蝉と云う菩薩、道端に転がって、そして宮沢賢治の世界に、
夏も盛りのこの頃、毎年の光景であるが、道路で堂々と転がって死ぬ蝉達を見るようになった。
蝉の死骸は、アリ達がよく運んでいる光景を見掛ける。蝉は、自ら目立つ場所で、他の生きものに食べよとばかりに、大の字に、堂々と死骸をさらす。私は、余りの潔さに、いつも心を打たれ、手で拾いあげ、近くの茂みに葬ってあげる。
宮沢賢治の作品にもある。イタチに追われたサソリが井戸に落ちて死ぬ時、ここで溺れて死ぬくらいなら、イタチに食われて死ねば好かった。イタチは、もう一日長生きできたであろうにと想う物語。
昨日の朝、通勤時、東京でも今年初めて、ツクツホウシの声を聴いた。夏の終わりの蝉である。何か、子供時代、夏休みの終わりを感じて、寂しかった懐かしい声。 そして、昨日の夜、白楽駅の近くの道で、ツクツクホウシが弱って道路に落ちていた。
私は、昨日、今年初めて、ツクツクホウシに触った。まだまだ、手の平の上で、動けていた。私は、透明の羽のツクツホウシを繁々と眺め、近くの茂みにそーっと置いて、家に帰った。
蝉と云う菩薩が道に転がってらっしゃる。そして、人生と云う壮大な伽藍に、菩薩さま達の合掌の声が響く。
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