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July 03, 2014

27才でアフリカに散った若者、「お母さん、頑張ったとよ」、武辺宏則、

これも、TV報道で知った、世界で知られる日本人の偉業の話だった。

2010年3月、アフリカ・ガーナを訪問された皇太子殿下は、青年海外協力隊の慰霊碑に献花されたと云う。

今から約27年前、長崎県 佐世保市出身の25才の若者・武辺宏則さんが、ガーナの電気も水道も無かった貧乏な村・アチュア村で、焼畑農業しか知らなかった村人に、パイナップル栽培の農業を定着させた話だった。

マラリアに何度もかかりながら、黙々と畑を耕した姿は、焼畑に慣れ、働かなかった地元の男達をも次第に感動させ、意欲的にパイナップル栽培に力を入れて働くように感化されて行った。

パイナップルは、収獲するまで2年はかかり、村民の資金不足が深刻になった時、ガーナ駐在の日本大使館にも資金援助を断られ、各国大使館を訪ねて周り、やっと資金援助を得て、乗りきり、パイナップルの出荷が始まった。

それから、村には、電気も水道も通る様に、豊かになって行った。

彼は、1988年9月に、何と、(27才の日本の若者が)、村民に慕われ、アチュア村の村長に次ぐ、長老に任命された。

しかし、1989年2月25日、村の急病人を運ぶ小型トラックの運転中に、悪路でトラックが横転し、27年の人生に幕が降りたのだと云う。

現在のアチュア村は、欧州にも輸出する程、年間、5000トン ものパイナップルを出荷する豊かな村になったのだと云う。ガーナでは、今では彼の記念碑も建ち、野口英世よりも有名になったとさえ云われている。

長崎に住むご両親は、インタービューで、もし、宏則が生まれ変わって、またアフリカへ行きたいと行ったら、また行かせるとおっしゃっていた。 「お母さん、頑張ったとよ」、と云う長崎弁の声が聞こえるとおっしゃった。

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