観察者として、
時に、人生を観察者として見る考えは好い。世界を、自分の人生を、当事者としてではなく、ただ観察者として見る視点である。
パソコンで云えば、読み取りオンリー、編集不可。
それぞれの生命が、おのおのの安らぎを求めて活動し、矛盾と統一を繰り返す動きは、大自然の調和の光景。
寄せては返す波のようなリズムにも似て。
観察者として見る見方は、個としての自分が消える見方。
大海として、波を見る見方。
時に、人生を観察者として見る考えは好い。世界を、自分の人生を、当事者としてではなく、ただ観察者として見る視点である。
パソコンで云えば、読み取りオンリー、編集不可。
それぞれの生命が、おのおのの安らぎを求めて活動し、矛盾と統一を繰り返す動きは、大自然の調和の光景。
寄せては返す波のようなリズムにも似て。
観察者として見る見方は、個としての自分が消える見方。
大海として、波を見る見方。
今日は、昭和の日の祭日、旧天皇誕生日。
駄菓子・白黒テレビなど、昭和の生活が、何故かどの世代にも人気があると云う。
それは、復興の時代だったから。貧しくとも、3丁目の夕日のような、ほのぼのとした時代だったから。
私も、今日は、家に初めてTVが来た時の感動、冷蔵庫が来た時の感動、洗濯機が来た時の感動など想い出そう。
父と、三菱ダイヤモンドアワーのプロレスを見て、興奮していた時代。
廃墟から、一所懸命に、復興する時代。人生も、いつも昭和の生き方でいたいと思う。
人生には、とても恐い思いを体験した時に、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と云う障害が起こることがある。
それと同じように、とても幸せな体験をした時のシーンが、脳裏に、封印されて、またその後の人生に、不図、蘇ることもあると想う。
昨日、朝、玄関のドアを開け、新聞受けに新聞を取りに出た時、快晴の春の朝の空気が、会社を辞め、ニュージランドへ旅した時の空気を、不図、想い出させて、当時に感じた素晴らしい解放感を想い出させた。
同じように、人生の色々な幸せであった場面も、不図、脳裏に浮かび、元気を与えてくれることもある。
幸せの想い出は、何度も想い出せば、自然に元気が湧いて来るものだと想う。
今月は、免疫力について調べてみた。吐く息の持つ免疫力について驚き、改めて、坐禅との関連にも想いが及んだ。
「免疫の仕組み」、安保徹著 、ナツメ社 より抜粋、
1. 自律神経には、交換神経と副交換神経とがある。バランスが大事。
(1)交換神経: アドレナリン分泌、: 緊張状態を作る。
(2)副交換神経: アセチルコリン分泌: リラックス状態。
→ 免疫力アップには、交換神経過多の現代人は、副交換神経活動アップでバランスが必要。
2. 免疫力アップの方法、
(1)食事は、副交換神経を活性化させる「玄米菜食」が基本。
* 玄米の優位さ(vs白米の比較): ビタミンB6は10.5倍、 マグネシウム7倍、食物繊維4.7倍
カリウム3.3倍など。
* 食品をまるごと食べる: 雑穀・玄米、豆類、小魚・小エビ、ゴマ、など。
* 発酵食品を食べる: 味噌、納豆、漬物、など。
* 食物繊維を摂る: しいたけ、エリンギ、ブロッコリー、ごぼう、切干大根、えのきだけ、など。
* 酸味・苦味・辛みを取り入れる: 梅干し、しそ、など。
(2) 深く長い腹式呼吸で、副交換神経を刺激する。
* 呼吸は、吸う時に交換神経、 吐く時に副交換神経が働く。 吐く息の大切さ。
* 体温をあげる腹式呼吸。
(3) 感謝の気持ちで、交換神経の緊張を解く。
* 交換神経の感情: 怒り、興奮、悲しみ、焦燥など。
* 副交換神経の感情: 喜び、愛おしさ、謙虚さ、希望、感謝など。
→ ありがとうと口に出すことで、副交換神経の働きが増す。
3、 あらゆる病気は、「冷え」と「ストレス」から引き起こされる。
*体温が下がると、免疫力も下がる。
*ストレスは、交換神経を緊張させる。
4、 交換神経過多はガン体質。
頑張り過ぎるとガンになるリスク増す可能性。 以上
韓国のフェリー事故の犠牲者のエピソードを聞いた時、私の心は、立ち止まって、人が土壇場で見せる美を眺めた。
フェリーの乗客だったキムさん(男性28才)とチョンさん(女性28才)のカップルは、脱出を拒み、乗客を救おうと、傾く船内に進入して入ったと云う。韓国では、職務外の行為として、他の生命・身体を救おうとしている途中に死亡した人を"義死者"と呼ぶとのこと。
捜索活動をしている韓国のダイバーが、船体の中から、身体をロープで結びつけられた男女の高校生の遺体を発見したと云う。ダイバーは、彼らはきっと離れたくなかったのだろうと想い、彼らの遺体を見つけた時、涙が溢れたと云う。
人間であることを、愛おしく想う。
昨日は、オフィスで、アラブ人2人と会議の模様のビデオ撮影があった。
アラブの会社の東京のオフィスでの仕事の模様として、現地での放送に使われるのだと云う。
私が、昔、アブダビに駐在した時、東京から撮影隊が来て、色々なアラブに於ける私の生活・仕事の模様の写真を撮られたことを想い出した。その時の写真は、今でも、人生の大切なシーンの記録になっている。
大学卒業後、会社に入って、最初に配属された新潟の製油所の職場の写真など、もしあったら、懐かしいだろうなーとか想う。
ちょっと、日常のシーンを切りとって記録しておくことは、何十年か後に、当時の自分を改めて観察できて、人生の心地よい味わいにもなる。
当時の自分を客観的に見ると、別人が生きていたようにも想える。
先日、初めて、友人の紹介で、立川で、ハイファイコーヒーズと云う摩訶不思議な大阪のライブバンドの演奏を聴いて驚いた。
「"かんちゃん"、神様に、様をつけるのが、イヤだから、アイツのことは"かんちゃん"て呼ぼう。少しだけ肌寒くなってきたから、空を見上げたら、ポツリ、ぽつり、ポツリ、 "かんちゃん"、今どこにいるの、薄汚い世界を雨が綺麗にして行く。 この国は、アイツが住むには チョットだけ狭いのかも知れないな。 だけどさ、 "かんちゃん"、早く帰っておいでよ。 あったかいご飯作っておくからね。」
神様を、アイツと呼んだり、"かんちゃん"と愛称をつけたりする発想が、若者達の文化は凄いナー と関心した。
修行が進んだ禅の僧が持つ、"釈迦何するものぞ"と云う気概を想い出して、痛快な気持ちがした。
"かんちゃん"、と云う響きも好い。 発音が"母ちゃん"にも似て。 そう云えば、神様と母ちゃんは、確かに同じだから、ちょうど好いとも想う。
先日NHK短歌の放送で、面白い歌に出会った。
「生きる意味聞かれても困ってしまうんだ、今歩いている最中だから」
確かに、昔は、深くは考えずに、ただ何となく、歩いて来たものだと思う。
そして、今、テクテクと歩きながら、時に立ち止まり、珍しそうに、道端の光景を眺めている。
確かに、通って来た道はわかる。
そのときは、20年後・30年後から見る今の自分など、真剣には想像したことは無かった。
でも、今は、今の自分が、どうやって形作られて来たのかもわかる。色々な場所に、抜け殻を残して来たのだと思う。
そして、これから、10年後、20年後の私を、今度は、真剣に想像してみたくなる。
そうすれば、今は若いなーと関心する。ちょっと可能性が拡がるのが心地好い。 今の自分が、未来からタイムマシンに乗って来たような、神秘的な自分に見えて来る。
浄土真宗の"南無阿弥陀仏"の響きは、子供時代から耳に馴染んでいたが、その意味を初めて知った。
"あみた"はサンスクリット語で、"無量寿・無量光"、計り知れない広大な光、広大な寿命。
"南無"は、帰依すること、委ねること。
"仏"は、真理世界から生み出される働き。即ち、智恵と慈悲。智恵とは一切を見透す力。慈悲とは矛盾を統一する力、自己犠牲の力。
"阿弥陀様"とか、何か人格をイメージして唱えるのでは無い。
虚空世界の安らぎを唱える言葉であった。
全ての存在は、虚空から来て、また虚空世界へ返る。
子供時代に、祖父や祖母が唱えていたお経は、そんな意味だったことは、人生に於ける凄い発見だった。
自由で永遠の安らぎを求めて、その方法がわからず、人は、とり合えず、名利を求める。
名利は、ある程度、心と身体を満足させてくれるが、魂(仏性)にとっては、名利とは無価値の、意味の無い存在。
心と身体は云わば"波"、魂(仏性)は"大海"、魂は五感六識を越えたもの。
掴んだものは消える。所有(執着)は、いずれ苦しみとなって返って来る。魂の世界に所有(執着)はない。
魂の世界は、一切の世界。無我の世界。 所有(執着)する必要のない世界。
「掴んだものは消える、掴まなければ無尽蔵」、先日の住職の言葉。
修行僧の問答に、永遠を垣間見る。
「旗が揺れている」、「いや、風が吹いている」。
師曰く、「旗でもない、風でもない、貴方の心が揺れている。」
修行とは、鳥が飛んで行った様子を見て、鳥を引き戻すことが出来ること。
修行とは、もはや、外の世界を必要としない世界に至ること。
それは、永遠の安らぎ。
昨日の住職の言葉。
先日、新宿・哲学カフェで、参加者の人から、障害者の方で小児科医師をされてる人の手記のコピーを頂いた。
そこには、新鮮な気づきの言葉が記されていた。
子供の頃から、障害があり、いつも、親に世話して貰って、子供ながら、いつか親が死んだら、自分はどうなるのだろうと、大きな不安を感じたと云う。
障害者は、特定の誰かに世話して貰うので、いつも誰かに依存して生きている弱さがあるが、実は、誰しも、誰かに依存して生きていることにも気づいたとのこと。 健常者は、多くの人と関わり、依存を広げることで、特定の人への依存を減らし、そのように多角的な依存をした人を、自立と云うのではないかと書いてあった。
人は、縁に於いて生きている。 色々な人との多彩な縁を、感じることの出来る人は、多くの人との縁に支えられて、生きていることに気づいている。 たとえ、一人で住んでいても、世間や他人から隔絶された孤独や、孤立した人生ではない。
縁は、大きな蜘蛛の巣に似て、一カ所が揺れれば、全体が揺れる。
縁を感じる力は、色んな人に支えられてることに気づいた力強い生き方、それは、"自立"した生き方とも云える。
4月16日朝の韓国客船(約450名乗客)沈没事故の続報に、韓国全体が鎮痛な空気になってしまった。 まだ280名くらいの行方不明者、大勢の高校生の修学旅行生が、船内に閉じ込められたままの可能性が高いと云う。
韓国では、色々な芸能番組が自粛されていると云う。
日本でも、世界でも、自他一如を少しでも感じる人は、その気持ちはわかる。
高校生から母への携帯メッセージ、「お母さん、もう云えないかも知れないから送っておきます。 愛してる。」
別の高校生は、友人に、「本当に死ぬみたい。もし私が、悪いことしてたら、許してね」
突然の災難に際しての言葉、じっと噛みしめる。
昨日の朝、バシッと髪も整え、スーツ姿で通勤途上、後頭部に、何かが触れた感じがして、手で、払いのけてみると、ついに、やられたと想った。 頭上の電線を見ると、ハトが一羽。
頭上の敵を避けられなかったスキがある自分に、塚原卜伝じゃないと、苦笑。電信柱に駆け上って、ハトを懲らしめれば、まさに猿。 ここは、平常心で、ハトを恨まず、ガンジーのように無抵抗主義、静かにその場を立ち去った。
そして、駅のトイレで、頭を洗って、何事も無かったように、会社へ向かった。
これが、何かで落ちこんでいる時だったら、どんな情景だろうと、益々可笑しくなる。ハトにおちょくられても、ハトを恨まず、相手にせず、邪魔にもせず。 ちょっと、修行が進んで来たかなと想うと楽しい。
ある友人は、会社で仕事をさぼって、公園を歩いていたら、ハトから落下物の一撃を体験したとのこと。 ハトも、なかなかやるものだと関心する。
フィギアスケートの浅田真央選手の4月14日朝、TVインタービューでの話に、感動した。
ソチ・オリンピックの時、大失敗の翌日、ジャンプを1つ飛ぶごとにお世話になった人の顔が思い浮かんできたと彼女は云った。「今まではそんなことなかったんですけど、自然に、急に思い浮かべてしまった。なぜか知らないけど…初めての経験でした」と、不思議な体験だったことを明かした。
人生の大ピンチにあって、この様に、今までお世話になった人の顔が浮かんで来て、もう感謝の念がいっぱいで、自分(エゴ)が飛んでしまったのかも知れないと想った。私も、日常に於いても、そんな生き方が出来たら凄いなーと想う。
そして、もうひとつ、仏性を感じた話。
女優・浅香光代さん(86才)は、大物政治家との隠し子騒動に、4月14日、新たなコメントを述べておられる。
今は亡くなっている、総理寸前までなった政治家が父親であることを認めながらも、「私みたいなのが立派な人の子供を生んだと云ったら、その人の名前に傷がつく。だから、その先生を好きだったから、どんなことがあっても云いたくなかった」と。
どんなことがあっても、自分が消えても、その人を守ろうとするのは凄いと想う。 これも、私には、自他が合一化して見える。 自分が消えれば、もはや仏性の世界。"衆生本来仏なり"、色々な人に垣間見える仏性を想う。
色々な絵画を見ていると、絵画の持つ精神性がそれぞれに見えて来る。
果物などを描いて"静物"などの題もよく見かけるが、写真よりも、絵で描かれたものが人間の目に訴えかけて来るものが違うのは、なぜだろうと想う。
画家は、"今ここ"に潜む永遠性を切り取って、表現しようとしているのだろうか。
そんな目で、朝、窓の外の光景を見ると、絵画展で見る絵画のように、その光景に感動する。
何より、私が今見ている絵は、この絵は、現実なのだからと。
そんな、自分が、絵画の中にいるような目で、周りを見つめると、人生が、ゴッホやゴーギャンや、広重や北斎などが、まさに感動した様な光景の中にいるように想う。
一昨日、六本木・新東京美術館を初めて訪ね、創元展と云う、絵画展を見た。出展している知人の作品などを鑑賞した。サラリーマンを辞め、海外や日本国内をあちこち、絵を描いて旅している知人を、羨ましく想った。
そして昨日は、多摩美大の美術館に、高校の先輩の大津英敏展(多摩美大教授退職記念)のギャラリートークを聴きに行った。パリや江ノ島の風景の絵に、二人の娘さんの子供の頃が描かれて、幾年かの家族の肖像画の数々。娘さんがアトリエで、絵画のモデルになってる親子のビデオも残っていて、魅入ってしまった。
家族と云えば、私が大津先生の亡くなられた弟さんとそっくりとのことで、高校の大同窓会でも、よく声をかけて頂いて、私も、何となく親しみを感じている。
先週の休日はそんな、連日、絵画展のはしごの休日だった。
また、一昨日は、金沢八景の野島青少年研修センターに宿泊(ヒッポファミリークラブ)したことで、江戸時代の広重に描かれた金沢八景の情景を心の中でダブらせて、現在の野島公園付近を鑑賞した。広重の描いた金沢八景の絶景は、素晴らしく、野島夕照(のじませきしょう)に描かれた神社付近を歩いて感慨に耽った。
誰しも、人生が思い通りにならないことは、わかっているが故に、自分の置かれている運命の不幸を嘆く。
それでも、自分の置かれている運命が、神の手の平の上であることに気づけば、不幸も中性化されてしまう。
人生は、無色透明と気づく時の感動は、運命・宿命など吹っ飛ばしてしまう。
無色透明のキャンバスに、それぞれの人のDNAと云うカルマの感性で、五感六識の絵の具で、色相をつけて行く。
人間のカルマの正体は印象・気分と云われる。私とは何か? 私とは印象・気分の集合体と云う。印象・気分のもとになる思考は、名称と形態によってなされる。
その名称と形態から、ちょっと遠ざかる"まじない"がある。それは、全て、"~のようなもの"と想うこと。お酒のようなもの、水のようなもの、コップのようなもの、電車のようなもの、全て、~のように見えているものをぼかしてしまい、全ての根源は同じであるとに行き着く考え方。
名称と形態は波、根源的なものは大海。虚空世界から全ては生まれて来たことを思えば、名称と形態は幻。
目に見えるものは、全て"~のようなもの"と想ってみる。原子や量子の世界を想像して、人間にとっての、色々な幻が造りだされていることを想う。
私も、そう云えば、"私のようなもの"。ちょっと、可笑しく、くすぐったく想う。
世界56ヶ国で、アラビア語が喋られていて、その総人口は約20億人とのこと。昨日から、日本サウジ協会の春期アラビア語講座が始まった。
アラビア語の「お元気ですか?」の表現に、湾岸諸国では、"エシローナック?"と云う表現があるが、これは、"貴方の今日の色は何色ですか?"と云う意味とのこと、いい表現だなーと想う。
リビアでは、"シノヘーラック?"、エジプトでは、"イザーヤック?"とそれぞれに方言になって、発音してみ ると、それぞれの国を旅した気持になれる。
冗談が好きな先生で、"マーフィー・もっほ"とは、マーフィーが無しで、モッホが脳、即ち、意味は"脳足りん:アホ"とかも教えて貰った。私は、ギャグが好きだから、余り実用的で無い言葉の方が覚え易い。
そう云えば、私の娘が昔、アブダビの日本人学校のエジプト人先生(ファラグ先生)からアラビア語も習っていたが、"ガビ・カンジーラ"(馬鹿ブタ)とか、子供社会の変なアラビア語も覚えて来て、私も覚えてしまった。
アラビア語も、学びながら、砂漠やラクダの顔を想い出してみたり、モスクから流れるコラーンの音を想い出してみたり、変なアラビア語に、想い出し笑いをしてみたり、ちょっとした、心の旅の楽しみでもある。
私は、普段TV ドラマは、さほど見ないが、最近の朝のNHK連続TV小説・"花子とアン"は、子役の女の子に、私の母の子供時代を想像して、ジーンとする。
私の母は、長崎の半農半漁の村で育って、大勢の兄弟・姉妹の長女で、尋常小学校しか出ていないが、文学少女だったと云う。ついに、二十歳前に家出して、満洲に渡ってしまった。母は、私に、沢山文学の話をしてくれた。裏山で、空を見ながら、詩を読む様な兄弟・姉妹に育ててくれた。
幼い花子が東京の女学校の寄宿舎で、田舎の母親に書いた手紙を読んだ母親は、ちょっと、"元気"と云う言葉が多過ぎて、花子のホームシックを感じ取ってしまう。母親の感じる力は凄いなーと想う。
花子の寄宿舎の門に、夜、東京へ行商中の父親がこっそり会いに来た時、塀越しに話すお父さんの優しい声。
私の娘が幼かった頃、娘との会話を想い出す。多摩動物園のライオンバスや、向ヶ丘遊園の"廻るコーヒーカップ"、自転車のハンドルの補助椅子に乗せて公園に行ったりして遊んだ日々を。
もう母も父も他界して居ない。 娘も成人して、子供時代の娘も居ない。
それでも、心のチャンネルを合わせれば、"花子とアン"のように、心の中にスクリーンが浮かんで来る。それが、返らない日々であっても、今を生きるエネルギーにもなっていると想う。
人は全て、安らぐ為に、色々な行動をしているが、未熟さが故に、その行動が、寧ろ、心を乱す結果になることも多い。
犯罪でさえも、動機は安らぐ為。安らぐと勘違いして、とんでもない結果を招く。それが、安らぎに繋がるか否かをよく吟味した上で、行動できなければ、円熟した人生とは云えない。
人は皆、周りに思い通りになって欲しいと願いながら、自らは、他の思い通りにはなれない。そして、エゴのぶつかり合いには、安らぎは無い。
エゴを捨てれば捨てる程、安らぎに近付く。
自分の行動・行為は、エゴの為なのか否かと、自問すれば、それが安らぎへの道なのか否かがわかる。
私は消えても好いと云う覚悟があれば、神の領域に近付く。無功徳に働くことができれば、永遠にして安らいでいる世界に近付く。
縁は、大きな蜘蛛の巣を揺らした時、全てが揺れることにも似ている。
自分だけの単独の存在はありえず、自他は不二、自他一如である。真理は、無我の世界。
他がある世界は、自と他が区別されているから、即ち惑わしの世界、執着(分別)の世界。
"死を恐れることは、他との別れを恐れること"、他が無ければ、もはや恐れるものは無い。大安心の世界。
人生の修行は、波のように立ちあがったり、崩れたり、繰り返しながら、やがて波は大海であったことを知って行く過程。
縁を深く感じることは、即ち、他が消えて行く世界、即ち、生死(しょうじ)を超越して行く道。
先週の住職の法話に触発されて。 お釈迦さま誕生の日に。
昨日、愛宕・青松寺の花祭り(釈迦生誕祭)で、宮沢賢治の作品の一人芝居(高見のっぽさん)を初めて見た。
"雪渡り"は、狐と子供の暖かい関わりの話。狐は人間の猟師のワナにかけられたりしても、人間に徳(美味しい本物のお饅頭をくれる話)をもって返す話。
"注文の多い料理店"は、腹ペコの猟師2人が、森の中のレストランに入り、何か食べようとすると、帽子を脱いで下さいとか、上着を脱いで下さいとか、色々な注文を受けて、結局、自分達が食べられそうになった(山猫の)料理店の話。人間は、いつも自分が中心で、何かを食べようとするが、自分が食べられようとする立場に気づかされ、ハッとする物語。
"狼森(おいのもり)と笊森(ざるもり)、盗森(ぬすみもり)"は、村の祭りの情景が好い。盗んだ人にも、かばおうとする山の神の声が好い。村の平和の情景が浮かぶ。私は、子供の頃、寝床で父から聴いた烏天狗の話の村の祭りばやしの音まで想い出した。
のっぽさんは、NHK"できるかな"とかに20年以上に亘って出演していた人、初めてお会いしたが、慈愛のオーラのある人であった。宮沢賢治の故郷の岩手県の森・青空・高原・森の小動物の写真のスクリーンにも、ただ感動した。
パフォーマンスが終わって、120人くらいの会場で、のっぽさんの歌・掛け声で、狼森の歌を歌う時、前から4列目の端っこに座っていた私と目があって、私に「わっしょい」と大きな声をかけて下さいと頼まれてしまった。私は、のっぽさんの歌に合せて、「わっしょい」と大きな声で、声をかけた。
昨日、午後、東京愛宕は、雷も鳴った。お釈迦様の生誕を祝って、"竜が空に昇って行きます"と寺の人が解説した。帰りに、出口付近でのっぽさんが、お客さんの見送りもしていた。また、のっぽさんが、私を見付けて、ありがとうございましたと云ってくれた。私は思わず、合掌した。
お釈迦様、生誕祭の日、それは、宮沢賢治のメルヘンの日でもあった。
「桜の花を見なくても、心の中に桜が残せるか?」、 心の中に絢爛たる桜がいつでも浮かべることのできる人は、もはや、外の世界を必要としない。
生命は、種子から種子へ帰る、そしてまた種子へ。種子に帰るとは、途中に如何なる矛盾があっても、必ず行き着くところ。途中は問題無い。途中は遊戯三昧。生まれてもいない、死んでもいない世界がある。それが"永遠"。
昨日の住職の言葉。
一瞬の中にも永遠が宿る。
時は丁度、夕方、5時くらい。西日が差す、区民会館の部屋の窓の方を見ると、オレンジ色に夕日を感じた。初めて、夕日が朝日に想えた。 夕日に寂しさはなく、夕日が、丸っきり、朝日のような清々しさに感じられた。どこからでも、いつも、いつも始まる人生がある。
私の勤務する場所は、芝・増上寺と、愛宕・青松寺の間に位置する。
即ち、浄土宗・法然上人(増上寺:1393年開山・浄土宗本山)と、曹洞宗・道元禅師(青松寺:1476年開山)の間の地に、私は、日頃身を置いていると云うこと。
法然上人は念仏を説かれ、親鸞上人の尊敬する師でもある。道元禅師との繋がりを探ると、共に、同じ境地に達しておられたことがわかる。
自力門と云われた禅、道元禅師の"正法眼蔵"に曰く、「ただ、我が身をも、心をも放ち忘れて、仏の家に投げ入れて、仏の方より行われて、これに随いもて行く時、力をも入れず、心も費やさずして、生死を離れて仏となる」。
念仏は他力門と云われる。 だが、道元禅師の到達した道も、法然上人と、親鸞上人と同じことに気づく。
"只管打坐"の"只管(しかん)"とは"ただひたすら"と云う意味とのこと。ただ、ひたすらに坐る。お茶を飲む時は、ただひたすらにお茶を飲み、ご飯を食べる時は、ただひたすらにご飯を食べる。
仏に全てを委ねて、"今ここ"を生きる。 法然上人と道元禅師に囲まれて。 東京・愛宕の地の縁を想う。
昨日も雨の中、昼も夜も、桜との名残りを惜しんだ。
ただ、3月31日(月曜)~4月1日(火)、 東京・大阪合計で、5件もの電車の人身事故ニュースがあったことを知り驚いた。山手線・東横線・田園都市線・湘南新宿ライン・大阪環状線で多発した人身事故に驚く。
ちょうど桜が満開の頃、多くの人が桜の美しさを愛でてる頃、死を覚悟した人がいる。
満開の桜が、どんなに見えたのだろうかと想う。この世の見納めに、桜を見る人もいる。別れの桜にもなる、新しい世界への門出の桜にもなる。
桜を映す心の、さまざまな風景を想う。
昨日の夜、雨のせいか、桜の名所・目黒川の桜は、今まで見たことの無い寂しさ、人影もまばらだった。日頃見慣れた桜の頃の目黒川沿いの賑わいが、昨日は、別世界のような静けさだった。
それも、桜の頃の光景。
桜満開の一週間、昨日の会社帰りは、芝公園の桜、増上寺の桜、青の水玉模様とオレンジ色のイルミネーションに装飾された東京タワーの光景も楽しんだ。
東京タワーをバックに、サラリーマン達のグループが桜の木の下で、花見の宴会をしている。私は、ベンチに座り、傍観者として、その光景を眺めた。よっぽどアルコールも飲みたかったが、昨日は休肝日と決めていたので、我慢した。
増上寺は、正門を入ると桜が咲き乱れる巨大な伽藍、その背後に、また、美しく幻想的に映える東京タワーとのコントラスト。これは絶景、会社の近くにこんな絶景があったとは、、、。
増上寺は少し歩くとJR浜松町駅。遠い昔、私の結婚式で九州から上京した両親が、増上寺のそばの旅館に泊まったことをいつも想い出す。結婚式の前の日、3人で、何を話したのだろう。慌しくて、内容は余り覚えていない。それでも、確かに、親子3人の時間が、浜松町・増上寺前のこの地にあった。
増上寺の桜と東京タワーは、両親と一緒にいるような、ふんわりとした気分にさせてくれた。
昨日、会社帰りに、昔住んでいた武蔵小杉の、法政2高そばの川沿いの桜を見に行ってみた。満開の桜が咲けど、照明もほどんど無く、人影はなし。それでも、ところどころの橋のそばには焼き鳥の屋台や、人がいて、桜を鑑賞している様子。
目黒川沿いの桜の頃の喧騒とは、大違いの静けさ。それでも、桜を見ると、同じく、絢爛たる桜が、暗い夜空に白く浮かんでいる。人に見られても、見られなくても、桜は咲く。
神田川沿いの道のような、マンションなどの建ち並ぶ薄暗い道を、桜を鑑賞しながら歩いた。
人知れず咲く桜も、密かな発見で好い。
昨日の朝、通勤途上、会社そばの街路樹の桜の花びらが、竹トンボのようにクルクル舞いながらゆっくりと落ちて来る様を見た。まさに桜の舞い。
昨日も昼は愛宕神社の桜、夜は武蔵小杉の桜、たった1週間なんだから、色んな桜と会話したいと想う。
4月8日は、お釈迦さまの誕生日。桜が咲く頃、廻って来る。
愛宕神社そばの曹洞宗・青松寺でも、お釈迦さまの生誕を祝って、4月6日(日)に、"花祭り"が行われる。
今年は、宮沢賢治の作品の一人芝居が行われる予定。私も是非、お釈迦さまの誕生日を祝いに、行ってみたいと想う。
スワミ・ヴィヴェーカナンダ師は、私は肉体を捨てて、1000年先も働くと云ったと云う。
お釈迦さまも、肉体は消えても、何千年も生きらっしゃる。桜のように、鮮やかに、人の心の中に蘇る。
宮沢賢治も、肉体は消えても、その後何年も、何十年も、人の心の中で働いている。人は、何時でも、心の中で銀河鉄道に乗って、宮沢賢治に会いに行くこともできる。
桜は、お釈迦さまを想い出させる。"肉体を捨てて働く"とは、こんなことなのだと想う。
それは、死が恐くない生きかた。ヴィヴェーカナンダ師は、肉体は不便だとまで云ったと云う。
肉体を捨てて働くエネルギーを得ることは、永遠の安らぎ。もはや死は無い。桜は散っても、毎年毎年廻って来る。