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May 19, 2014

全てを捨てて行く道、全てを神と見て行く道、

禅は、全てを捨てて行く道と云う。徐々に自分の色合いを消して行く道。「そうではない、そうではない」と、放棄して行く道。"非なりの道"とも云う。これは、難行道と云われる。

キリスト教・念仏は、全ては神と見て行く道。神の一色、弥陀の一色に染めて行く道。それは、"是なりの道"とも云う。これは、大勢の人に、比較的入り易い。難行道に対して、易行道と云われる。但し、最後にその神の色を消すところが、一番険しい道。

ただ、これは、富士登山(解脱)の五合目辺りまでの話。

五合目辺りまで来ると、禅もキリスト教・念仏も同じような境地になって来る。

"私と、私のもの"と云うエゴが消え、全て委ねて行く境地に於いては、同じ富士の頂きを見て進む。

最近、住職に、そんな景色を説明して貰った。


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