悪人はどこに、自分が悪人と気づくことの偉大さ、
世間で誤解の多い、"悪人正機説"(悪人こそが救われ易い)に就いて、親鸞上人の真意を調べていたら、ハッとする気づきに出会った。
どんな小さな悪も見逃さない仏の眼からみれば、全ての人は悪人である。
自分の善行によって往生しようとする行為は、どんな悪人でも救済すると云う阿弥陀の力を疑うものである。
善と思い行った行為が、縁によっては、善果をもたらすこともあれば、悪果をもたらすこともある。どの様な結果を生むかわからないのも「悪」である。
阿弥陀の光明に照らされた時、自らは、まことの善は、何一つ出来ない悪人であることに気づかされる。
そんなことを読みながら、私は、 悪人は自分の外にイメージしていたが、自分の愚かさを痛み知った。
悪人が、こんなに自分の内面に、身近につきまとっていたことを知り、愕然とした。
「あざみ草 我が身の棘 を 知らずして 花と思いし 今日の今日まで」、母から教えて貰った句を想い出す。
先ず、悪人を自覚することから、光ヘの道は始まる。
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