椅子になると云う発心、
住職の師、仏国寺の原田湛玄老師は、"椅子になる"と云う発心を立てられていることを想い出した。
椅子は人さまに坐って頂くもの、自分は徹底して奉仕するだけのもの。決してゲストにはならず、サーブするホストに徹すること。
自分がゲストと思った時、人は心が乱れる。自分はただ、人にサーブするだけの存在に徹した時、怒り、愚痴は消える。
通常の人間関係は、ゲストとホストの関係で成り立っている。時に傲慢や卑屈な人間関係を生む。ゲストとゲストであれば最悪で、いつも大喧嘩。
「私は、椅子になる」、凄い発心だと想う。流石、住職の師の言葉だと感動する。
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