父母の為に祈らず、弟子も持たず、親鸞上人、
親鸞上人の教えの書物、「歎異抄」に、意外なことが書かれていることを、住職から聴いて知った。
父母の為に一度たりとも、念仏を唱えたことはないと書かれていると云う。 念仏は弥陀の想いに従うだけ。父母の為に祈るとは、自分の内面に弥陀をみていない証拠。自分の外に弥陀があれば、私と弥陀が一体化していない。私が消えていない証拠。(自分の力で念仏するのなら、父母の為に祈れる。)
親鸞上人は弟子を一人も持たなかったと云う。私が促して人を念仏させるなら私の弟子だが、弥陀が1対1の関係で、念仏を唱え、一体化するのであって、私が介在する意味は無い。
そういえば、お釈迦様も云われたと云う。「私について来るな。貴方も、貴方自身の中に神を見出しなさい」と。
「歎異抄」は、親鸞上人の教えが、間違って伝えられるのを憂えて、書かれたものと云う。
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