懺悔と歓喜、懺悔が歓喜に変るとき、
懺悔は、自分を客観的に見る力が無ければできないと、住職は云う。
人間の逃れられない三毒、即ち、貪・瞋・癡(とん・じん・ち):貪り・怒り・愚痴が、懺悔の材料。
懺悔をして、心が、暗いところへ行ったのでは、真の懺悔ではない。
本当の懺悔をすれば、神の懐に飛び込むことができる。
それは、小さい子供が母に甘えるように、神へ甘えるような気持になると云う。ごめんなさい、ごめんなさいと、泣きながら、全てを委ねてしまう。それを、神は全て受け留める。やがて、大きな安心が覆う。
そして、懺悔は、遂に歓喜となる。宇宙の本質・無我・自己犠牲の覚悟ができる。
修行者には、そのような懺悔ができるか、どうかが問われている。
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