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October 05, 2014

綱島にて、天城山が映える

昨日は、住職の2ヶ月振りの坐禅会復帰の日だった。脳梗塞と云う病気の割りには、驚異的な早い復帰振りである。 皆が坐禅中にそーっと照れくさく入って来られた。そして坐禅の後、開口一番、笑顔で、「ごきげんよう」のユーモアであった。

久しぶりに住職のお元気な姿に会う人は、感無量であった。聴き入る人たちの胸が熱くなっているのがわかった。住職の言葉一つ一つが、新鮮に感じられた。

道元禅師の禅とバクテイー(祈り、念仏)の融合の境地として、道元禅師の句を紹介された。「峰の色 谷の響も 皆ながら 吾が釋迦牟尼の 声と姿と 」、私には、すぐ、天城の山々、木々、草木、、、、、が浮かんだ。

いつもの様に、坐禅会の後の懇親会もされ、全てが、かつての穏やかな日々に戻った日だった。

それでも、また道元禅師の"薪と灰の公案"を想い出した。薪が灰になるのではない、薪は薪の法位、灰は灰の法位。

"今ここ"の、その時その時の耀きだったのだ。

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