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May 31, 2014

苦しみから感謝へ、 感謝から懺悔へ、 そして光への道へ、

苦しみ、怒り、悲しみ、寂しさを経て、いつしか「感謝」の灯りが見えて来る。

「感謝」の灯りが見えて来たら、先ずは、もう安心。

「感謝」の後には、いつしか「懺悔」の灯りが見えて来る。

暫く、「懺悔」の道の後、人生を、とぼとぼと、テクテクと、歩いている内に、ついにある日、涙に包まれ、「歓喜」がやって来るのだと想う。

それが、聖人の方々、世の高僧達が歩んで来た道だと想う。そして、「歓喜」の涅槃に留まらず、また、来た道を引き返し、人々に涅槃への道を励ます。 それを菩薩と云う。

自らの解脱を望まず、涅槃に住せず、これが仏性の本性であり、宇宙そのものの正体。それが、光の世界、永遠にして、安らいでいる世界。

個としての自分を感じる幻影は、全体としての自分を際立たせてくれて導いてくれる。その道筋を、人々は修行と呼ぶのだと想う。


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May 30, 2014

笑顔で送る、最後の満洲・鳳城会、

約10年前、前の会社を辞めた時から、私は、父の属した満洲・鳳城会に、息子として、殆ど毎年、参加して来た。 その鳳城会も、毎年亡くなる人も増え、全国から集まる会は、今年の東京(上野・鴎外荘)で来週行うのが最後となるとのこと。

一昨日夜、幹事の大先輩に、弟の紹介のことで、電話で談笑した。

「もう最後ですよ。 ワハハ、私も、もうじき、死んでるかも知れませんよ。 ワハハ、」、 話の内容は、笑える内容ではないのに、すぐ ワハハ、と笑いながら喋られる先輩に、あっけにとられた。

友の死、自分の死の予想も、まるで自然現象を見るように、ワハハと笑いながら語るなんて、、、、高僧のようでもあり、戸惑った。

それでも、私は、つられて、私もワハハとつきあいながら、珍しく長電話。

最後の鳳城会には、東京に単身赴任中の弟も宴会に駆けつける。弟は去年、私が海外出張で欠席した時が、初参加で、父の楽しみだった鳳城会の最後の雰囲気を味わえる。

上野・水月ホテル・鴎外荘は森鴎外の住居跡も残っている名旅館。両親が住んだ満洲の想い出を、鴎外荘に刻む。

満洲の大平原に、盥(たらい)の様に大きな、オレンジ色の夕陽のが沈んで行く光景を想像する。

最後となる鳳城会、感慨無量、さぞかし味わい深いお酒となることだろう。 一期一会と想えば、何事も最後ばかり、それを生命と云う。 私は、最後の鳳城会であっても、先輩達と、いつものように、ワハハと笑おうと想う。

夕日の中に、同時に朝日を見る境地で、清々しく、夕日を見送ろうと想う。

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May 29, 2014

安寿と厨子王ゆかりの地、佐渡,

東京に住んでいると聞いていた、従弟(私の父の妹の長男)と、ちっちゃな子供時代以来会っていなく、最近、会いたくなって葉書を出したら、田舎暮らしに憧れて、新潟・佐渡に転居してしまったとのメールが届いた。

佐渡の両津港から車で1時間くらいかかる場所、松ヶ崎と云う場所らしい。

もう、なかなか会えないことになったかなと思って、小田原の妹にも知らせたら、いつか佐渡に行く理由が出来て好かったと云った。 妹の亡くなった主人が、和太鼓が好きで、佐渡で行われた和太鼓の大会に行ったことがあり、妹も行ってみたいと云う。

私が、前の会社を辞めたのは、一人佐渡を訪れ、佐渡の、余りにも美しい自然を見て、生き方を変えたくなったからだった。

森鴎外の名作・"山椒大夫"は、安寿と厨子王と、母との引き裂かれた悲劇の物語。子供時代、泣きながら、母から聴いていた物語。直江津の港から、人買いに騙されて、親子バラバラに売られて行った時、母が行った場所が佐渡だった。

何十年も経て、佐渡の農村で、年老いて目も患った老婆が、ゴザの上に広げたもみ殻に近づく雀を追いながら、「安寿かわいやホーヤレホー、厨子王かわいやホーヤレホー」、「と云う歌を歌っていた時、通りかかった、立派な武者が、泣き崩れた。

成人した厨子王が、母との再会を果たした場所、そこが佐渡。

私も、佐渡の農村で、 感動的に従弟と会うことになるかも知れない。安寿と厨子王の物語の光景のように。

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May 28, 2014

日本海海戦109年記念式典、横須賀・戦艦・三笠艦上、

5月27日は、1905年、日本海軍がロシアバルチック艦隊を撃滅させた日だった。当時帝国主義列強がアジアの植民地化に鎬を削る、日本の危機存亡の時、世界を驚嘆させたアジアの新興国・日本の大勝利であった。

アジア民族が欧州民族に初めて勝利した戦いだった。

横須賀に保存された戦艦・三笠の艦上で、海上自衛隊・三笠保存会・各国武官の列席のもと、日本海海戦109年記念式典があり、私は、自衛隊OBの友人の紹介で出席した。

日本海海戦の戦死者はロシア側4830名、日本側117名だったと云う。日露両国の戦死者に黙祷が捧げられた。両国の国歌が演奏され、私は、久しぶりに「君が代」を歌った。

太平洋戦争後、廃船同様に落ちぶれていた三笠を、復元に尽力したのは、米国海軍・ニミッツ提督であったと云う。戦史に残る大偉業をなした日本海軍の旗艦だった三笠は、日本の誇りとして、太平洋戦争の敵国・米国の軍人でさえも、保存に尽力したことを知った。如何にも軍人らしい元潜水艦艦長のOBの方の三笠に関する色々なエピソードの説明が、日本の近代史の生々しい現場を想起させてくれた。

三笠艦上で、海上自衛隊が奏でる"同期の桜""海ゆかば"に、自分が軍人として国に命を捧げるかのように、気持が高揚した。

今週は、私も、ロンドン出張が変更になり、日本にいたことで、ヴィヴェーカンダ生誕150年祭や三笠の記念行事にも参加できた。 これも、神の導き、縁だと感謝する。

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May 27, 2014

「本当の家に帰ろう」、スワミ・ヴィヴェーカナンダの声が聞えて、

5月25日(日)、清泉女子大講堂に、ヴィヴェーカナンダ師の大きな写真が飾られ、インド駐日大使、各宗教界の代表など参列のもとに、ヴィヴェーカナンダ師生誕150年祭の記念行事が行われた。

1902年、39歳で没したヴィヴェーカナンダから、111年を経ても、ヴィヴェーカナンダの教えは、今も、生き生きと、人々の心の中に、感動を呼び起こしている。

住職が、スピーチの壇上で、演台の上に掲げられたヴィヴェーカナンダ師の写真に深く礼をされるシーンは、長年の禅の修行を経て、禅とヴェーダンダ哲学は同じであることを、我々に説いて下さっている住職の姿であった。

それは、ヴィヴェーカナンダ師への最高の贈り物でもあったと想う。

ヴェーヴェーカナンダ師の生涯の師・ラーマクリシュナは、ヴィーヴェーカナンダに、貴方は大きな樹になりなさい。そしてその樹の木陰で無数の人々が憩う樹になりなさいと云っていたと云う。

ヴィヴェーカナンダ師は、宗教を越えて、あらゆる宗教を敬愛した上で、「本当の家に帰ろう」と、今も、あらゆる人々に、呼びかけている。


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May 26, 2014

NHK"小さな旅"、神奈川県・山北町、、

昨日朝、NHK"小さな旅"で、神奈川県・山北町が放送された。

小田原・開成に住む妹の家から近くの場所、桜の名所でもあり、妹と何度か行った場所。

映像では、山北の山野で放牧されている牛や、畑仕事の風景を見た。

カエルの声の懐かしさ、畑にバッタが飛ぶ、土の中にはオケラ。 私も遠い昔、祖父の家近くの畑で、父親と農作業をした時の空気を想い出した。

思わず、私は、妹に電話して、今、NHKの小さな旅で、山北が放送されてることを知らせた。

妹と一緒に見た"小さな旅"、神奈川県・山北町。"薫風に里弾む"。

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May 25, 2014

スワミ・ヴィヴェーカナンダ生誕150年祭、肉体を越えて、菩薩の誓願

今日は、スワミ・ヴィヴェーカナンダ師(1863~1902)の生誕150年祭が、五反田・清泉女子大講堂で開催される。

ヴィヴェーカンダ師は、「立ち上がれ、目覚めよ」と、今でも人々を鼓舞する。

「おそらく私には、肉体を脱出した方が好い。着古した着物のように、それを投げ捨てた方が好い。と思う時が来るだろう。 しかし私は、決して働くことはやめない。 世界が、神と一つのものである、と云うことを知るまでは、私は到るところで、人々を鼓舞し続けるであろう。」

道元禅師の修証義に曰く、「菩提心を発すと云うは、己れ未だ度らざる前に、一切衆生を度さんと発願し営むなり。」
「若し菩提心を発して後、六趣四生に、輪転すと雖も、其輪転の因縁皆菩提の行願となるなり。」

今日は、住職も、ヴィヴェーカンダ師生誕祭で、スピーチされる。

ヴィヴェーカナンダ師も、道元禅師も、確かに今でも、肉体を越えて働いておられると実感する。 「立ち上がれ、目覚めよ」と。

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May 24, 2014

"花子とアン"に出て来る海の光景、長崎・外海町の海そっくり、

朝の連続TV小説は、母が昔よく見ていた。今は、小田原の妹が毎朝見ている。私は最近、時々だが、"花子とアン"はよく見るようになった。

"花子とアン"の始まりの音楽と風景の中で、"丘の上から広大な碧い海の光景"が出る時、私は、母の実家そばの長崎・外海町の海を想い出す。

五島列島を望む海、隠れキリシタンが住んでいた村々、丘の上には、遠藤周作記念館がある。

遠藤周作記念館から、遠くに"母子島"も見える。

今、"花子とアン"を見る時間は、私にとって、母と会話する時間でもある。

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食品添加物の害を防ぐ食事、

今月は、食品添加物・残留農薬対策の食事に就いて調べてみました。 「食品添加物・農薬を落とす方法」、増尾清著 、PHP文庫 より抜粋、

1, 食品添加物・農薬は、体内に入ると活性酸素を発生する。
活性酸素は、癌・老化・認知症・糖尿病・動脈硬化・白内障・アトピー・シミ・シワの原因。

2、 発生した活性酸素を減らす食材とは?
(1)スカベンジャー酵素: (体内で合成される)
SOD : 良質タンパク+マンガン・銅・亜鉛で体内合成、
カタラーゼ: 良質タンパク+ 鉄 で体内合成、
グルタチオンペルオキシターゼ: 良質タンパク+セレン で体内合成、
(2)スカベンジャー ビタミン : ビタミンA, ビタミンB2、 ビタミンC 、 ビタミンE、
(3)スカベンジャー成分: カテキン、 キサントフィル、 クルクミン、 グルタチオン、ポリフェノール、

* 良質タンパク: 主に大豆食品、
* 各種ミネラル: 青ジソ、青海苔、あさり、牡蠣、カリフラワー、枝豆、アスパラ、ごぼう、胡麻、など、
* スカベンジャービタミン: 青ジソ、枝豆、かぼちゃ、海苔、ブロッコリー、ホウレンソウなど、
* スカベンジャー成分: かぼちゃ、ブロッコリー、ホウレンソウ、お茶、大豆、ブルーベリー、など、

3、 食品添加物などの除去、(念のためには)
(1)湯・塩水・酢水につけても、ある程度、除去できる。
(2)味噌漬け、粕漬けの、味噌・粕には、有害物質を吸収しているので、よく洗って食べる。
(3)大根おろし洗いは、化学汚染物質を引きだす力が強い→ 牡蠣を洗うのに好い。
(4)貝料理は酢のものが安心:酢は化学汚染物質を引きだす。→ 酢洗いした割り酢は捨てる。 以上、


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May 23, 2014

ゆとり + くつろぎ - りくつ = 「ゆとろぎ」、故・片倉もとこさん造語

先日、イスラム経済研究会で、故・片倉もとこさん(文化人類学者・アラビスト)の造語のことを初めて知った。

アラブ文化に、"ゆとり"と"くつろぎ"を感じ、そこから"りくつ"を抜いて、「ゆとろぎ」と云う言葉でアラブを表現されたと云う。

「ゆとろぎ」とは、学ぶこと、ゴロンとすること、寝ること(小さな死)、家族や友人と一緒にいること、祈ること、断食すること、お客をもてなすこと(光を入れること)、お香をきくこと、瞑想すること、動くこと(散歩、旅、引っ越し)、詩歌を作ること、歌うこと、死ぬこと(故郷に帰ること)、

と解説してあった。(片倉もとこ文化財団資料)、

昔、私が、アラブに住み、砂漠でキャンプした時に見た、壮大な砂漠の中の光景、砂漠の朝などを想い出す。


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May 22, 2014

2010年秋閉館・ホテルアソシエ名古屋ターミナルの感動、

1974年創業のJR東海の、名古屋駅前のホテルは、長年の赤字で苦しんでいたが、2000年、JR東海の労組出身の柴田秋雄氏が総支配人となって、その神がかり的な人間尊重主義経営で、従業員の士気を上げ、見事な黒字企業に変身した。従業員の生き生きした仕事ぶり、納入業者の生き生きとした協力、お客さんの感動、10期連続の黒字を記録した。 日本一泊まりたいホテルとも云われた。

2010年9月30日、名古屋駅前の再開発で、閉館を余儀なくされ、36年間の営業に幕は降りたが、ホテル・アソシエ名古屋ターミナルは、人々の心の中に、「神の館」の様な光を放っている。

柴田は、自分を除き、188人の従業員一人一人に、再就職先を探し、卒業証書を読み上げ渡した。

柴田は苦しかった再建の頃の苦労を想い出すが、賃下げを要求して来た組合は初めてだったと述懐する。「我々の給料を一割カットすれば、何とか黒字になるでしょう」と、組合に云われた時の感動。

そんな幸せな体験をした社長がどこにいるでしょう。 従業員全体が家族であった。

2010年9月、たまたま、大阪へ行く途中の映像記者が、名古屋のホテルに面白い支配人がいると聞いて、名古屋に立ち寄り撮影した、閉館までの最期の10日間のドキュメンタリー記録の映画を見た。

そこには、光がある。 自他一如がある。

私は、ホテルアソシエ名古屋は、歴史に残る名古屋の誇りだと想う。

私が、一番泊まりたいホテル、心の中で想像する「ホテルアソシエ名古屋ターミナル」。

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May 21, 2014

合言葉の薦め、 町内会掲示板

先日の休日、近所のクリーニング店に行く道で、町内会の掲示板に、警告が書いてあった。

「詐欺に注意、家族で合言葉を決めておきましょう」

"合言葉"、の響きが、ママゴト遊びのようで可愛いと想った。 (ムーミン谷か、シルバニアファミリーか)

山 → 川 、 ファイト → イッパツ 、 なんてすぐバレて危ないと思う。

私なら、"暗中模索" →"No,No.I am Yosaku"

"足利将軍" → "オットセイが副将軍"

"貴方がいれば → "私は差し歯"

これなら、バレない筈だ。 これで、私も防犯専門家。

お笑い芸人のDNAが、時々噴火する。

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May 20, 2014

高校生の時の私の気配、早朝の空気、

快晴の日の早朝、日の出のあと。新聞を取りに、玄関を開け、朝の空気を一杯に吸う時、高校生時代の空気が蘇り、当時の私の気持が蘇ったりする。

誰もいない早朝の道、早朝の景色。

高校生の私、当時の母の気配、当時の父の気配、当時の幼い弟の気配も。

高校生だったあの頃が、今、ここにあると、はっきり想う。

強烈な印象は、永遠となって、今ここにも、あると想う。

私は、密かに、高校時代や大学時代に返ったりできる。

人生を自由自在に、飛び回れる気がする。

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May 19, 2014

全てを捨てて行く道、全てを神と見て行く道、

禅は、全てを捨てて行く道と云う。徐々に自分の色合いを消して行く道。「そうではない、そうではない」と、放棄して行く道。"非なりの道"とも云う。これは、難行道と云われる。

キリスト教・念仏は、全ては神と見て行く道。神の一色、弥陀の一色に染めて行く道。それは、"是なりの道"とも云う。これは、大勢の人に、比較的入り易い。難行道に対して、易行道と云われる。但し、最後にその神の色を消すところが、一番険しい道。

ただ、これは、富士登山(解脱)の五合目辺りまでの話。

五合目辺りまで来ると、禅もキリスト教・念仏も同じような境地になって来る。

"私と、私のもの"と云うエゴが消え、全て委ねて行く境地に於いては、同じ富士の頂きを見て進む。

最近、住職に、そんな景色を説明して貰った。


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May 18, 2014

父母の為に祈らず、弟子も持たず、親鸞上人、

親鸞上人の教えの書物、「歎異抄」に、意外なことが書かれていることを、住職から聴いて知った。

父母の為に一度たりとも、念仏を唱えたことはないと書かれていると云う。 念仏は弥陀の想いに従うだけ。父母の為に祈るとは、自分の内面に弥陀をみていない証拠。自分の外に弥陀があれば、私と弥陀が一体化していない。私が消えていない証拠。(自分の力で念仏するのなら、父母の為に祈れる。)

親鸞上人は弟子を一人も持たなかったと云う。私が促して人を念仏させるなら私の弟子だが、弥陀が1対1の関係で、念仏を唱え、一体化するのであって、私が介在する意味は無い。

そういえば、お釈迦様も云われたと云う。「私について来るな。貴方も、貴方自身の中に神を見出しなさい」と。

「歎異抄」は、親鸞上人の教えが、間違って伝えられるのを憂えて、書かれたものと云う。

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May 17, 2014

東京へ進学、東京で就職、当時の母の心境、

昨日の朝の連続TVドラマ"花子とアン"で、東京で花子の就職面接の時、面接官から、東京で就職することは、山梨のご両親は、賛成ですか? と聞かれ、「はい、賛成しています。」と答えた花子が、その後、母のことを想い出し、泣きだすシーンがあった。

私は、九州から18才で上京・進学する時、東京で就職する時の、母の想いを想像した。

母は、私が自分で希望した進学も、就職も、とても喜んでくれた。

それが、表面上、私を、苦しめたくない気持ちだったことは、十分知っている。

どんなにか、寂しい、別れだったことだろうかと想う。

東京の大学に進学して行く時、もう子供時代との私との決別、今生の別れのように想ったことだろう。

"花子とアン"のシーンの中で、郷里で、やせ我慢をして強がりを云う母のうつむいた横顔を見て、当時の母の様子を映像で見せられたように感じて、涙した。

私は、抑制の中に、大きな感動を覚える。 エゴの崩壊は、光だと云うことが、イヤと云う程、わかる。

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May 16, 2014

生きていて死んでいる、死んでいて生きている、

生きていて、死んでいる様な境地。 死んでいて、生きている様な境地。

それは、どっちか、わからない様な、ぼんやりした境地だろうか。

田舎の縁側で、ぼんやり日向ぼっこ、目は全く動かず、見てるのか見てないのかわからず、漠然と、、、、。 そんな平和な時を、確かに経験したことが何度もある。

そんな時も、人生には、力が抜けて、ちょうど好い。

庭の、草の葉っぱの上の、てんとう虫って感じかな。 何も考えず、ただ黙々と葉の上を歩く姿を想像する。

"生きてもいない、死んでもいない境地"は、高僧の境地と云われる。それは、どんな境地かと、あれこれ想像する。

幸せでもない、不幸でもない、それでも光の中にいる。たぶん、そんな境地かと、、、、、。


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May 15, 2014

初めて会った時の情景、歓び、

人生で出会った、素晴らしい人、とても気が休まる親しい人とは、初めて会った時の情景・歓びを想い出そう。

親子でも、家族でも、初めて会った時のことを想い出そう。

その出会いの歓びが、圧倒的ならば、たとえ別れの時の悲しみがあっても、そんな悲しみは小さくなってしまう。

もし出会わなかったことに比べれば、全くの別世界。 出会いの縁は、神様からの贈り物。

別れの悲しみなんて飛んで行ってしまうくらい、出会いの歓びは大きいと想う。

でも、また会えれば、それはそれで人生のおまけみたいなもの。 そんな発想も、たまには脳の健康に好いと想う。

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May 14, 2014

石ころと宝石、箸置きのプレゼント、

子供が、沢山の石ころの中から、形がよく、箸置きになるような素敵な小石を見付けて、親にプレゼントしてくれたら、、、、、、そんなことを想像したら、それは宝石よりも輝く石になると想った。

小石を拾って来て、そんな贈り物をした子供の話を、最近、聴いた。

道端の砂利の小石を、じっと、そんな気持で眺めてみたら、小石達が、愛おしく、輝いて見えた。

そんな発見も、そんな想像力も、人生では、幸せの瞬間であることに気づいた。

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May 13, 2014

アダムとイヴの林檎、打撃衝撃、

キリスト教の中の原罪の話に、アダムとイヴが林檎を食べたことの意味が説かれていると云う。

林檎を食べることで、自分の満足や好みが生まれた。利己主義、自己満足、神からの離反が生まれた。言葉を持ち、分別心も生まれ、そこに生と死も現われた。

何故、神は人間に林檎を食べさせたのか? 神は、林檎を食べることで、善悪を区別する自由意思をも、共に与えた。

自由意思がなければ、神に背くことも、死もない。生と死の体験、相対観念は、分別から生まれた。罪と罰に懺悔心が生まれる。懺悔心が無ければ、光の世界には到達出来ない。

林檎を食べたことは、光への導きの"打撃衝撃"であったのだ。神に背かなければ、そのような、輝かしい光の中へは、身を委ねて行ける境地にはならなかった。

キリストの受苦、"受苦"は英語で、Passionと云うことも想い出す。"情熱"と云う言葉と"受苦"と云う言葉が同じだと云うことは、人間の美を歌っている。

「打撃衝撃は、自己を学ぶ暗示なり」と、何度も、住職から聴いている。林檎を食べたことは、打撃衝撃だったのだ。


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May 12, 2014

真っ黒な世界、真っ白な世界、

ある悩める母娘がいて、15歳くらいの娘が曰く、「私は母に頼んで生んで貰った訳じゃない。だから、お母さんは、奴隷のように私の為に働くべきである。私を一生幸せにさせるように働くべきである」と、、、。

そのことを、昔、住職は、師である老師様に、どう考えるか問われた時、老師様は、「それは正しい。但しそれは、真っ黒な世界だ」と答えられたとのエピソードを聴いた。

人間界は、白と黒の世界。仏は真っ白の世界。

真っ白の世界と、真っ黒の世界に罪はない。白黒の世界にこそ罪はある。真っ黒の世界には罪も迷いもない。

全ての神は、解脱する為に、人間界に生まれねばならない。それは、罪に堕ちる以前よりも、輝かしい世界へ導いてくれる。

真っ黒な世界では、懺悔はできない。

真っ黒な世界から白黒の世界、そして真っ白の世界へ導かれる。

真っ白な世界、それは、光の世界。

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May 11, 2014

十字架の意味、

子供を交通事故で亡くされたご夫婦が、天上界の仏像には手を合せられず、十字架のイエスキリストの前には、自然と手を合せられたと云う話を、昨日、住職から聴いた。

キリストは苦難に満ちた無間地獄の中におられる。一切の救済の為に、私は無間地獄の中へ行きますと。

正しい人を招く為ではなく、罪人を招く為に、身代わりに、無間地獄へ行きますと、マルコ伝に書かれていることを、知った。

十字架の苦しみの中の悲惨な姿のキリストに、何がお願いできようか?、天上界の安らぎの中にいらっしゃる仏さまの姿には、お願いできても、十字架に処せられたキリストの無残な姿に、何がお願いできようか?

住職は云う。自分の中のイエスキリストに気づいて下さいと。それが菩提心ですと。

神に対する過ちは、神ご自身しか、あがなうことはできない。神、即ち、一切が私であると、菩提心を理解した人でないと、神に許しを請う力がありませんと。

何か恩恵にあづかったとしたら、それは貴方の善行の報いではありません。キリストの十字架のあがないの故ですとも、おっしゃった。

十字架のキリストの姿を想い出す。今日は母の日。


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May 10, 2014

"母 ロス" と云う症状の話、

現代社会では、母を亡くした人の約4分の1が、"母 ロス"と云う精神的症状を患っていると云われる。先日のNHKの報道で知った。

大きな支えを失った喪失感から来る精神の不安定化である。

母と子は、子供が大きくなって行くに連れて、いずれは、各々、独立して、その全面的な依存度合いを減らして行く。自然界では生物は、そう作られている。野生の動物に於いては、その習性、掟は厳しい。

ライオンの雄は2才にもなると、群れの母親からも牙を剥いて追いだされる。 自分で、縄張りを確保する戦い・旅に出なければならない。

現代日本の人間社会では、親子が密着したまま、暮らして行ける方法もあるので、その関係が、密着したまま続いて来たが故に、大きな喪失感にもなるのだと想う。

親も、子も、共に働いて、一緒にいる時間が無かった時代の、親子の愛情は、親の死と云う物理的な喪失を乗り越える程の精神的絆で結ばれていたのだろうと想う。

昔も、"母 ロス"は多少感じても、遺された者は、そんなに弱くはなかったのだと想う。

もし、私が、"母 ロス"の症状だったら、亡き母に、どやしつけられるだろうと想う。

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May 09, 2014

"父母恩重経"、母の日、父の日が近づいて、

5月11日は母の日、6月15日は父の日。昨日、手にした「大法輪6月号」に"父母恩重経"が紹介してあった。

吉川英治の宮本武蔵の中に、旅の老婆が詠む"父母恩重経"に、無法者達までもが涙して聴いたと云う。

一には、懐胎守護の恩。
二には、臨産受苦の恩。
三には、生子忘憂の恩。(今までの数々の苦しみすら、出産とともに忘れる)

四には、乳哺養育の恩。
五には、廻乾就湿の恩。(布団を濡らしても、濡れたところに寝てくれた)
六には、洗灌不浄の恩。(汚れたものも、喜んで洗ってくれた)

七には、嚥苦吐甘の恩。(美味しいものを食べさせてくれた)
八には、為造悪業の恩。(育てる為には、悪業でさえも厭わなかった)
九には、遠行憶念の恩。(生涯、遠くからでも子供を見守り、祈り続けてくれた)

十には、究竟憐みんの恩。(死して尚、子供を守護してくれる)

老婆の唱える"父母恩重経"に、あらくれ者達までもが号泣したと云う。

無限、永遠の世界の拡がりを垣間見る。

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May 08, 2014

午前と午後、別人のような気分の発見、

今あるものが無くなることは、淋しいこと。 今ないものが生まれることは、元気になれること。

夕日に淋しさを感じ、朝日に元気を感じることと似ている。

呼吸の吸う息、吐く息にも似ている。

穏やかな朝の海辺で寄せては返す波を想う、また夕暮れの波を想う。

午前中と午後は、別人の気分で生きている。それが、自然界のリズムであり、エネルギーを生んでいるのではないかとも想う。

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May 07, 2014

連休の終わり、自分の現在地を想う、

5月4日からの連休の小さな旅を終え、昨日午後、横浜の自宅へ帰って来た。伊豆高原の友人の山小屋、そして、小田原の妹の家。

日頃、ゆっくり話せていない人との交流は、不図、自分の生き方を、浮き出させてくれる。

また、穏やかな自然の光景の中での語らいは、まるで、自分の人生を他人事のようにも、鑑賞できる。

自宅へ帰って来てから、夕方、近所の岸根公園と云う、池や橋のある静かな公園に行ってみたくなり、ベンチに座り、夕暮れの公園の光景の中に佇んだ。

池の周りにはフナ釣りの人がいて、お祖母ちゃんに連れられて自転車の練習をしている男の子、ミニアチャーダックスフントを連れて散歩する女の人、誰もいない滑り台、砂場、沢山の木々の緑。

これから、ちょっと、生き方も微調整。人は、常に、流れる川のように、瞬間瞬間、一つとして、同じようには流れてはいない。微かな変化を起しながら、サラサラと流れて行く。それが瑞々しい生命の営み。

大自然に溶け込みながら、瑞々しく、生きて行きたい。


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May 06, 2014

慈悲と祝福を、

幸せで、世間で成功したと云われる人には、祝福を、そして慈悲を。

不幸で、世間で失敗したと云われる人には、慈悲を、そして祝福を。

ただ、祝福と慈悲の順番が違うだけ。

全てのことは、憐れでもあり、また祝福でもある。

それは、仏性の目。

(5月4日の記)

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May 05, 2014

確固たる絆、中国人の袁さん、

私の父が、中国で、引き揚げの時の混乱期、命がけの逃避行の時、助けて貰った袁(えん)さんと云う方を、父の手記で知った。

家に泊めてくれて、逃げるのを助けてくれた命の恩人。

侵略国だった日本の、日本人の父を、匿って、助けてくれた人。

中国と日本が、国家どうし、どんなに関係が悪化しても、私は、中国人に恩返しをしなければ、いけないと想う。

(5月4日の記)


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May 04, 2014

巻き寿司、改めチャーハン、オムライスの想い出、

私の九州の実家では、長い間、飲食店をやっていた。

巻き寿司が売れ残ると、巻き寿司を作り直して、チャーハンや、オムライスに変って、翌日、私達が食べていた。妹も弟も、その想い出は、たぶん、兄弟姉妹の証しのような、顔を見合わせて微笑む想い出。

酢の味が利いたチャーハンやオムライス、滅多にない。

でも、忘れられない想い出。母の想い出。

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May 03, 2014

北海道・下川町3500人の町のパレード、沿道の家族、葛西選手、

昨日、ジャンプの葛西選手の故郷・北海道・下川町は3500人の小さな町、そこに5000人の観客が来て、オリンピック祝賀パレードがされた映像をTVで見た。

沿道の町民の中に、お姉さんの姿もあった。

ふっと、私は、そのお姉さんの側の気持を、想像の世界で味わってみた。

沿道の群集から、弟の晴れ姿を見る。

沿道の群集に紛れて、大切な家族の晴れ姿を見る。

自分を消して、遠くから、家族を祝福する姿。何と云う、感動だろうかと想う。

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May 02, 2014

幸せな不幸、両面を見る目、

人生に於いて、画期的な気づきは、そう見えてることの反対の面を見て、バランスを取る力であると思う。

不幸を列挙したい時、思い通りにならないことを列挙したい時は、幸運や思い通りになったことを列挙してみる。

まるで、コインの裏表を見るように、幸と不幸を、同じものと見る力。

バランスを取る為の、まじないの言葉、キーワードは、"懺悔と感謝"。

"懺悔と感謝"は、幸せな不幸を、気づかせてくれる。

それは、全てが、神の館の出来事と気づかせてくれる。

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May 01, 2014

80歳で1年間のメキシコ旅行体験、いつも何かを見つけてる目、

昨日は、ヒッポクラブの方で、80歳で1年間のメキシコ長期滞在旅行から帰国されたご夫婦の帰国報告会に出席した。イサムちゃん81歳、奥さんヒロコさん79歳で、メキシコ1年間滞在の冒険記。

主にメキシコのチワワと云う場所に住み、現地のヒッポクラブの方々と交流。現地で中古車を29万円で買い、帰る時、23万円で売って来たとか、凄いノウハウ。

家のそばで、つばめが巣を作って、その巣から雛が育って行く様子、現地での買い物の様子なども、日々の何気ない生活までも、全てが、子供の時のような感動振り。

79歳のヒロコさん曰く、「いつも何か見付けることばかり」。人間の遺伝子の中の情報の中で、まだ人生で気づいていない情報が沢山あるはずですと云う、好奇心の塊り振りに驚いた。80歳のご夫婦の話なのに、その話振りは、まるで好奇心だらけの子供のような雰囲気だった。

二人とも学校の先生だったとのことで、退職したら、大好きなメキシコに一緒に行こうねと云う夢を、80歳にして実現された話。ご夫婦は、これからまた、地域のヒッポ活動の世話役をやる予定とのこと。

人間の好奇心が持つエネルギーの凄さ。"80歳の好奇心の塊りさん達"を見ていると、司会をやってる10代の男の子と変りない感じで、自分の頭をかきむしりたくなるような、わからない世界だった。

私のそばには、お母さんに連れられていた2歳の女の子がいて、もみじのような手で握手した。いくつですか?と聞くと、Vサインのように指で2歳と教えてくれて、お名前はと聞くと、"アキちゃんです"とお母さんが教えてくれた。

幼児も80代も、好奇心や、可愛らしさでは、共通するものがあることに気づいた。それは、"いつも何か見つけてる目"だと想った。

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