全てが懐かしい境地、天城坐禅合宿にて、
8月29日~31日、伊豆・天城"一灯禅林"で恒例の坐禅合宿に参加した。
住職も、1ヶ月前に、緊急入院された日から、退院回復され、いつも通りの坐禅や法話をされることに、一同(約10名)大変安心と、元気な気持になれた。
法話も、人は、大変な危機を体験した後には、全てが懐かしい気持になりますと云う境地も、語って下さった。
存在と非存在を越えたところに無常があり、無常は、生きるか死ぬかを問題にしない。無常とは、全てが愛おしいこと。 このような境地を、教えて頂きながら、住職と、またこのようにしてお会い出来るご縁に一同感謝した。
天城山は、29日の大雨の後、30日は、雨上がりの緑が映えていた。
人生にも、雨があったり、嵐があったり、全ては調和する力の成せる現象。
早朝、4時起床、夜明け前の坐禅に、何か"新たな始まり"の気配と、また、全てが懐かしいような、神秘的な時間を味わった。
正法眼蔵に曰く、「修せざれば表れず、証せざれば得ること無し」。
「証」、即ち、如何に実践するかが問われている、、"私が"や"私のもの"を捨てる瞬間が如何に持てるかが問われている。
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