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August 27, 2014

アイヌモシリ(北海道)の旅の余韻、

週末の北海道・道東の旅で感じた数多くの"小さな驚き"、まだ大きな余韻に浸っている。

根室は日本の最東端、アメリカに一番近いところだった。根室港を歩くと、そこには歯舞漁協の看板の建物もあった。歯舞も国後島も、すぐ近くの島であることを実感した。

早朝、釧路から知床斜里へ向う列車は、小雨の中、釧路湿原の中を、ずうーと通って、思い掛けない、しっとりとした旅の光景に浸れた。

知床・ウトロ漁港では、観光船に乗る時、巨大な岩があった。それが、最近アイヌ伝説で読んだオロンコ岩であったことを知った時は、飛び上がるほど驚いた。アイヌの人の民宿旅館"酋長の家"に泊まった時、アイヌの簡単な楽器・ムックリの吹き方を教えて貰った。モンゴルの楽器の音色を想い出し驚いた。

網走では、北方民族博物館で、北極を中心に、色々な寒冷地に適応した民族がいて、共通した文化をもっていたことを知った。網走に2007年まであったと云う、ウイルタ(オロッコ族)の資料館"ジャッカドフニ"(ウイルタ語で、大切なものを収める家の意味)にあった資料も見せて貰った。

オホーツク紋別空港の前は、長い海岸線の海、そこには、数キロにも続くような流氷公園があった。時間もたっぷり余裕があったので、公園のベンチに座って、海や、牧場のような丘の光景の美しさを堪能した。

近くを通りかかった散歩の男性と言葉を交わすと、この海も、冬は流氷で埋まるのだと云う。アムール川の淡水が海へ注ぎ、それが冷やされ海を凍らせ、オホーツク海一杯に流氷が押し寄せる。

自然と人、人は争い、色々な歴史を辿って生活して来た。そして、人類としての私が、静かに、オホーツクの海を、ボンヤリと眺めた。 そんなアイヌの島、アイヌモシリの旅だった。

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