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August 31, 2014

エゾジカ59万頭、ヒグマ3000頭、北海道で聞いたロマン、

私が、坐禅に出かける伊豆・天城山でも、よくシカを見かける。

シカから見ると、天城山はどう見えるのだろうと想う。 シカ達は、ただ、じっと坐る人間を、おそるおそる、眺めて、どう思っているのだろうと、可笑しくなる。

先日行った、北海道・知床岬は、陸路では近づけない、船でしか見れない場所であった。

ウトロ港から船で、切り立った岩の海岸線をずーっと見て岬まで行った。岩山が途切れる砂浜の場所には、野生のヒグマがよく降りて来て、船からヒグマを鑑賞出来るスポットがあった。 知床半島には、1キロ平方に、約0.4頭のヒグマが生息していると云う。

北海道には、エゾジカが約59万頭、ヒグマが約3000頭いると云う。

エゾジカから見た北海道、ヒグマから見た北海道を想う。

(2014年8月29日の記)

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August 30, 2014

心の受信機を磨く、

毎日、毎日、何か"小さな驚き"は無いかと探す生き方になって、約10年。

私は、毎日、何に反応して生きているのかを自問すると、その私の受信機が、私の次の行動を導いているように想う。

どの光を捉えるか、どの周波数を捉えるかは、私の、今までの"印象・気分"が決めている。

私は、確かに、微かにも、光を捉えて生きたいと想う。

それは、修行する者の発心と云う。

私の両親まで続いて来た、修行の続きだと想う。

(2014年8月29日の記)

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August 29, 2014

自分が背景となる安らぎ、

自分の人生は、自分が主役でありながら、淡々と演じ、むしろ自分の周りの脇役の人達を目立たせる、そんな生き方は素晴らしいと想う。

脇役の持ち前(長所)を際立たせてあげる気持ちで生きる。

それは、自分が背景となる生き方。主役から脇役に代わる生き方。

そう云えば、色々な生き物達は、そうして生きてくれていることに気づく。

今日から週末は、伊豆・天城山に坐禅に出かける。

小鳥や、鹿や、虫達が、背景か、イヤ私が背景になるのだと想う。


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August 28, 2014

歌の題名を聞くだけで郷愁、そして釧路本線、

釧路、北大通りに、野口雨情の歌碑が立てられていて、雨情が昭和15年、釧路に来たことを記念しての碑であることを知った。

雨情の詩には、「七つの子」「しゃぼんだま」「十五夜お月さん」「船頭小唄」とかがあると歌碑は紹介してあった。通りかかった私は、立ち止まり、その題名を聞くだけで、郷愁に駆られた。

雨情は、石川啄木とも大変親交が深かったと云う。調べると、新聞社勤務の啄木が釧路に転勤で来た時の歌があった。 <さいはての駅に下り立ち 雪あかり さびしき町にあゆみ入りにき>

私も、小雨の中、根室を、夜7時くらいの列車に乗り、釧路に入ったのは、夜 9時過ぎだった。

釧路本線は、木々の繁る沿線の暗闇の中を走った。途中、一両編成の列車が急停車した時、運転席の若い運転手の声で、「鹿と衝突したようです」とアナウンスして、運転席を飛び出して行った。

約 5分後くらい列車はストップして、釧路へ向ったことが、何故か想い出される。

旅の何気ない、シーンから広がる世界があることを想う。



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August 27, 2014

アイヌモシリ(北海道)の旅の余韻、

週末の北海道・道東の旅で感じた数多くの"小さな驚き"、まだ大きな余韻に浸っている。

根室は日本の最東端、アメリカに一番近いところだった。根室港を歩くと、そこには歯舞漁協の看板の建物もあった。歯舞も国後島も、すぐ近くの島であることを実感した。

早朝、釧路から知床斜里へ向う列車は、小雨の中、釧路湿原の中を、ずうーと通って、思い掛けない、しっとりとした旅の光景に浸れた。

知床・ウトロ漁港では、観光船に乗る時、巨大な岩があった。それが、最近アイヌ伝説で読んだオロンコ岩であったことを知った時は、飛び上がるほど驚いた。アイヌの人の民宿旅館"酋長の家"に泊まった時、アイヌの簡単な楽器・ムックリの吹き方を教えて貰った。モンゴルの楽器の音色を想い出し驚いた。

網走では、北方民族博物館で、北極を中心に、色々な寒冷地に適応した民族がいて、共通した文化をもっていたことを知った。網走に2007年まであったと云う、ウイルタ(オロッコ族)の資料館"ジャッカドフニ"(ウイルタ語で、大切なものを収める家の意味)にあった資料も見せて貰った。

オホーツク紋別空港の前は、長い海岸線の海、そこには、数キロにも続くような流氷公園があった。時間もたっぷり余裕があったので、公園のベンチに座って、海や、牧場のような丘の光景の美しさを堪能した。

近くを通りかかった散歩の男性と言葉を交わすと、この海も、冬は流氷で埋まるのだと云う。アムール川の淡水が海へ注ぎ、それが冷やされ海を凍らせ、オホーツク海一杯に流氷が押し寄せる。

自然と人、人は争い、色々な歴史を辿って生活して来た。そして、人類としての私が、静かに、オホーツクの海を、ボンヤリと眺めた。 そんなアイヌの島、アイヌモシリの旅だった。

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August 26, 2014

国後島より遠くに見える知床、そしてアイヌ文化圏の広がりなど、

今回の北海道・東部の旅も、数々の発見に、ただ驚くばかりであった。

夜、釧路へ行く電車に乗る前に立ち寄った、根室駅前のJazz喫茶店のマスター曰く、"先ず手前に国後島が見えて、その先に知床が見えます"と。 確かに地図では、国後島は、知床半島と並行するように存在していた。

アイヌは、北海道アイヌ・樺太アイヌ・千島(クリールアイヌ)、と3種類に分類されるくらい、北海道本島以外にも広く分布していたことも知った。

そして、網走の北方民族博物館で、北極を中心に色々な北方民族がいることが、関連ずけられて、衝撃の発見だった。ウイルタ(樺太中部)、ニブフ(樺太北部)、エスキモー(イヌイット)など。アイヌの、口で弾く楽器"ムックリ"は、まさに大陸のモンゴルの楽器と同じ音色だった。

北海道を旅していたら、人類としての自分と云う、広い想いになれる気がした。また、北海道の自然が見せる光景は、何か、外国で見たような光景を想い出させた。 米国カルフオルニア、英国の田舎なども。

週末を利用して行った北海道の短い旅が、今後の色々な私の思考に対して、何か深い、メッセージを与えてくれるように想えた。


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August 25, 2014

レバノン人の秘書、インド人のドライバー、

私は、娘が小学1年生の頃、アブダビで一緒に生活していた。

運転手さんは、優しい背の高いインド人でパナトさんと云った。まるで、ベビーシッターのように、娘を可愛がってくれ、娘もよくなついていた。

会社にはレバノン人の秘書の綺麗なお姉さんがいて、アラビア語・フランス語も堪能で、時折、"まなーみ"とか呼んで、可愛がってくれていた。

数年前、娘が、成人して二人でアブダビへ旅し、昔のオフィスを訪問し、その秘書と再会したとき、娘は、抱き合って泣いた。

インドにも、二人で旅した時、南インドの鉄道の駅のホームでパナトさんと再会した時も、二人は抱き合って泣いた。

そんな人生のシーンを、時折想い出すことが、私のエネルギーの源だと想う。想い出の力。

(8月22日の記)

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August 24, 2014

炎熱焦がす夏の日のグラウンド、高校時代

私の母校・福岡県立三池高校の応援歌第四に「炎熱焦がす」と云う曲がありました。

♪炎熱焦がす夏の日も、寒風すさぶ冬の日も、耐えて、鍛えしこの技を、示すは今ぞ、今なるぞ、練磨の腕(かいな)火をはいて、敵打倒す熱と意気。♪

炭鉱の街・大牟田、記念グラウンドの想い出、3000メートルで、高校1年生の時、学年で1位になった時の爽快感。

あの時の風の香り。

新しい運動シューズで、どこまでも、どこまでも走りたかった、高校1年生の頃。

暑さにも、寒さにも、負けなかった。

あの時の風の香りを、今でも、時折、感じることが出来る。

(8月22日の記)


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August 23, 2014

自と他の区別がなければ、

四苦・・・・・"生・老・病・死"。

八 苦・・・・・"生・老・病・死"プラス、愛別離苦(別れ) ・怨憎会苦(恨み)・求不得苦(得れない)・五盛蘊苦(執着)。

これらの苦しみを一挙に解決する方法は、"自"と"他"の区別が無くすことだと、妙に納得。

"生・老・病・死"は、自分と云う個に訪れるから苦しい。 私が全体(宇宙)なら"生・老・病・死"は、単なる新陳代謝の風景。

"別れ、恨み、得られないこと、執着"も、主体は、"私"。 "私"が元凶。 私が全体(宇宙)なら、どちらでも好いこと。 その苦しみの情景に、慈悲の心が湧いて来る。

"自他一如"が、神と云われる所以かと想う。

(8月22日の記)

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August 22, 2014

電信柱にごっつん、幼児の女の子が泣いていた、

先日、通勤途上の光景。 お母さんに連れられて、歩く幼児の女の子、小さなリックを背負って、歩くのがとても楽しいらしく、ニコニコしながら、お母さんの横を少し離れて、道草をしながら歩いていた。

お母さんは、もう一人赤ちゃんを抱いて、その女の子を気にしながら、歩いていた。

女の子は、歩きながらも、満ち足りて、ケラケラ、ケラケラ 笑いながら歩いていて、こちらも楽しくなる程であった。

ところが、突然、電信柱の所で、ギャーと泣きだした。 帽子をかぶっていて、電信柱がよく見えず、避け切れず、ごっつんと電信柱に頭をぶつけて、転んで泣きはじめたのだった。

駆け寄るお母さん。 そばを歩く、知らないおばさんも近づいて来て、「いたかったねー」と、あやしてくれた。

私も、「痛かったねー」と、心の中で、つぶやいた。

しゃがみこんで、泣きやまない女の子、お母さんは、濡れたハンカチでおでこを冷やしてあげていた。 見てる3人の大人も泣いた。

絶好調の幸せからの突然の災難、そして、みんなでかばい合う光景、まるで、人生の浮き沈みを見るようであった。

そして、また女の子は、歩きはじめることだろう。


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「20才若返る生活術」

今月は、面白い、気づきに溢れた本に出会った。

ー「20歳若返る生活術」・南雲吉則著・PHP出版 より抜粋 -
1. 5つのNo で若返る。
(1) No スモーキング: 煙草禁止
(2) No ドライビング: 歩く習慣重視、ふくらはぎは第2の心臓、
(3) No. カフェイン: カフェイン中毒怖い、
(4) No スイーツ: 糖は脳の唯一の栄養素であるが、但し、怖さも潜む、高血糖は、血管の内皮細胞を傷つける=糖毒性、糖は、高インスリンを招く食物、→ 糖を脂肪に変えて内臓に貯え、動脈硬化起こす。
(5) No. ミート: 肉は食物繊維が少ないため便秘になる。肉の悪玉菌は、胆汁酸を、発癌性のある、二次胆汁酸に変えるため、大腸ガンになる。 肉を断つと、体臭も無くなる。

2. 緑茶で痩せる理由を知る面白さ。
お茶の葉には、ハマキガと云う蛾の幼虫の天敵がいます。そこで、お茶の葉は、身を護るために、ハマキガの幼虫に消化吸収障害を起こさせる毒を体内に備えました。 それが、”タンニン”です。お茶の渋みのもとになるポリフェノールの成分です。 それが、人間にも、肥満防止、痩身効果があるのです。

空腹時に濃いお茶を飲むと低血糖で失神すら起こしかねません。必ず一緒に食事も摂って下さい。 育ち盛りの子供、病人もお茶を避けて下さい。

3. 芽や玉子にも、毒は仕込まれている。
芽の細胞や玉子の中には、プリン体(核タンパク)と云う遺伝子成分がたっぷり含まれています。 生殖細胞を食べすぎると、病気を起こす様に動物達が仕組んだもの、それが痛風です。 ビールやウイスキーの原料の麦芽も、プリン体の宝庫です。

4. 野菜は”食べられたくない”、 果物は”食べられたい”の差。
野菜は、食べられるのを避ける様な緑の保護色をして、キューリのトゲトゲは私を食べないでのサイン。 果物は、わざと目立つ色で、動物を引きつけ、食べてもらて、種の保存をして行く。柿の実は、まだ熟してない時は渋み(タンニン)を出して、まだ食べないでねとサインを出している。

→ 自然界の素晴らしさを感じながら食と健康を考える材料にして行きたいと思う。

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August 21, 2014

オロッコ族とアイヌ、北海道の旅からの学び

7月末の稚内への旅の時、アイヌの伝説の本を買って読んでみた。 樺太・千島列島・北海道には、アイヌと並んで、大陸に根拠を持つツングース系のオロッコ族(ウイルタ)と云う民族もいて、定住はせず、トナカイと共に移動しながら生活していたと云う。

オロッコ族は、時折、アイヌと交易したり、紛争を起したりして、樺太、千島列島、北海道で暮らしていた。モンゴルのパオみたいなテントで暮らすオロッコ族の人々の写真も残っていた。

アイヌの伝説の小冊子には、知床の近くのオロッコ族と、アイヌが戦った時の逸話も載っていた。闘いは、オロッコ族が劣勢、アイヌに負けていた。

北方領土の国後島(クナシリ)は、アイヌ語でクナシル(黒い島、または草の島)の意味で、日本語もロシア語も、それに従っている。

1789年、クナシリ・メナシの戦いと云うアイヌの、和人に対する反乱もあった。

北方領土は、本来、日本の領土と云って、日本とロシアが紛争を起す前に、アイヌやオロッコ族が暮らしていたことを知った。 人間以外では、ずーっと、長く住んでるのは、ヒグマ。

歴史を振り返れば、先住民を忘れて、後から来た者どうしが争っていることが、憐れで、人間の業(ごう)を想った。

また、週末から今度は、初めて道東(根室・釧路・知床など)への旅をする。先住民が見ていた頃の北の光景を想いながら。

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August 20, 2014

天城 萌ゆ、

住職が、約20日間の入院を経て、昨日、退院され、天城山の坐禅道場に帰られた。

天城山の木々や、鹿や小鳥や虫も、住職の帰りに、湧いたことだろう。

何度も坐禅に通った天城山の"一灯禅林"、天城の山々が目に浮かぶ。

雪の中の天城の光景、夏の天城山の光景、夜明け前の虫の音、夜明けの小鳥達の声。

また、住職に会いに、天城に行きたいと思う。

天城が萌えている。

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August 19, 2014

アラブの春のその後、

アラブで独裁政治からの解放であったアラブの春が、思いがけない展開をしている。

「米イラク空爆を決断、傍観リビアの再現懸念」、8月14日の新聞の見だしで、私は、オバマ大統領の苦悩が読み取れた。

リビアのカダフィ独裁政権が倒れ、今では、5つの武装組織が乱立し、勢力争いで、内戦状態に陥ってしまったリビア。

米国は、シリアでも、戦争に関わりを避け、傍観し続けた結果、反政府勢力内にイスラム過激派勢力が増し、アサド独裁政権との内戦状態が恒常化してしまった。 今さら、米国はどちらにも支援できづ、手を出すチャンスを失ってしまった。リビア、シリアは、戦国時代のような群雄割拠の状態になり、戦火に苦しむ民衆が増してしまった。

選挙で勝ったイラクの政権も、旧支配勢力への報復的行動から対立を劇化させ、また内戦に陥りそうな瀬戸際に立って、やっと新しい首相のもと、和解の道が拓けるか険しい道を辿っている。

オバマ大統領は、軍事行動への嫌忌から、紛争にも優柔不断な傍観者をやり続けて来た結果、イラクは、過激派勢力の非人道的支配の拡大が深刻なレベルに達した。このような、現実の国際政治の中で、米国はイラクでの過激派への空爆を、遅ればせながら決断せざるを得なくなった。

8月17日の朝刊には、米国の、イラク過激派掃討空爆拡大、アラブ諸国沈黙で支持の見出し。18日夕刊には、米、空爆対象拡大、クルド人部隊支援、イラク北部のダム奪還とあった。

人間の煩悩・利害の激しいぶつかり合いの時には、時に、誰かが止めに入らねばならない時があると思う。それは、毘沙門天のように、不動明王のように、仏性の化身であって欲しいと想う。

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August 18, 2014

"他力の禅"の境地、

住職の入院中の間、坐禅会の参加者どうしの話合いの時間ができ、先日も、禅と人生のかかわりなど、とても真剣な話ができた。

"他力の禅"の境地を語る人もいて凄いと想った。道元と親鸞が、統一されている境地。禅は自力門と云われるが、自力とは入口に過ぎない。自力も究極的には全て委ねて行く境地に向う。

富士で云えば、五合目までが、色々な道や景色があるが、五合目を越えれば、同じ頂きを見るものだと想う。住職からそう教えて頂いた。禅からでも好し、念仏からでも好し、太極拳からでも好し、キリスト教からでも好し、ヴェーダンダ哲学からでも好し。

また、その後のメールで、親鸞の"正信偈"を、まるでミンミン蝉が大樹をジリジリよじ登るがごとく一句一字ずつ噛みしめながら日々読み進めていますと云う人もいた。

そして、今日も、蝉の声が、心地よい読経の声のようにも聞えて来る。

2014年・盛夏の候。

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August 17, 2014

ずーっと昔からただ眺めているだけの自分、

自分の幼児の頃の光景、 小学生の頃の光景、中学生、大学生の頃の光景。 就職、結婚、海外転勤などの光景。

心の中では、それらの光景を、今は、ただ傍観者の様に眺めている。

そして、目を凝らせば、結局は、なるべくようになり、あるべくようにあり、至るところに調和が見えて来る気がする。

結局は、嵐でさえも調和。天地が鳴動しても調和。 ただ作用と反作用があっただけ。

宇宙の営み、大自然の営み。 私は、ただその情景を眺めるだけ。

それは、思い通りにはならなくても、絶対安心の世界でもあるように想う。


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August 16, 2014

虎の赤ちゃん、

娘が幼児時代に、自転車のハンドルに幼児用の台をつけて、公園によく散歩に出掛けた。

道路で、猫を見かけると、私は、わざと、「あっ、虎の赤ちゃんだ、逃げろ」、「恐いよ恐いよ」と云って、娘に話かけると、娘は、「あれはネーコ、ネーコ、大丈夫だから」と云って、一所懸命に私に、教えてくれていた。

今でも、私は、道で猫を見かけると、「あっ、虎の赤ちゃんだ」と、その当時の娘との会話を想い出す。

道路を横切る猫の姿は、やっぱり、大きくすると、虎そのものに見える。

「逃げろ! 」、ネズミだったら、そう思っていることだろう。

これも、新鮮な、人生の気づきには違いないと思う。

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August 15, 2014

道行く人達との挨拶の数々、映画のロケでもしてるようで、

先日、朝 8時過ぎに会社へ行く、いつもの通勤の道で、犬を連れて散歩のご婦人が、お早うございますと挨拶してくれた。

また、その駅への道にあるアパートの大家さんのおばさんは、朝、アパートの前の道の掃除をしてらっしゃって、よく道で会うと、いつも、「今日は暑いですね、行ってらっしゃい」とか、挨拶して下さる。

会社のある神谷町の駅を降りて、いつも蜜柑を買う八百屋さんの前を通ると、八百屋のおばさんも、お早うございますと挨拶してくれる。

道行く先々で、お早う、こんにちはと、挨拶をして回ると、何と心地好いことかと想う。

先日は、この3回の挨拶が、その日まとめて集中して、何か、自分が映画のロケでもしてるような場面の気持になった。


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August 14, 2014

"ねのしゃん"、"ミジンコ"、高校時代の名物先生のキーワード、

一昨日、会社終業間際に、三池高校出身の先輩達4人が、銀座の居酒屋で懇親会をしているとの通報が、私の知人からあり、顔見知りの先輩かどうかわからなかったが、私は、とにかく、茶目っ気を出し、駆けつけてみることにした。

お互いに年に一度の東京の大同窓会には出席しているものの、顔見知りではなかったが、私が三池高校の10年後輩だとわかり、大変歓迎して貰った。

英語の内田子之吉先生・通称"ねのしゃん"、美術の鷹尾先生"通称・ミジンコ"、など、三池高校の名物先生の話題で盛り上がり、仲間に入れて貰った。 高校の門の前の草木饅頭屋の話なども。

その会の方々は、三池高校同窓で、早稲田大学も同窓で、石油会社、エンジアリング会社、銀行などのOBの方々の集まりだった。 話を聴いてみると、アラブとも深い縁があり、奇遇な出会いでもあった。

それにしても、私も、夕方の情報で、即、銀座にすっ飛んで行って、知らない人の会に、「こんにちわ」って入って行くとは、いい度胸しているもんだと、我ながら関心する。 ちょっと、馬鹿じゃないかとも想う。

想い出し笑いもしながら、それも、一つの縁であったかも知れないと思う。


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August 13, 2014

南アフリカ、マンデラ氏の崇高な離婚

南アフリカの人種差別政策に対抗して戦ったネルソンマンデラ氏が武装闘争、長年の投獄を経て、その後、白人とも和解し大統領になった映画を時折想い出す。

共に戦って来た妻が、頑なに武装闘争の継続を主張する時、マンデラ氏は、離婚して、白人との協調の道を選んだ。

仏性に目覚めた時、家族が崩壊しても、仏性の道を進むことの崇高さを想う。

家族から、愛することを学び、その愛は、人間全体へ拡がり、宇宙一杯に拡がって行く。

親子の愛が無ければ、家族がなければ、愛を学べない。 だが、その愛が家族に留まり続けるならば、家族もエゴの象徴になることさえあると想う。

真実の愛なら、宇宙一杯に拡がり、恐れを知らない。 私は、マンデラ氏の離婚を、崇高な離婚だと想う。


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August 12, 2014

蝉と云う菩薩、道端に転がって、そして宮沢賢治の世界に、

夏も盛りのこの頃、毎年の光景であるが、道路で堂々と転がって死ぬ蝉達を見るようになった。

蝉の死骸は、アリ達がよく運んでいる光景を見掛ける。蝉は、自ら目立つ場所で、他の生きものに食べよとばかりに、大の字に、堂々と死骸をさらす。私は、余りの潔さに、いつも心を打たれ、手で拾いあげ、近くの茂みに葬ってあげる。

宮沢賢治の作品にもある。イタチに追われたサソリが井戸に落ちて死ぬ時、ここで溺れて死ぬくらいなら、イタチに食われて死ねば好かった。イタチは、もう一日長生きできたであろうにと想う物語。

昨日の朝、通勤時、東京でも今年初めて、ツクツホウシの声を聴いた。夏の終わりの蝉である。何か、子供時代、夏休みの終わりを感じて、寂しかった懐かしい声。 そして、昨日の夜、白楽駅の近くの道で、ツクツクホウシが弱って道路に落ちていた。

私は、昨日、今年初めて、ツクツクホウシに触った。まだまだ、手の平の上で、動けていた。私は、透明の羽のツクツホウシを繁々と眺め、近くの茂みにそーっと置いて、家に帰った。

蝉と云う菩薩が道に転がってらっしゃる。そして、人生と云う壮大な伽藍に、菩薩さま達の合掌の声が響く。


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August 11, 2014

友人から見た親の像、家族には見えなかった像、

16年前、40代で病気で亡くなった会社の先輩の息子さん2人と奥さん、そして昔、その先輩と仲の好かった商社などのご友人6名を交えて、昨日、有楽町で会食した。

その先輩は、同じ九州出身で、私ととてもウマがあって、何時も飲み歩いていた。当時、小さい子供だった息子さんから、生前のお父さんのことを聴きたいと、今年の正月に私にメールがあり、私がその先輩の親しかった友人の何人かの方々に声をかけて、半年後に実現した。

紹興酒も入り、息子さん達に色々、知らなかったお父さんのエピソードを教えてやろうと、中華のテーブルは盛り上がった。

私も、父の友人の方々と、話がしてみたかったなーと想う。

人は、何十面相でも生きていると云う。私も、友人達には、どう写っているのだろうと想う。人は、相互に作用しあって生きていることを想う。

昨日の店は、東天紅。 "東天紅"とは、東の空が明けてゆく時の紅色のことと云う。その早朝に鳴く鶏で、特別によい声で長く鳴く鶏の種類を"東天紅"と云うのだと云う。

東の空が明けてゆく時の茜色、今日も、新しいエピソードをつくりながら、人は生きてゆく。


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August 10, 2014

東横線、神に引き戻されて、中目黒?

8月8日・金曜日の朝、東横線で横浜方面から中目黒・乗り換え日比谷線で神谷町へ通勤の途中、自由が丘09:22まで覚えていてウトウトと寝込んでしまった。気づいたら、中目黒の次の代官山、飛び起きて慌てて電車を降りると、何と、私が降りたその電車は、私が乗った逆方向の横浜方面行きの電車だった。

ホームに降り、また、その電車に飛び乗り、中目黒に到着、09:45の時刻。 渋谷方面行きに乗った私が、ちょっと寝こんだ間に、反対方面の横浜方面行きの電車に乗っていたのだ。

訳のわからないまま、出勤し、10:05に出社、ちょっと遅刻。 狐につままれたようだった。いよいよ、私に心霊現象のようなものが出たのか? まさか、とかまで想った。

最近、東横線の電車は渋谷で終点とならず、埼玉方面まで繋がり、乗り過ごしたら、新宿、川越方面へ行ってしまう。

昨日の朝、真相を確かめるべく、東横線の駅で、詳しく時刻表を見せて貰ったら、私が寝こんだ電車は、09:36渋谷に到着、珍しく渋谷で折り返し、09:41渋谷から横浜方面に出発。 09:43、代官山時点で、私は気づいたのだった。

寝込んで失敗はしたのだが、まるで神に引き戻されたかのように、最小限のロス(10分くらい)で、済んだことになる。

私の今までの人生も、数々の失敗もあるが、何時のまにか、神に引き戻されて助かって来たように想う。自分が進んだ道の反対の道に、いつの間にか引き戻されて、結局助かっている自分にも気づかされた。

神に引き戻されて、中目黒。何かに守られているような気持まで想い出させてくれる、可笑しな気づきのエピソードであった。

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August 09, 2014

"試練は神仏の加護"、

昨日、入院中の住職から、皆へのメッセージが届いた。

"試練は神仏の加護"、 と云い切られる言葉が、日頃の住職の力強さが溢れていた。

住職の師匠・原田湛玄老師の師匠の原田祖岳老師の声で、「大悟大徹」が聞こえるとおっしゃる。

「小さな生悟りに満足するな」と。

私は、「大悟大徹」と云う言葉の深い意味を、知りたくなった。

「晴れた虚空如くにして、十方清浄なるも、悟にあらず」

調べて行く内に、そんな言葉にも出逢った。

住職は病床にあっても、私は、いつもの通り、住職と心の中で会話をさせて貰っている。

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August 08, 2014

蝉に逃げられて歓び、

昨日、通勤で家を出てすぐの時、家の近くの木に、ミンミン蝉が鳴いていた。

鳴いているのは、ちょっと木の低い位置でもあったので、私は、素早く近付いて、勢いよく振動しながら鳴いているミンミン蝉を見た。

如何にも恐れを知らない大胆さに、私は、こしゃくな蝉めと思って、さーっと手を伸ばして、捕まえようとした。その瞬間、間髪を入れず、蝉はスルリと身を返して、さっと飛び去った。

私は、空の手の平を見て、むー、敵ながら、天晴れだと思い、嬉しくなった。最近は、手ですぐ捕まる蝉が多くて、このように、私の業を素早くかわして逃げ切る蝉は、見た事がなかった。

私は、蝉との勝負に負けて、尚嬉しい気持を味わった。 それは、蝉の塚原卜伝に出遭ったようなものだと想った。佐々木小次郎が、武蔵に負けた時、自分を凌ぐ剣豪に出遭って一瞬嬉しかったのではないかとさえ想った。

蝉に逃げられて、歓びを感じるとは、やはり、それも、蝉と沢山の勝負を経て来た蝉取り名人の私の境地でもあろうか? 今日も、私に、挑んで来る蝉がいるだろうかと思いながら、出勤するとしよう。 ところで、蝉取り名人を英語で云ったら、"セミプロ"?、何だか、間が抜けている。


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August 07, 2014

パチンコ、補償金、そして働くことの意味、

昨日、昼休み、会社のビルのエレベーターの中で、他のビジネスマン二人の、ほんの数秒の会話が、耳に入り、強烈な印象を残した。

津波と原発の被災地で、パチンコ屋が繁盛している。一人月・10万円くらいの補償金を貰い、一家4人なら月・約40万円、職もなく、もう職が見つからなくても、毎日、パチンコでもして暮らすとかの生活に慣れてしまった人達もいる。

、、、、、、。 この状況から、何をメッセーッジとして受け取るかを、私は深く考える。

補償は近代国家の人道的な、社会的義務。だが、同時に何かが大きな、人間の煩悩の落とし穴が、また二重災害を引起こしていることに気づいた。

遊んで暮らせることは人生の理想。 誰かが援助してくれるなら甘えて、娯楽でも楽しみながら生きていきたいとか、誰しも、漠然と考えているかもしれない。だが、被災地のパチンコは、辛い現象。

例え給料は安くても、何か働くことで、与えて貰う精神の安定があることに気づかされる。

"苦しみ、作務、祈り"、、、、、無学な人でも、お経など読まなくても、これは、涅槃に至る道だと住職に教えて貰ったことを想い出す。それは、"妙好人"と呼ばれる高僧のこと。

"作務"、ただ黙々と、やらねばならぬことをやる。 お金にならなくても、何らかの社会活動をして得られる安らぎは何なのか?、 それこそ、私は、"自他一如"の仏性が成せる耀きだろうと想う。

被災地の人達の、二重、三重の試練を想う。


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August 06, 2014

1669年 アイヌ、シャクシャインの戦い、

先日、北海道・稚内へ旅したことがきっかけで、アイヌ民族のことが、大変気になり、勉強を始めた。

1669年、日高地方のアイヌのリーダー・シャクシャインは、侵略して来た松前藩の圧政に耐えかね、全アイヌを率いて、反乱を起した。シャクシャインは勇敢に闘い、和人を苦しめたが、和議と見せかけた謀略により殺されてしまう。

その後、アイヌは益々虐げられ、土地も財産も文化も失われて行くことになった。

"北方四島は、日本固有の領土である"とは、よく聞くが、ロシアでもなく、日本でもなく、それは"アイヌ本来の土地"であったと云う記述に出会って、私は衝撃を受けた。

オーストラリアのアボリジニー、米国大陸のインデアン、日本のアイヌの人々、、、、、。

善良な豪州人、優しいアメリカ人、礼儀正しい日本人の裏に、遠い昔の歴史の闇の部分を想う。

今まで知らなかった1669年シャクシャインの戦いを覚えておこうと想う。


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August 05, 2014

"一指頭の消息"、 胸の前に指一本をスーッと立てる時の安らぎ、

住職は、先日、軽い脳梗塞で倒れられた時、救急処置が終わり、救急処置室に弟子が入ると、ベッドに寝たまま、指を一本立てられ、「これがあるから大丈夫」と仰ったと云う。

私は、日頃、住職から何度も聴いた「一指頭の消息」の境地に感激し、パツーと涙が溢れた。

これが、修行そのものの形だと想った。

一本の人指し指を、胸の前で立てる時の、全宇宙と一体化した強さ、安らぎを、私は、想起した。

「風なきところに、炎の揺らぐことなし」

無常・無我・涅槃が、立てた指の先に、輝いている。

その光景を、私は、心の世界で、はっきりと映像に結んだ。

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August 04, 2014

夏祭りの頃、無一物から始まる朝、

昨日も一昨日も、今年は、地元の夏祭りには、時間が取れず行けなかった。それでも、公園に建てたやぐらの周りの盆踊りの情景は、はっきりと、想像でき、想像の世界では盆踊りの輪の中にさえ入った。

去年見た長岡の花火でさえも、想像の世界の中で、はっきりと情景が浮かんだ。

色々な人生の体験を経て、外の現実の世界は、必ずしも必要としない、自由な想像の世界が広がっていることを感じる。

昨日、(会社退職後)上海語学留学中の高校時代の同期の一時帰国に合せて、横浜で同期会をした。私が、高校時代マラソンの練習に熱心だった頃のエピソードなど、友人に云われると、陸上競技場で走る私の姿さえ、はっきりと想い出せた。思春期の精神状態でさえも、想い出すことができた。

今は、ただ、身の周りで起こること全てが、神の領域のように、私は、ただ眺めているように感じる。

元々、無一物の私が、その日その日の恵みを受けて、サラサラと生きているような気がする。毎朝・毎朝、自分が、無一物からスタートしているように感じる。

2014年、夏祭りの頃。


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August 03, 2014

至道無難(しどうぶなん)、唯嫌揀択(ゆいけんけんじゃく)

「至道無難(しどうぶなん)、唯嫌揀択(ゆいけんけんじゃく)」, 達磨太師から数えて三代目・三祖大師の"信心銘"の冒頭の言葉は、天城の禅道場・"一灯禅林"の早朝の空気の中で、何度も唱えた言葉。

「道に至るのは、決して難しくない。ただ、好き嫌いさえやめれば」。

何万巻の経典を読破しても、真理は、単純にして美しい世界だと想った。

"好き嫌い"は、"私"の証拠、修行は"私"を消して行く作業。

自と他が別れていること、好き嫌いの苦しみが、即ち"生きる苦しみ"。

"至道無難、唯嫌揀択"を、今朝も蝉の声を聴きながら噛み締める。

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August 02, 2014

絵葉書の力、エゾクロテン、利尻富士、

私は、先日の稚内の旅の時、利尻島で数枚の絵葉書を買った。

一番気に入っているのは、雪の穴の中から、顔を出した、エゾクロテン。雪国のオコジョに似ている、イタチのような生きもの。

こんな生きものが、この世で、ただ生きている様子を想像するだけで心が和む。私は何も関わらずとも、ただ、他の生命を祝福する歓びを教えてくれる。

それから、朝日を浴びたヒマラヤの山頂のような利尻富士、雪に覆われた険しい岩山の形をした山頂付近の写真。雪が朝日を反射する、その耀きが素晴らしい。

いつも、ただ新しい、清々しい一瞬が始まっていることを想起させてくれる。

2枚の絵葉書も、禅の境地を教えてくれている。

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August 01, 2014

愛の極致、住職の法話、

最近、住職の法話で、”愛の三角形”と云う話を聴いた。

「愛は取引きをしない」、

「愛は恐れを知らない」、

「愛は競争者を知らない」

ヴィヴェーカナンダの”愛の極致の思想”を、住職は、熱っぽく語ってくれた。

エゴと云う煩悩から解き放たれた愛。

愛別離苦を乗り越えて、住職は、究極の愛を語ってくれた。


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