッシグさんは、イラク戦争に従軍した元米兵で、その後、民間の援助団体を立ち上げ、約150人のスタッフを組織してシリアで医療・食料・生活面での人道支援活動を行っていたと云う。

教会前で会見した父親・エドさんは、「私達家族に、悼み、涙を流し、癒されて行く時間とプライバシーをください」と語った。

母親のポーラさんは、「息子は、暗闇に打ちのめされるよりも、善良さを、自分自身を、他人を信じることを選びました。一人の人間が、違いを生み出すことも出来るのです」と、述べた。

また、「私達の心は、たたきのめされましたが、傷は、いづれ癒えるでしょう。世界は、破壊されましたが、いつか修復されるでしょう」と。

こんな言葉が、息子の死に際して出てくる方の崇高さに圧倒され、目が眩む程だった。


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November 18, 2014

躁鬱の症状の正体、

知恵に偏れば、躁になりやすく、異常な自信や積極性が出過ぎて異常。他がついて来れない。

慈悲に偏れば、鬱になりやすく、自信がなくなり、何も行動出来なくなり異常。他について行けない。

知恵が優る時には、慈悲のブレーキが必要。

慈悲が優る時には、知恵のブレーキが必要。

躁鬱は、シーソー が偏った時に起こる病気。

躁の人は、政治家や会社社長や、目立つ人に多い。 躁の時は、多少 馬鹿に見えるほど単純。

鬱の人は、目立たない、優しい人に多い。 鬱の時は、そんなに気を使わなくてもいいのにと思うほど繊細。

綱渡りのように、躁鬱のバランスを取り、歩ける人を人格者と云うのだと想う。悲しんでいる顔も、微笑んでいる顔も似あう人。

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November 17, 2014

タローとジロー、中村純二・宗谷南極観測隊員の2006年当時の手記、

「その時、樺太犬は空に向って一斉に吠え始めた。それは、悲しげな悲鳴にも似た甲高い吠え声であった。その声は、50年近くたった今でも、耳にこびりついて離れない。 私達は、基地上空を低空で一周したが、その間中、彼らは上を向いて吠え続けていた。

(1958年2月、南極・昭和基地から最小限の荷物で脱出せねばならなかった第二次南極越冬隊。各犬には2ヶ月分のエサとして1俵20kgのミガキニシンを2俵ずつ、分配して置いて来たと云う。)

1959年1月、第三次南極観測隊の偵察ヘリが、基地周辺に黒い動物が2頭動いていると知らせて来た。早速、隊員が現地に赴き、タロ・ジロの名を呼んだところ、2頭は尻尾をちぎれんばかりに振って飛びついて来た。

氷漬けになっていた樺太犬の堀り起こしを行ったところ、餓死していたのは7頭、他の8頭は、帰すう本能に従って北海道を目指して、あてどなく北へ向い、氷海に消えたものと思われる。ただ、タロとジロの兄弟だけは、生後3ヶ月で宗谷に乗せられて南極に来たため、昭和基地を故郷と信じ、そこに踏みとどまったのではなかろうか。」

昨日、当時の宗谷観測隊員の中村純二さん(92歳、東大名誉教授)の講演を、生田緑地プラネタリウムで初めて聴いた。 中村さんは、当時、インド洋で、観測船・宗谷の甲板から、大流星雨を見られた方で、今年、58年振りで、そのほうおう流星群が再び観測出来る年なので、今年12月2日、西アフリカ・カナリヤ諸島に観測に行かれると云う。

58年振りに見る、満天の星に流星の雨か。 中村純二さんと云う方とお会いできたことに、人生のロマン。

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November 16, 2014

薪と灰、それぞれの永遠、

薪は薪、 灰は灰。

薪が灰になるのではない。

薪は永遠、灰は永遠、それが"今ここ"。

年をとると思う思想には永遠はない。この世ははかないものにしか見えない。

"今ここ"は、時空を超越している。前後は裁断されている。

春は春、夏は夏、春が夏になるのではない。

春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬雪さえて涼しかりけり。

何となく、何となく、今が素晴らしいと云う気分。

昨日は昨日で完結、永遠。今日は今日、今は今、瞬間瞬間は新しく、そして永遠。

昨日の住職の法話に触発されて想う。


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November 15, 2014

赤ちゃんに聴かせる小さなコンサート、

米国・ロサンゼルス近郊の病院の新生児病棟で、生まれて3日後に亡くなった未熟児の赤ちゃん・レノンちゃんに自分がギターを弾いて、小さなコンサートを開いてあげたお父さんの話を昨日知った。

母親は帝王切開当日に亡くなったとのこと。

保育器の傍で、ビートルズのブラックバードを歌うお父さんの姿が、最近インターネットで流され、世界で50万回以上再生されていると云う。

お父さんは云う、レノンちゃんと過ごした、人生で"忘れえぬ4日間"に深く感謝していると。

レノンちゃんは、母親が用意してくれていた服を着て旅立った。

「お母さんも、この子を抱きしめ、触れ、歌いたかっただろう」その歓びを、私は感じさせて貰いましたと綴っている。

世界で最も小さなコンサートの感動。

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November 14, 2014

人生の重たい荷物、

徳川家康は、人生を、重たい荷物を背負っての旅に例えた。

誰しも、人生には、重たい荷物がのしかかっているようにも見える。

それは、誰が作った荷物なのか?

人間は、"印象・気分の集合体"と、禅や唯識では云う。

印象・気分は、実体のない勝手気ままな想像の産物。

事象は、ただ事象。 出来事は、ただ出来事。 それに、脚色・ストーリーをつけるのは、各々の印象・気分の持ち主次第。 各人各様の印象・気分が、真実と思い込んで見る世界を、群盲索像と評される。

重たい荷物など、宇宙の、どこにも存在してはいない。

重たい荷物を作っているのは、各人特有の印象・気分と云う、各人のカルマ(業)の仕業。

"今ここ"を生きるには、印象・気分があっては出来ない。

印象・気分そのものである自分から遠ざかることが修行であり、人格を磨くことであり、安らぎへの道であると云う。

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November 13, 2014

雨に濡れない極意、沢庵和尚、

徳川将軍家の剣術師範、柳生宗矩は、沢庵和尚と出逢って、剣に開眼したと云う。

沢庵和尚に、この雨の中で濡れない極意を見せてみよと云われ、剣で雨をメッタ切りにして濡れまいとする宗矩。

そんなに濡れて、何が極意じゃと、沢庵和尚に、けなされて、宗矩は、それならば、和尚こそ、手本を見せてくれと反発。

そして、それならばと、沢庵和尚は、ただ雨の中に立つばかり。

何だ、和尚だって濡れているではないかと宗矩に云われて、沢庵和尚曰く。

「ワシが雨に濡らされたと思うか? 、 ワシは、雨と一つになっただけじゃ。 濡れてはおらぬ。」

自と他を切り離したところに、隙は生まれる。 自と他を切り離したところに苦しみは生まれる。

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November 12, 2014

ひばりの詩、

昨日、出勤前に、秋雨の朝、大森明さんのアルトサックスのCDを聴きながら、内田麟太郎さんの詩を読むひとときを持った。

"ひばりに"と云う題の詩。ちょっとした詩との出会い。

「僕には言葉が無い。 君にかける言葉が無い。 僕はただ座るしかない。 うつむく君の隣に。

いや、僕は、タンポポになろう。 君の隣に咲く。

いや、タンポポの綿毛になろう。 君が空へ飛ばす。 君の想いの言葉を、届ける郵便屋さんになろう。

そして、飛ばされながら、ひばりに話そう、 うつむいていた君が顔をあげ、僕を空へ吹いたことを。

君の命が自分でこしらえた、小さな風のことを。

隠し切れない歓びに、声を詰まらせながら、ひばりに話そう、小さな小さな風のことを。」

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November 11, 2014

絵本詩人・内田麟太郎の世界、

大牟田出身の絵本作家・詩人の内田麟太郎さんの本をパラパラとめくった。

うみがわらってる。 なみ。 ヘヘヘヘヘへへへへへへへへ、うみがわらっている。

とちる。 かみさまはとちらないのですか? ぼくはとちります。きょうもとちりました。
「かみよ、わがつみをゆるすたまえ」

つぶやいて。 港でもやってるイカ釣り船。 ボンヤリ見ながら、父さんはつぶやいた。- いいねえ。 あれから 50年、もう父さんはいないけど、ぼくもイカ釣り船を見ている。 小さな島の小さな漁港。-いいねえ。 つぶやいてお父さんの子どもになる。

先日、"まぜごはん"と云う詩集を買って、麟太郎さんにサインして貰った。 サインには、漫画のことりの絵が添えられていた。

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November 10, 2014

大牟田・芸術の街、

最近、安心して徘徊できる街とか、NHKで紹介された大牟田市も、昨日は、まさに芸術家の街でもあることを感じる一日であった。 第5回・ふるさと大牟田会が、大牟田市中尾副市長始め約100名の参加のもと、神田・学士会館で11:30から開催された。

今回、米国で活躍中のアルトサックス奏者の大森明さんの、ソロ演奏"いそしぎ""枯葉"なども聴かせて貰い、Jazz好きの私はしびれた。

最近、10月末に旅した柳川の白秋由来の"すずめの時間"と云う武家屋敷の喫茶店の中のパンフレットで、初めて知った大牟田出身の絵本作家・絵本詩人の内田麟太郎さんが、来られていて、内田さんの講演も聴け、言葉も交わすことが出来た。

映像ジャーナリストの熊谷博子さんは、三池争議を闘った女達の記録などで活躍されているが、福島の被災者達と、三池炭鉱の一酸化炭素中毒被害者達との共通点を、社会的にとらえてまた新たな作品に打ち込まれていた。11月9日は、三池炭鉱・大炭塵爆発の日であったことも、彼女は想い出させてくれた。

港健次郎・映画監督は、三池の映画"ひだるか"など作品があるが、今、大蛇山祭りの映画を準備中とのこと、三池争議は組合が別れて労働者どうしも反目したが、ある炭鉱労働者(山崎のおっちゃん)が、大牟田市内の6匹の大蛇山を一同に遭わせ、市民の一体感を作ろうとした実話である。また、港監督は、在日コリアン舞踏家のぺ・リファさんのドキュメンタリー映画(花のように、あるがままに)も手がけてらっしゃる。

会場には、大牟田出身の大津英敏画伯(日本芸術院会員)も、作家の西村健さんも見えていた。

隣の席で話した女性は、お母さんの里が大分県・戸次郡、九州の戦国史に残る大友家の軍師・戸次'(立花)道雪、その補佐役・高橋紹運の縁者・末裔の方であった。高橋紹運は、1586年、2万の島津軍を岩屋城で僅か763名の手勢で、14日間を持たせ、玉砕した武将で、秀吉をして、戦国の花と称えさせた人物。この高橋紹運の子供が、立花家の養子となり、後の柳川藩の名君・立花宗茂となったと歴史に記録されている。

昨日も、思いがけず、故郷の会で、ドップリと、文化・芸術・歴史に浸ることができたことに驚いた日であった。

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November 09, 2014

若手商社マンとのユニーク懇親会、

昨日は、某大手商社の友人から、昼間の川崎・有志懇親会に誘われ、行ってみたところ、20代、30代、40代、50代、60代の気の合った商社マン達7人が集まって、昼から開いてる居酒屋を廻る居酒屋遠足の様な会であった。

まるで、体育会系の寮生の先輩・後輩の集まりの様な雰囲気で、豪快、痛快な懇親会に、びっくり。

会社内では、同じ職場ではないが、年齢を問わず、気の合う仲間で、数ヶ月毎に休日の昼間、東京各地で懇親会を開いているのだと云う。それが、昨日は川崎だったとのこと。

私も、初めて、どんな会なのか、偵察のつもりだったが、丁度来日中の、ノルウェーの友人も人懐っこいので、一緒に誘って行ってみたら、何と大盛り上がり。商社マン7名プラス、私とノルウェー人ゲストの、ユニーク懇親会が実現。

私は、途中、3時で坐禅の会のため、失礼したが、ノルウェーの友人は、もう少し残るとの盛り上がり振りだった。

昨日は、私は、この商社マン企画に参加の約束があり、ノルウェーの友人とは会えないと思っていたら、彼も、仕事関係の会食は夕食で、昼間、この商社マン懇親会に参加でき、合流することになった。思い掛けない、日本滞在のサプライズ交流になったことだろう。 記念写真も、将来、仄々と日本滞在を想い出す写真になることだろう。

一方、私は、パっと画面は変って、夕方、坐禅の会に参加、その変身振りに、我ながら、また苦笑。

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November 08, 2014

トナカイの国からのゲスト、

昨日、出張で来日中のノルウェーの友人をオフィスに夕方迎え、終業後、近所の愛宕山、虎ノ門のカフェ、英語のカラオケなど連れて行った。

彼は、仕事の話より、完全にリラックスムードで、お互いに何か笑わせようと、面白い話ばかりした。

10年以上も前、出張で欧州に行った時、彼のノルウェーの家にも行ったことなど想い出す。 自家製のビールを作ったり、奥さんが手芸で"ほうきに乗った魔法使い"の人形など作っていたことなども。

雪やサーモン、フィヨルド、木で作られたようなオスロ空港、大きなトナカイ"レインデイア"、スキーのジャンプ台の急傾斜だったこと、そしてムンクの絵も。

二次会で行った英語のカラオケで、彼は、生演奏のピアノに合せて、アンデイー・ウィリアムスの歌を数曲歌って、ご満悦だった。

仕事で知り合った外国の友人が、仕事を離れても、つきあって行けることは、世界旅行のような気分を身近に感じて心地よい。

もうすぐ12月、クリスマスが近付いて来る頃、トナカイの国からのゲストだった。

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November 07, 2014

歌う力、それは人生

昨日早朝、病気で亡くなられた86才の方が、 前の晩、静かに落葉松とかシューベルトの曲を聴きながら、歌を口づさまれていたエピソードを聴いた。

亡くなる直前に大好きな歌を、死の床で小さく歌われると云う場面が、人間の死を迎える時の大きな安らぎを連想させて、感動にふるえた。

以前、悪性リンパ腫の闘病ブログ「佳代子のウェルビーイング」を書いておられた、佳代子さん(故人)のことも不図想い出した。

時々、私のブログにコメントをくれて、シベリウスや、クララハスキルのピアノ演奏のモーツアルトはすごいとおっしゃっていた。そして、私のブログを読んだ時、シベリウスの曲を、よく想い出すことがありますとおっしゃったことがあった。

私も、いずれ人生の終わりを感じる時、私は、どんな歌を口ずさみたいと想うのだろうかと考える。

歌う力、それは、人生への賞賛。 そして神々への感謝。

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November 06, 2014

観光としてのパチンコ体験引率、

日本滞在を終え、近々アラブに帰任するアラブ人が、一度、パチンコに行ってみたいとの希望があり、私は、その希望を実現させてあげようと、昨日、会社帰りに、そのパチンコ見学が実現した。

数日前、会社のそばにパチンコ屋はないか、インターネットで場所を調べ、昨日の昼休みに六本木の店を下見、凡そパチンコの要領を知り、自信をもって、アラブ人を案内した。

何と、もう一人のアラブ人もついて来て、二人のアラブ人をパチンコ屋さんに連れて行くと云う、面白い体験となった。

傍で、おそるおそる、私がやる、パチンコの模様を見て、まるで、子供の様に好奇心一杯で、見ていた。

そして、自分でも、やってみて、全く、トンチンカンなやり方で、私は思わず笑った。少し、要領がわかって来たかも知れないが、約30分、1円パチンコで、1000円使ってお仕舞い。

その間、私は、ちょっと、うまくいって、800円使って、900円くらいの景品(ビール3缶)を貰えた。

帰任するアラブ人は、やっと、気になってしかたなかったパチンコを体験できて、満面の笑みで、私に感謝してくれた。彼にとって、一生で一度のパチンコ体験になることだろう。

私は、彼の日本でのパチンコの想い出に、必ず登場する人物になったのかと想うと、また苦笑い。


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November 05, 2014

流星の雨、インド洋、1956年12月5日、

1956年11月16日、晴海埠頭を出航した南極観測船・宗谷に乗り組んでいた中村純二研究員は、12月5日夜、インド洋上で、一人甲板に出ている時、偶然に、大流星雨に遭遇した。

世界でも、この大流星雨を見た人は少なく、"幻のほうおう座流星群"と云われていると云う。

その中村純二・東京大学名誉教授(91歳)の、講演が、11月16日(日)、向ヶ丘遊園のプラネタリウムで開催されると云うことを知った。

タローとジローの話、南極のオーロラ、大流星雨、そんな話を、当時の宗谷の乗り組みだった中村先生から聴けるとは、何と、ロマンのある話かと驚いた。

11月3日、西日本で火球と呼ばれる流れ星の一種が、大勢の人に観測されたことが報道されていた。その流れ星は、燃え尽きて、福岡・大牟田上空で消えたとニュースは伝えていた。

私の故郷・大牟田上空で消えた流れ星、故郷の三池山のシルエットを想い出す。

数日前に、農村歌舞伎を見に訪れた生田緑地で、プラネタリウムにも入り、富士山頂から見る、秋の夜空の満天の星を見た。宇宙一杯に母の存在が広がって、母と再会したり、そしてまた宇宙の彼方から、地球の私を見たり。

プラネタリウムの年間パス(たったの1000円)を買ったので、今後、時折、母に会いに来ようと想う。

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November 04, 2014

成功した人生、失敗した人生、その物差し、

お金の面で成功した人生? 出世の面で成功した人生? 結婚の面で成功した人生? 長寿の面で成功した人生?、など、世間で云われる"物差し"で考えると、世間は人生の成功や失敗を、単純で表面的なとらえ方をしているものだと、がっかりする。

愛情面で成功した人生とは?、社会貢献で成功した人生とは?、他者救済で成功した人生とは?、と考えてみると、世間の成功と失敗の価値観と大きくずれていることに気づく。

物差しは、仏性(宇宙の理、真理)に従ってなければ、万法むなし。貪欲なエゴに従っていては、どんな努力も空しいと思う。

不図、振り返り、自分の人生は、世間では失敗と呼んでも、私は、堂々と、大丈夫だと想う。物差しを仏性に決めているから。

自分の人生の"物差し"を決めることが、人生の始まりだと想う。

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November 03, 2014

大学祭に家畜、初めての農大祭、

11月1日~3日の連休は、私の興味ある文化行事が沢山並ぶ。地元神奈川大学フェスタ、東京農大・収穫祭、神田古本祭り、向ヶ丘遊園・民家園・農村歌舞伎、など、、、。

昨日は、厚木の東京農大・収穫祭に初めて行ってみた。

小田急線・本厚木駅からバスで約15分、農大は畑などを見下ろす小高い丘の上にあった。入り口そばの農園には、もう羊の姿が歓迎してくれた。

野菜を目当てに来る人も多いのだろう。大根やネギなど、野菜を抱えた人が一杯だった。

久しぶりに本物の"ひよこ"を見た。子供の頃、祭りで買って来た、愛くるしい"ひよこ"の想い出が蘇る。乳牛にも触れた、黒毛和牛もいたが通常28ヶ月で出荷と云う言葉が辛かった。黒豚も寝ていた。

大根の研究発表会場では、何百種類もの大根の数に驚いた。農大のイメージ"大根踊り"の写真もあった。

犬や猫から見た世界を、特殊なメガネで体験すると、暗くても、かなり見えてること、赤い色が全く見えていないことなど、人間との大きな違いを体験出来た。 まさに、禅で学ぶ人間の"群盲策象"振りを体験した感じであった。(人間に見えてる世界と、実体としての宇宙・世界は全く別のもの)

自分が大学入試の頃、受験雑誌で見た東京農大、初めて見学できて、何か知らなかった世界が広がったようで嬉しかった。

6人の兄弟姉妹で、4年制大学に行けたのは私だけだったこと、姉や妹が大学へ行けなかったこと、弟が地元の高専だったことなど、申し訳無さなどまでも、大学のキャンパスは想い出させた。

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November 02, 2014

水滴の旅、空から海に返る旅、

昨日は横浜は小雨だった。

"H2Oが地球の中心に向けて移動していた"と、ロボット博士(森先生)は、雨を表現した。

雨は海の水が蒸発し、雲となり、冷やされて水滴となって地表に降り注ぐこと。水滴は、地表に落ち、地面に沁みこみ、川に注ぎ、また海へと返って行く。

私が、幼児の頃、"水玉坊やの冒険"と云う物語があった。 家の二階の窓から見ると、電線を伝わって水玉坊やが、トコトコ、トコトコと移動している光景を何度も、何度も見た。

雨は、何故か、安らぐ。 天気が悪いとか、云われるのが 可哀想だと思う。

自分がカエルになりきったら、当然、雨が好きだし、それより、自分が雨そのものになりきったら、壮大な旅のドラマが見れると想う。

しっとりと、雨の日も好し。そんな秋の日。

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November 01, 2014

言葉の便利さ、言葉の不便さ、

言葉は、知らない人どうしの会話や、ものごとの方向などを示すのには大変役立つものである。学問や仕事も、言葉がなければ成り立たない。

そんな大切な言葉を、禅では、カルマ(惑わし)と云う。

印象・気分は、"名称と形態"と云う概念が作り出す。人間は、印象・気分の集合体。

名称と形態から離れ、印象・気分から、どれだけ離れることが出来るかが修行。

言葉が不便になる世界が確かにある。 言葉が不要な世界が確かにある。 そんな安らぎの世界が確かにあると想う。

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