友人から見た親の像、家族には見えなかった像、
16年前、40代で病気で亡くなった会社の先輩の息子さん2人と奥さん、そして昔、その先輩と仲の好かった商社などのご友人6名を交えて、昨日、有楽町で会食した。
その先輩は、同じ九州出身で、私ととてもウマがあって、何時も飲み歩いていた。当時、小さい子供だった息子さんから、生前のお父さんのことを聴きたいと、今年の正月に私にメールがあり、私がその先輩の親しかった友人の何人かの方々に声をかけて、半年後に実現した。
紹興酒も入り、息子さん達に色々、知らなかったお父さんのエピソードを教えてやろうと、中華のテーブルは盛り上がった。
私も、父の友人の方々と、話がしてみたかったなーと想う。
人は、何十面相でも生きていると云う。私も、友人達には、どう写っているのだろうと想う。人は、相互に作用しあって生きていることを想う。
昨日の店は、東天紅。 "東天紅"とは、東の空が明けてゆく時の紅色のことと云う。その早朝に鳴く鶏で、特別によい声で長く鳴く鶏の種類を"東天紅"と云うのだと云う。
東の空が明けてゆく時の茜色、今日も、新しいエピソードをつくりながら、人は生きてゆく。