愛されたいと云う苦しみから、愛したいと云う涅槃、
善悪を問わず、人間のあらゆる行動の根底には、"愛されたい"と云う願望・本能があると思う。 問題は、それが、"愛されたいと云う、"受け身であることに、私は気づいた。
愛されるために、無間地獄のように、右往左往、あくせく色々なことに挑戦する。 勉強、地位、名誉、財産など、これでもか、これでもかと、色んなもの挑戦して、それでも、結局、外に手段を求めていた自らの愚かさに、人生の終わり頃になって、やっと気づく。
愛されるためには、自らの"愛する覚悟"だけが、純粋に必要だったことに気づく。 親が子を愛する時の愛は、ただ愛するだけで完結している。 愛されることを求めて愛している訳ではない。
"愛する"ことは、自分が愛することが出来たら、それで完結。 相手の反応には関係ない。 結果は神の領域。
真の愛は、恐れがない、取引しない、競争もしない。 風なきところに、炎の揺らぐことなし。
住職の法話を想い出す。
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