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August 07, 2014

パチンコ、補償金、そして働くことの意味、

昨日、昼休み、会社のビルのエレベーターの中で、他のビジネスマン二人の、ほんの数秒の会話が、耳に入り、強烈な印象を残した。

津波と原発の被災地で、パチンコ屋が繁盛している。一人月・10万円くらいの補償金を貰い、一家4人なら月・約40万円、職もなく、もう職が見つからなくても、毎日、パチンコでもして暮らすとかの生活に慣れてしまった人達もいる。

、、、、、、。 この状況から、何をメッセーッジとして受け取るかを、私は深く考える。

補償は近代国家の人道的な、社会的義務。だが、同時に何かが大きな、人間の煩悩の落とし穴が、また二重災害を引起こしていることに気づいた。

遊んで暮らせることは人生の理想。 誰かが援助してくれるなら甘えて、娯楽でも楽しみながら生きていきたいとか、誰しも、漠然と考えているかもしれない。だが、被災地のパチンコは、辛い現象。

例え給料は安くても、何か働くことで、与えて貰う精神の安定があることに気づかされる。

"苦しみ、作務、祈り"、、、、、無学な人でも、お経など読まなくても、これは、涅槃に至る道だと住職に教えて貰ったことを想い出す。それは、"妙好人"と呼ばれる高僧のこと。

"作務"、ただ黙々と、やらねばならぬことをやる。 お金にならなくても、何らかの社会活動をして得られる安らぎは何なのか?、 それこそ、私は、"自他一如"の仏性が成せる耀きだろうと想う。

被災地の人達の、二重、三重の試練を想う。


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