"名称と形態"と云う惑わしを無くす"まじない"
人間のカルマの正体は印象・気分と云われる。私とは何か? 私とは印象・気分の集合体と云う。印象・気分のもとになる思考は、名称と形態によってなされる。
その名称と形態から、ちょっと遠ざかる"まじない"がある。それは、全て、"~のようなもの"と想うこと。お酒のようなもの、水のようなもの、コップのようなもの、電車のようなもの、全て、~のように見えているものをぼかしてしまい、全ての根源は同じであるとに行き着く考え方。
名称と形態は波、根源的なものは大海。虚空世界から全ては生まれて来たことを思えば、名称と形態は幻。
目に見えるものは、全て"~のようなもの"と想ってみる。原子や量子の世界を想像して、人間にとっての、色々な幻が造りだされていることを想う。
私も、そう云えば、"私のようなもの"。ちょっと、可笑しく、くすぐったく想う。
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