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July 31, 2014

想像力の中で会話しながら、

人は、想像力の力で、日々、色々な人との会話しながら生きていることに気づいた。 道元との時間、仏陀との時間、イエスキリストとの時間、ヴィヴェーカンンダとの時間、亡き両親との時間なども。

その想像力が、日々を導いていることがわかる。

そう云えば、両親との会話も、現実に過ごした時間より、心の中は、何倍も、何十倍も会話しながら生きていることに気づいた。

今朝、すずめの声に気づいた。朝の空気に気づいた。五感は、その想像力に従う。

今日、想像力の世界で誰に会うのかが、私の人格を決めているのだと想う。


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July 30, 2014

都心に、"蝉の補導係り"登場、

昨日の朝、通勤途上、都心の会社そばの街路樹で、沢山ミンミン蝉が鳴いていて、低い位置にも、人間を警戒せずに鳴く一匹の蝉を発見。

私は、素早く、蝉の後ろに回りこんで、サッと手の平でキャッチ。 ほんの一瞬の出来事。蝉は、パニックになり、けたたましく鳴く。 私は、大勢の通行人の前で、蝉に騒がれ、たまらず、即、解放。 蝉は、一目散に高く飛び去った。

ほんの一瞬の出来事なのに、何か自分が野生に返ったようで、可笑しかった。数年前、オフィスに、蝉を手に持って、会社に出たら、アラブ人が、恐がって、早く逃がしてくれと懇願された。

毎シーズン、私は、何回か、蝉を手で捕まえる。 我ながら、何にもならないことだが、捕まえたくなる。 それでも、暫くして逃がす。 蝉を捕まえて、蝉に、"そんなところで人間をナメテ鳴いてると危ないぞ"と、諭して逃がしてやる。

子供時代は、籠に入れて暫く飼って、眺めて喜んでいたが、大人になってからは、すぐ逃がしてやるようになった。云わば、不用心な蝉の補導員みたいなものである。 本能って、全く可笑しい。

私の母も、子供時代、変な息子だと思っていたことだろう。昨日の蝉の感触が手の平に残って、自慢げに想い出す。私は、故郷で子供時代"蝉捕り名人"と呼ばれていた。


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July 29, 2014

北国の旅の想い出、 映画・"北のカナリア"のロケ地

先週金曜日の昼、稚内空港へ降りる時の草原と海は、人影もなく、北の果てに来たのだなーと感じた。 空港ロビー出口では、ロシア民謡のメロデイーを奏でる美しいロシア人女性の楽団の歓迎、それは稚内からサハリンへのフェリーの旅の宣伝であった。

JR稚内駅そばにあるフェリー乗り場から利尻島へ向う時、対岸の桟橋には、夏場だけのサハリンへのフェリーが停泊していた。(サハリンまで43キロ、5・5時間の旅、72時間以内ならビザ無し渡航も可能とのこと)

利尻島で、旅館(田中屋さん)に着くと、部屋の冷蔵庫には、メロンが冷えていた。旅館でサービスのメロン。初めての体験。 旅館の前には、自転車が何台も置いてあり、自由にサイクリングも楽しめた。夜21時には、希望者を連れて、星を見るスポット案内のサービスがあり、姫沼のそばに連れて行って貰った。漆黒の闇の中で見る夜空、モヤもかかってはいたが、神秘的な壮大な夜空を眺めた。

昆布漁師さんの昆布干し場のそばには、竿に紐が張られて、布がたなびいていたが、それはカモメ除けと聞いた。海の中の大きな囲いには、見学者に見せる為に、ゴマアザラシが泳いでいた。

昔、利尻・礼文のアイヌとか天塩のアイヌとか、地域のアイヌで勢力争いをしていた頃の逸話も聴いた。利尻とはアイヌ語で高い山の意味で、リ=高い、イシリ=山と教えて貰った。 1721mの利尻富士は、アルプスのようにも見え、銘菓"白い恋人達"の包装紙のモデルになった山でもあった。

1800年の初め頃、ロシア船を打ち払う為、会津藩士が、稚内・利尻・礼文島に派遣され、防備に当たっていた歴史も知った。当地で寒さの為、亡くなった会津藩士の墓もあり、今でも、会津の方々の墓参りがあるのだと云う。

私は、沢山の驚きに包まれて、知らない世界が一杯あることが、嬉しく想えた。私が訪れた場所の多くは、映画"北のカナリア"のロケ地になった場所と云う。映画も是非、見てみたいと想う。

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July 28, 2014

北へ、初めての稚内、

週末から、日本の最北端目指して、稚内への旅をした。

稚内は、昔、日本から樺太へ渡る人達の出発の場所であり、また帰還の場所でもあった当時の桟橋が、防波堤ドームとして保存されていた。 私は、満洲に渡った人達のことも想い出し、深く感慨に耽った。

稚内で、遠く樺太を見る丘の上にある氷雪の門の碑、9人の電話交換手の乙女達が自決した悲話、その記念碑も見た。 「みなさん、これが最後です。さようなら。さようなら。」と云う言葉が、ずーっと心に残る。

利尻島は稚内からフェリーで約1時間半のところにあった。利尻富士は海抜1721メートル、姫沼の湖面に写る"逆さ富士"に、暫し、言葉を忘れた。利尻島にも、礼文島にも、ゴマアザラシやトドが通年いると云う。礼文島はエーデルワイスなどの様々な高山植物、花々の咲く、"花の島"とも云われる島であった。

アイヌの物語に、縄文時代の人々のような生活を感じたり、私が、今まで、全く知らなかった、旅の趣きであった。

北の国の、新鮮で、純朴な世界の発見に、私は、時間を忘れた。 また、子供時代に置いて来たような好奇心が、また蘇るようでもあった。 このような旅は、疲れることなど考えられない程の、生きていることの歓びの旅でもあった。

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July 27, 2014

無言館・窪島誠一郎さんの"母の落花生"、

先日の朝、出勤前、近所の洗濯屋さんへ行った時、立ち寄ったコンビニでPHPの小冊子に目が留まり、購入して電車の中で読みはじめた。 長野・上田にある、戦没者・画学生達の全国の作品を集めた"無言館"の館長をしておられる窪島誠一郎さんのエッセイ・"母の落花生"に、、、、涙を堪えながらの電車の時間となった。

窪島さんは、作家・水上勉さんとかつて同棲していた益子さんの子供(昭和16年生まれ)であるが、窪島さんが2才の時、夫婦が破綻、窪島家に引き取られて行った。

戦後30年経った時、昭和52年、窪島さんは母と再会、お母さんは、謝ってばかりだったと云う。再会後は、一度ホテルで食事をしただけで、「会いたい」と云って来る手紙に、窪島さんは、一度も返事を書かなかったと云う。

その益子さんが自宅で自殺したのは、平成11年6月末だったと云う。 義妹は、窪島さんに心配させまいと、母は心臓発作で亡くなったと云っていたと云う。

母の81才での自死を知った晩、母が死ぬ前に送って来た落花生を想いだして袋を開けた。落花生は母の故郷・千葉の名産で、毎年、秋になると、必ず送って来ていたものであった。

窪島さんは、"母の落花生"に、涙が止まらなかったと云う。

人は、何かメッセージを伝えて生きている。

(2014年7月25日の記)


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July 26, 2014

カーリー神、エゴ性の放棄の為の神、

何故、おぞましい程に恐いカーリー神が、古代から人間の信仰の対象にあるのか、私は、不思議なままで、生きて来た。

カーリー神の世界は、人々に地獄でも大丈夫と云う、絶対大丈夫と云う世界を垣間見せてくれるのだと云う。

悲惨な人には、悲惨な神しか拝めない。

穏やかで柔和な神しか拝めない人には、理解するには、大きな限界があるようにも感じる。

カーリー神は、完膚無きまでにエゴ性を放棄する為に、手助けしてくれる神と云う。

私は、カーリー神の輪郭をつかみたいと、カーリー神を信仰する住職に、質問をして得た感触。

カーリー神を信仰するインドの人々の神秘に少しでも、近付いてみたいと想う。

(2014年7月25日の記)


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July 25, 2014

青虫、サナギ、蝶、全く違う生きものの神秘、

蝶は、成長の過程で、青虫からサナギに変り、サナギから蝶に変る。このような丸っきり違った形に変化する生物の神秘について、改めて知った。

青虫は葉っぱを食べ、蝶は蜜を吸う。食べ物も変る。 青虫の時の器官を、蝶の時は何一つ使っていないのだと云う。

その間に、サナギと云う、また、青虫とも、蝶とも、似つかわぬ硬い殻に覆われた、不思議な静止した期間がある。

同じ生物が、このように完全に形を変えて生きていることの神秘に、改めて気づかされた。 まるで、前世と今世を一緒くたにして、生きている様子が見えるようで。

また、"生きていて死んでいて、死んでいて生きている"と云う、禅の境涯を想像する時に好い。

過去は青虫の時代、一日が終わり就寝の時はサナギの時代、朝目覚めたら、毎朝が羽化して蝶のように、飛び立てたら、さぞ新鮮なことだろうとも想う。

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尿酸値対策、即ち肥満対策、

今月は、尿酸値について調べてみました。 尿酸値対策は、肥満対策でもあり、一石二鳥と云うことだった。

―「尿酸値が高い人が読む本」鎌谷直之著、主婦と生活社から抜粋―

1. 尿酸: 肝臓で合成される窒素化合物。 古い細胞の残骸や、エネルギーの燃えカス。
2. 尿酸を上昇させる危険因子: 肥満、 大食: アルコール、 過激な運動、 ストレス。

3. 尿酸の原料は、「プリン体」と呼ばれる低分子化合物。 代謝活動の老廃物や飲食物の中にも含まれる。 食事に由来する尿酸は、代謝作用に由来するものと比べると、はるかに少ない。

4. 痛風が進行すると、腎臓や尿路に異常が発生する。

5. 尿酸値が高い人に多く見られる合併症、高血圧。→ 塩分を控える。
インスタントラーメン、レトルト食品、ハム、ソーセージ、チーズ、かまぼこ、ちくわなどには塩分が多い。 塩分の摂り過ぎは、ガンの危険も増す。

6. 肥満防止のための食べ方
(1)一日3食規則正しく: 食事の回数が少ないと体脂肪が合成され易くなる。
(2)低エネルギーのおかずから食べる: 食べすぎを防ぐ。
(3)ゆっくり噛んで食べる: 早食いは満腹感を感じにくい。
(4)原則は腹八分だが、夕食は腹七分くらいが好い。
(5)夜9時以降の飲食は止める。脂肪になる。
(6)間食・お酒は控える。

7. 尿酸値が高い人には、和食の奨め、
(1) アルカリ性食品を摂る、: 肉を控え、野菜・海藻を、
(2) 肉食欧米型より、おふくろの味の和食中心がベター、

8. 尿酸値をコントロールする生活。
(1) 適度な軽い運動を継続して行えば、体重も尿酸値も下がる。
(2) 水分を多めに摂って尿量を増やす。就寝前の水分補給も大事。 以上

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July 24, 2014

今年も不図気づく蝉の声、

数日前、通勤途上、都内の街路樹から聴こえてくる蝉の声に、今年、初めて聴く蝉の声だなーと想った。

毎年聴く蝉の声、「よく来たなー」と、客人を迎える気持で聴いた。

去年聴いた蝉とは、別人の蝉だが、その両親達とは知りあいの私。

いや、もしかすると、私も、今年は、去年の私の子孫なのではないかとも想う。

"いい人でした"と去年の私を弔って、今年の夏に私も、別人として、同じ声で、ミーン、ミーンと鳴いたら、さぞ面白かろうと想う。


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July 23, 2014

致命傷か、かすり傷か、と云う気づき、

夜回り先生・水谷修さんの24時間体制の命の電話が、東日本震災の時、電話回線もストップして電話を受けれなくなった時のことを、先日の円覚寺の講演の時に話してくれた。

スタッフ達は、一刻も早く、被災地に何か手助けをしに行こうと言ったと云う。命の電話を早く復帰させることも大事だが、この電話に助けを求める若者達は、苛められたとか、死にたいとか、恋人に捨てられたとか、全部自分のことばかりが多いじゃないですか?、被災地は、自分のことより、大勢の他の人の苦しみ、他の人の為に苦悩している人達が沢山いると。

以前、命の電話にもお世話になるような若者達が、自分のことより他を優先するような菩薩の境涯の素晴らしさに共鳴している言葉だった。

自分のことで悩み苦しみが一杯であってもよい、人間誰しもある。それは自分ではどうしようもないこと、それは致命傷に思え、死にたくもなる。

自と他の境界がなくなり、他の深い苦しみが自分の苦しみとなった時、見えて来る光景は一変する。今まで思っていた自分の苦しみが、小さく消えて行き、致命傷であったことが、かすり傷にも見えてくる瞬間である。

私の苦しみは、私自身のエゴの苦しみなのか、他を救わんとしての苦しみなのか、常に自問する。

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July 22, 2014

合言葉は、"一人も死なせない"、水谷修さん、

19日から昨日まで、3日連続で早朝から鎌倉円覚寺の夏季講座に出た。20日の朝、私は、夜回り先生と云われている水谷修さんの講演を初めて聴いた。 彼は、持ち時間の70分、1分も惜しまず、彼が、これまでに、現実に見て関わって来た若者達の地獄を語ってくれた。

彼は、2004年から、24時間体制の電話相談を開設し、彼が救った若者6人がスタッフとして働いているとのこと。受けた電話は80万件、合い言葉は、"一人も死なせない"。

水谷さんがこれまでに関わった若者は25万人、それでも彼は、その中で134人が自殺して、7人が殺人を犯したことを、間に合わなかったと口惜しがる。

人は"怒り、貪り、無知(愚痴)"との縁に触れて堕ちて行く。

彼は、一日に何か、路地の草花でも好い、何か美しいものを見付けて下さいと云う。美しいものは強いですと。

何度メールや言葉で愛してると云っても無駄です、会って、言葉ではなく、伝わるものですと彼は云う。

昨日の午後、私は、坐禅会の帰り、住職と喫茶店に入り、話した時、住職に水谷修さんのことを話した。住職の反応に、私は、何か通じるものを、はっきりと感じた。

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July 21, 2014

無常・無我・涅槃、から見た現世の様相、

私の高知の友人が、1年半前に云った、生物界の観察の言葉と、奇妙に、仏法の言葉が、ぴったり合うような気がして、驚いた。

地面の下でも、生物達の"弱肉強食"が行われているが、これは、時に、"命の紡ぎ合い"とも見え、いや、また"新陳代謝"とも見えると、私の友人は云った。

"弱肉強食"と見る人は"無常"を感じ、"命の紡ぎ合い"と見る人は"無我"を感じ、"新陳代謝"と見る人は"涅槃"と相応するのではないかと、私は思った。

人生に於いては、一つの目に執着せず、三つの目で、複眼的に見て生きれば好いのだと想った。

仏法の三宝印、"諸行無常"、"諸法無我"、"涅槃寂静"が、友人の言葉と奇妙に、繋がる想いがした。

一つの事象を、三つの光を当てて、見ていることだと云う。

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July 20, 2014

揺らぎて風流、鎌倉2014年夏、円覚寺夏季講座、

昨日から、恒例の鎌倉円覚寺夏季講座が始まった。朝、7時前から横浜の家を出発、毎年見慣れた、円覚寺の方丈の庭を見ながら、午前中、法話を聴いた。

横田老師の法話では、「ハイ」と云う素直な返事は、自我を捨てる響きがあるとの見方に、共感した。

仲野好重(よしえ)さん、人間塾塾長の話は、彼女自身が何度もフィリピンのスラム街に寝泊まりした体験に、驚いた。貧しい人々が、豊かな日本から来た客人に、精一杯のもてなしをしてくれる心に打たれたと云う。

芥川賞作家の玄侑宗久氏は、"風流"について語った。 人生は全て、想定どおりにはならない、必ず人は揺らぐもの、その揺らぎ方が個性があり、"風流"と云う味わいなのだと彼は説いた。

何かにつまずいて転んだとしたら、その時にも、自ら"風流だな"と呟けば、転んだ痛みも和らぐとの話に笑った。

全ての揺らぎが夫々の"風流"、風流が集まって、"風格"を造ると云う。

朝、早く起きて、鎌倉へ行く自分も"風流"、想い通りにならぬことも確かに"風流"、盆栽の見事な枝振りのようでもある。 今日は円覚寺講座の後は、江ノ島の海を、風流に味わおうと想う。

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July 19, 2014

JR東海(名古屋)健闘を称える、東京ドーム、

昨日、会社終了後、何十年振りかで、都市対抗野球を見に、東京ドームへ出掛けた。

横浜市代表・JX日鉱日石エネルギーは、3連覇を狙う強豪、名古屋代表・JR東海と初戦を交えた。初回、JR東海の1番バッターのライトへのホームランは豪快だった。JR東海は、4対1とリードして、8回を迎えた。

そこで、8回、横浜の強豪らしいJXの猛攻で、3ランも含み、一挙4点、5対4と土壇場で゙逆転、3連覇を狙う強豪らしい闘いだった。

応援席の盛り上がりに、私も、若い頃、都市対抗野球に何度応援に行ったことか、懐かしい時代を思い出した。

JR東海(名古屋)も、最後まで、ヒットを連打、9回終了まで、互角の闘いをした。

5対4で、横浜が勝ったが、試合終了後、お互いの応援団が、お互いの健闘を讃えて、エールの交換をする時、私はその礼儀に、やはり感激した。

武士道で闘う。 共にかっこ好かった。

久々の都市対抗野球、多くの友人達とも会え、ビールが美味かった。

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July 18, 2014

通勤途上の八百屋立ち寄り、

私は、都心で、地下鉄を下車して会社へ向う途上に、小さな八百屋によく立ち寄り、柑橘類を買って、会社へ行くのが習慣になった。八朔の季節は終わり、今は夏みかん、4個くらい入っているのを買って、週2回は立ち寄る。オフィスで、朝、みかんを食べるのが、香りも楽しめ、心地よい習慣となった。

昨日は、ローラー付きのアタッシュケースで出勤途上、立ち寄ると、妙に、中くらいの大根(130円)が、アタッシュケースの仕切りの溝にぴったり入るように見えて、丁度、大根おろしように買いたかったので、茶目っ気を出して買ってみた。大根が書類と共に、ぴったりとアタッシュケースに収まった。

八百屋の女将さんは、つくづく変なサラリーマンだと、思ったことだろう。いつも、冗談を交わしているから、私の行動にさほど驚かなかったかも知れないが、先ず、会社に蜜柑ならまだしも、大根を持って行くのは、余りいないだろうと、内心、ニヤニヤ。

昨日夜、もとの会社のパーテイーがあり、出席した時、私のギャグなどに関心がある後輩が、近付いて来たので、帰りがけに、私の外資系ビジネスマンのアタッシュケースの中味を見せてやると云って、朝八百屋で買った大根を、彼に見せてやったら、爆笑。

やっぱり、驚きは、エネルギー。

毎日、何か、驚きが落ちていないか、捜している自分が可笑しい。

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July 17, 2014

満洲、長崎、大地の子、

私は、2002年、会社を途中で、依願退職してから、父が住んだ満洲・鳳城、や母が住んだ満洲・ハルピンにも旅した。 母の実家の長崎の京泊、外海町にも旅した。

私が、自分の心の中に寺を建てるとしたら、"鳳凰山・外海寺"と云う名前も好いなーと想う。

満洲・鳳城の街には、鳳凰山が聳える。父の手記に出てくる鳳凰山の光景は、今ではいつでも想い出せる。

長崎・外海町は、海を見下ろす丘の上に遠藤周作記念館がある。段々畑と広大な海の光景。

私は、満洲に、両親の人生を想像する。 そして母の故郷の長崎の海の光景に安らぎを感じる。

私は、満洲の大地にも、長崎の大地にも、安らぎを感じる。

私は、大地の子と想う。

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July 16, 2014

家族愛を拡げる力こそ人格の向上、それが修行、

他の人々への、好き嫌いの差を乗越えて、家族のように、思えて来る時、安らぎが広がる。

先ずは、家族を幸せにと誰しも願う。 それは、自然で、当たり前の心。 抑えることはない。

一方、その家族の縁から離れた人は、どう生きて行けば好いのか? 家族の無い人を放置して、家族のある自分が隔絶した世界で幸せになることが、すっきりと出来るのか? 自問する。

他への思慮を欠いて、家族だけ、恋人だけに限定された執着は、愛の対極にあるもの。 それは、エゴ。 宇宙の本質は自己犠牲、無我だから、そんな宇宙が、どうして、特定の家族を、エゴの塊を守れようか? それは、無知無明の世界。

家族への愛を他へ拡げること、それは、自他一如ヘの道、仏性への道。 家族愛を拡げてこそ、修行が始まるのだと想う。


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July 15, 2014

明治日本の産業革命遺産・国際会議、レセプションにて、

昨日、夜、ホテルオークラの平安の間で、産業遺産国際会議のレセプションがあり、地元先輩の紹介で、参加してみた。会場は、世界遺産の登録申請を目指す九州・山口の遺産候補の自治体の方々、地域の方々とかの熱気が溢れていて圧倒された。

候補を見ると、私の故郷の三池炭鉱関連、長崎造船所、グラバー邸、八幡製鉄所、山口松下村塾などもあり、その英文資料を今朝、読みながら、明治日本の産業勃興のルーツに、改めて、力強さを感じた。 日本が植民地化しなかったのは、これらの産業力で欧米列強に伍して行ったからだと想うと、これらの産業の遺産が、愛おしく想えた。

レセプションには、安倍総理も駆け付け挨拶した。山口出身の彼も、熱っぽく長州の偉人達、明治の産業の果たした役割を語った。

会場では、偶然、某大手石油会社の会長と会い、話したら、何と北九州出身で、私の故郷・大牟田付近にもよく行っていたとか、そんな話題での会話が愉しかった。

二次会では、約60人くらいで、現大牟田市長・元大牟田市長などとも懇談出来、大牟田を愛する気持を十分に感じた。元大牟田市長は、現在・横浜にお住まいで、帰りの電車で、ずーっと大牟田の話題で話し込んだ。

昨日は明治日本の凄さを肌で感じ、また、新旧大牟田市長との懇談なども出来たことが、思いがけない縁であった。


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July 14, 2014

200年後のための木を植える、伊勢神宮、

伊勢神宮では、20年に一度、式年遷宮と云う、社の建て替えを行う。その度に、200年前のような昔に、植えられた大木を伐採して建材として来た歴史がある。

今年も、200年後に伐採して使うために、植樹がされたと聞いた。

200年後の子孫の顔をイメージして、木を植える気持ちは、考えるだけで、素晴らしい。

生生世世(しょうしょうせせ)、生まれ変わり、死に変わり、200年後の私の顔を想像して修行するのも、素晴らしい。

今日あるのは、200年後のため。

200年前の江戸時代、1814年、今の私を夢見ながら生きた先人のことを想う。

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July 13, 2014

自己犠牲の象徴、無我を唱える安らぎ、

先日、住職から、交通事故で子供を亡くされた、あるご両親は、仏像を拝む気持ちにはなれなかったが、ある時、教会でキリスト像を見て、初めて安らぎ、信仰心に目覚められたと云う話を聴いた。

痛ましい十字架のキリスト像には、自己犠牲の象徴がある。

また、住職が若い頃、寺で修行されてる頃、近所の犬が道路で交通事故で死に、その死体を、可愛そうで抱いて運べなかった時、「南無阿弥陀仏」と唱えたら、安らかに運べる気持ちになれたと云う話も聴いた。

"一即一切、一切即一"、宇宙は全て縁により、関わりあっている点では"無我"。

また、宇宙は"自己犠牲"で成り立っているとも云える。

仏教は"無我"を説く、キリストは"自己犠牲"を説く、言葉は違っても、共に同じ頂上(真理)を見ていると想う。

それぞれの人の五感が、違う言葉を使って表現しているのだと想う。


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July 12, 2014

毘沙門天、六文銭、武将の強さが滲み出て、

上杉謙信は、仏を護る四天王の中で、北を護る毘沙門天の一字、「毘」を、軍の旗印とした。

他国の領土を奪わず、義のために戦った。戦国の私利私欲の弱肉強食の世の中に、仏の鉄槌を加える意気込みで戦ったから、天下無双の強さだった。

仏を護る"毘沙門天"の気概であったからこそ、強かったのだと思う。

真田雪村の軍は、三途の川の渡し舟の船賃の「六文銭」を、軍の旗印とした。

三途の川を渡る覚悟で、常に圧倒的な強者と戦って、強者に何度も一泡吹かせて、人生を終えた。

共に、強さが、今でも、私の想像力の中で、圧倒的に迫る。

自分の人生も、仏の化身として毘沙門天の様に、また六文銭を懐に生きれたら、本望だと憧れる。

直江津の春日山城、信州・上田城、数年前に旅した時の情景を想い出しながら、私の人生も大いに鼓舞される。

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July 11, 2014

ごめんなさい、ありがとう、修行の究極の言葉、

「ごめんなさい」と云えば、「ごめんなさい」を繰り返して行けば、いつしか、エゴが崩壊して行く。

「ありがとう」と云えば、「ありがとう」を繰り返して行けば、崩壊したエゴが生まれ変わって、"一切"として、嬉々として蘇る。

修行の入口は、何度も、何度も繰り返す、「ごめんなさい」の言葉。

そして、生きている間に、あと何回、「ありがとう」を云えるだろうか?

そう考えることは、来世への修行が繋がるような、それが、修行の度合いを表すような、そんな直感がする。

「ごめんなさい」は、気づきの言葉、「ありがとう」は悟りの言葉。

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July 10, 2014

カールブッセの詩、幸せは何処に、

満洲から引き揚げて来られて、苦学して、九州の高校で国語の先生をしておられた先輩の手記にあった"幸せ"に対する気づきの話に感動した。

学校で、「山のあなたの空遠く、"幸"住むと人の云う。 ああ我 人と尋めゆきて 涙さしぐみ帰り来ぬ。 山のあなたはなお遠く "幸"住むと人の云う。」このカールブッセの詩は、学校で教えられても、幸せが何か、中々わからない詩だったが、ハッと気づく井上靖の本があったと云う。

山村のキャンプ場近くに住む老人が、キャンプに来る若者に親切にしていたら、ある時、キャンプファイヤーに加わらないか誘われ、雑談を愉しんでいる時、若者から、「幸福とは何ですか?」と問われる。

老人は、「最後に息を引き取る時、ああ俺の一生は幸せだったなぁと云える人が幸福な人だと思います」と答えたと云う。 そのことを、国語教師として、いつも、カールブッセの詩に、つけ加えて話をしていたとのこと。

そして、国語教師を退職後、"幸"の文字の意味に気づき、新たな幸せの意味を、手記の中で語っておられる。

"幸"の上の部分は土である。下の部分は、草や木が芽を出しかけた形。 二葉と次に出る二つの本葉を表し、下の十の部分は、下へ伸びる根を表している。

草や木が、固い土を破って、今、まさに芽を出そうとしている姿が「幸」と云う文字なのだと云う。

私も、カールブッセの詩に惹かれながらも、意味がわからず生きて来て、先輩の手記を読んで、落ち着いた気持ちになれた。幸せについて語る言葉が、もう、幸せの輪郭を、はっきり映しだして下さってると想った。


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July 09, 2014

七夕(たなばた)と読むロマン、

一昨日の七夕の前に、九州の、満洲の会の先輩から贈られて来た、自作の小冊子の中に、七夕の読み方の由来書かれていて、それは、古代の日本のロマンを感じさせるものだった。

古代から日本では、春・秋のお祭りには、神社に、米・野菜など山の幸、海の幸と共に、蚕から取れた糸で作った布も献上奉納していた。お祭りの前、1カ月くらいから、各々の神社の境内で、村で選ばれた娘が、身を清めて、竹で作られた棚の上で、機織り機で機織りをしたと云う。

その女性を、織姫(おり姫)、棚機姫(たなばた姫)と呼んだと云う。 その女性が、いつしか近くで牛を飼っていた牽牛(けんぎゅう)と恋仲になり、天帝の怒りに触れ、機織りに精進させるために、二人を天の川の両岸に別けられたと云う。

二人は、夕七つ頃になると、天帝が水浴びをされるので、その時、川岸に出て来て、遥かに霞んで見える恋人を見つめ合うだけでした。 (時期は、夏祭りのひと月前の、正月から数えて七番目の月の夕方)

そこに、カササギと云う鳥の大群がやって来て、橋の形に並び、そんな時に、二人はデートすることが出来たのだと云います。

それから、七と云う数時に、特別な意味を込め、七月七日が、棚機姫の恋のお祭りになったのだとか。

昔から同じ数時を重ねるとめでたいと云われ、1月1日、3月3日、5月5日とかあるが、7月7日として、七夕を "たなばた"と呼んだのだと云う。 また、天上の1日は、地球上の1年に当たるとも云われています。

七夕が、どうして、"たなばた"と呼ぶのか、満洲の会の先輩が教えて下さった古代日本のロマンです。

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July 08, 2014

不動明王、故郷の裏山 、恐さと優しさも見えて、

私の故郷・実家の裏山の小さな広場でよく遊んでいたが、その場所は"ふどさん"と呼ばれていた。 その言葉の由来は、不動明王であった。小さな広場は、今では住宅が建ち、随分小さくなってしまったが、子供の頃、恐い顔で見つめていた不動明王が今でも、同じ場所にあり大変懐かしい。

先日、京都で仏像美術館に入ったら、そんな、子供時代から、慣れ親しんだ不動明王が何故か、如来や菩薩像と対比して、心に大変訴えるものがあることを初めて感じた。

如来や菩薩の優しい柔和な顔ばかりでは、人間は導けないことも、何故か、思った。

人間の真っ黒な煩悩の部分、真っ白な仏性の部分は、如何なる人にも同居している。

時には、不動明王に睨まれ、恐い思いになるのも、好い修行の内だと想う。 どんな人にも仏性がある、だが仏性を見せて日常を生きている人は稀である。

だからこそ、人間には、五感六識に振り廻された煩悩の闇は、(暴力をも使いそうな)不動明王の力で、退治しなければならないのだと想う。

そうやって、不動明王を見ると、父であったり、母であったり、また自分の中の仏性がそんな表情をしていたりする。

そして、もはや、不動明王は恐くはなく、優しい導きの顔にも見える。 懐かしい不動明王に心の中で合掌する。


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July 07, 2014

樺太、サハリン、銀河鉄道

最近、私の友人の娘さん夫婦が、サハリン(樺太)に転勤され、サハリンのことが、少し知りたくなった。

南樺太は、1905年日露戦争の後~1945年終戦まで日本が領有していた場所で、ユジノサハリンスクは人口20万人で、昔、"豊原"と呼ばれていた街。

稚内から5月~9月はフェリーが出て、5時間半で、コルサコフ(昔の名前、"大泊")と結んでいるらしい。成田から飛行機なら2時間でユジノサハリンスクへ。

1923年、宮沢賢治は、サハリンの鉄道で、樺太を北上し、銀河鉄道の詩を着想したと云われる。

私も、銀河鉄道の疑似体験の旅に、出かけてみたくなる場所である。

サハリンを知る縁に、心が踊る。

(2014年7月4日朝の記)


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July 06, 2014

南三陸町、未希の家、民宿

東日本震災の時、宮城県・南三陸町の防災放送のスピーカーで、津波避難を呼びかけながら、亡くなった遠藤未希さんのご両親が、最近、南三陸町で、民宿を開業されたと云うニュースを聞いた。

"未希の家"と云う名前とのこと。

娘さんの名前をつけられている。

私の娘をダブらせて想う。

どんな気持ちで、その家に泊まれるだろうかと想像する。

いつしか、泊まりたい宿。

(2014年7月4日朝の記)

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July 05, 2014

「ひろし、負くんなー」、 大器晩成、 母の言葉、

亡くなった母の言葉で、時折、私の脳裏に聴こえて来る言葉がある。 それは、「ひろし、負くんなー」 と云う、私を激励する母の声である。

私は、子供時代、内向的で、一見弱虫であったが、母譲りで意地があった。

小学校・中学校・高校と、いろんな場面で、母は、私に、「ひろし、負くんなー」と云って励ました。

傑作なのは、私が、夫婦喧嘩してる時も、九州から、「ひろし、負くんなー」と、はっぱをかけてくれたほど。

そして、いつもいつも、云い続けてくれた言葉、"ひろしは大器晩成"。 未だに、いつ、晩成するのかわからないが、楽天的、ラテン的で、それで好しと想っている。

今世から来世に、また、幾世にも亘って、修行して行くのだから、それで好しと想う。

(2014年7月4日朝の記)

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July 04, 2014

進学・就職・結婚・出世 と云う罠 、

進学・就職・結婚・出世、これらは往々にして外見に囚われる。それは人生の大きな罠、落とし穴だったことを想う。そしてそれらはエゴの象徴でもあった。誰しも、いずれは、これらに、どれだけ振り廻されて生きて来たことかと思うだろう。

外見上、いい学校に入っても、幸せにはなれない。自らの意思で何を真剣に学ぶか、学びたいのかが、人生で、いずれ問われる。世間体のよい進学など、空っぽの形式に過ぎない。

外見上、いい会社に入っても、幸せにはなれない。自らやっている仕事が、社会に役立っているのか否か、いずれ自問する時がくる。世間体のよい会社に入っても、社会に役立っている充実感がなければ、これも空っぽの形式に過ぎない。

外見上、いい結婚をしても、幸せにはなれない。相手との縁に於いて、お互いに、自らのエゴを捨てて行く歓びがなければ、我ままな、一人ぼっちと同じ。これも空っぽの、形式だけの結婚に過ぎない。

出世は、まさに、エゴの象徴、修行の対極にあるもの。そして外見上の束の間のものを追うようなこと。

人間が、往々にして、こんな外見だけのことに振りまわされ生きていることが、滑稽に思える。振りかえれば、今まで見えなかった罠が見えて来て、こんなに単純な罠だったのかと、滑稽に思える。

外見の価値観の呪縛から解放されて、霊性(内面)の向上の為に精進しようと想う。

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July 03, 2014

27才でアフリカに散った若者、「お母さん、頑張ったとよ」、武辺宏則、

これも、TV報道で知った、世界で知られる日本人の偉業の話だった。

2010年3月、アフリカ・ガーナを訪問された皇太子殿下は、青年海外協力隊の慰霊碑に献花されたと云う。

今から約27年前、長崎県 佐世保市出身の25才の若者・武辺宏則さんが、ガーナの電気も水道も無かった貧乏な村・アチュア村で、焼畑農業しか知らなかった村人に、パイナップル栽培の農業を定着させた話だった。

マラリアに何度もかかりながら、黙々と畑を耕した姿は、焼畑に慣れ、働かなかった地元の男達をも次第に感動させ、意欲的にパイナップル栽培に力を入れて働くように感化されて行った。

パイナップルは、収獲するまで2年はかかり、村民の資金不足が深刻になった時、ガーナ駐在の日本大使館にも資金援助を断られ、各国大使館を訪ねて周り、やっと資金援助を得て、乗りきり、パイナップルの出荷が始まった。

それから、村には、電気も水道も通る様に、豊かになって行った。

彼は、1988年9月に、何と、(27才の日本の若者が)、村民に慕われ、アチュア村の村長に次ぐ、長老に任命された。

しかし、1989年2月25日、村の急病人を運ぶ小型トラックの運転中に、悪路でトラックが横転し、27年の人生に幕が降りたのだと云う。

現在のアチュア村は、欧州にも輸出する程、年間、5000トン ものパイナップルを出荷する豊かな村になったのだと云う。ガーナでは、今では彼の記念碑も建ち、野口英世よりも有名になったとさえ云われている。

長崎に住むご両親は、インタービューで、もし、宏則が生まれ変わって、またアフリカへ行きたいと行ったら、また行かせるとおっしゃっていた。 「お母さん、頑張ったとよ」、と云う長崎弁の声が聞こえるとおっしゃった。

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July 02, 2014

泥の中の蓮の花、武士道と仏性、工藤俊作中佐、

昨日、夜、12チャンネルで、工藤俊作中佐(1901~1979)と云う軍人のエピソードを報道していた。1942年3月、南方スラバヤ沖で、撃沈した英国駆逐艦の乗り組み員422名を、命を賭して救助した話であった。 勝者が敗者を気遣うことを武士道は教えていると云う(惻隠の情)、工藤俊作艦長は、太平洋戦争の真只中、軍律を忘れて、敵の将兵を、命を賭して救助したのだ。

彼は、捕虜となった敵兵に向って、敬礼をして、「君達はよく戦ったと」労ったと云う。そして、無事に、ボルネオの病院へ送り届けたと云う。この工藤艦長の行動は、大本営に知られたら、大問題になり、彼は処分される行為だったと云う。

乗り組み員の生き残りの人が証言している、「我々は、彼に従いました。男が男に惚れていたんです。」

この話を知った、上官の南雲中将は、困ってしまったが、これが知れると、工藤が非国民として非難されると恐れ、この件は、世に出ることはなかったと云う。南雲中将は、それでも、工藤がやったことは正しかったと云ったと云う。

その後、助けられた英国人のフォール卿が、死ぬ前に、絶対に、工藤中佐の墓にお礼をと、2003年と2008年に来日され、全てを語ってくれたと云う。

またその後、今朝、インターネットで検索すると、http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h18/jog458.html、 私は、感動で嗚咽した。

戦争と云う泥の中の蓮の花を想った。 武士道の中にも、仏性を見た。工藤中佐は山形出身、工藤中佐の墓に、私も、是非訪れて、花を供けたいと想う。

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July 01, 2014

今年初めてのスイカ、隅田川の流れ、

一昨日、日曜日、近くのスーパーに小さなスイカが売られていたので、私には買い易く、今年初めてのスイカを食べた。昔、見慣れていた大きさの4分の1くらいの大きさで、小さいが、中味は、昔懐かしいスイカの味だった。それでも、大きくて、毎日、少しづつ食べている。

子供時代、両親兄弟姉妹で、大きなスイカを冷たい水で冷やして、みんなで食べた夏の想い出、家族団欒の象徴だった。スイカの味は、すぐ、母を想い出させる。

今朝も、朝起きて、スイカの味で、夏だなーと感慨に耽った。また、カブトムシはスイカが好きだから、自分がカブトムシになった気で食べると愉しく感じた。

昨日朝は、会社の定期の健康診断で、築地聖路加タワー内のクリニックに出掛けた。そばには隅田川、待ち時間に、ちょっと川辺を散歩して、川面を眺めた。左手の佃大橋から、左から右へと静かな川の流れを見た。

ただ、川の流れを見るだけで、安らいだ。

スイカのことや、隅田川の流れの光景が、今朝は、何故か、坦々と想い出され、新しい日が始まった。


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