法然上人と道元禅師に囲まれて、東京・愛宕
私の勤務する場所は、芝・増上寺と、愛宕・青松寺の間に位置する。
即ち、浄土宗・法然上人(増上寺:1393年開山・浄土宗本山)と、曹洞宗・道元禅師(青松寺:1476年開山)の間の地に、私は、日頃身を置いていると云うこと。
法然上人は念仏を説かれ、親鸞上人の尊敬する師でもある。道元禅師との繋がりを探ると、共に、同じ境地に達しておられたことがわかる。
自力門と云われた禅、道元禅師の"正法眼蔵"に曰く、「ただ、我が身をも、心をも放ち忘れて、仏の家に投げ入れて、仏の方より行われて、これに随いもて行く時、力をも入れず、心も費やさずして、生死を離れて仏となる」。
念仏は他力門と云われる。 だが、道元禅師の到達した道も、法然上人と、親鸞上人と同じことに気づく。
"只管打坐"の"只管(しかん)"とは"ただひたすら"と云う意味とのこと。ただ、ひたすらに坐る。お茶を飲む時は、ただひたすらにお茶を飲み、ご飯を食べる時は、ただひたすらにご飯を食べる。
仏に全てを委ねて、"今ここ"を生きる。 法然上人と道元禅師に囲まれて。 東京・愛宕の地の縁を想う。
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