« 「私はどうなってもいい」と云う仏性、震災の日生まれた赤ちゃん、 | Main | おびただしい数の施しを受けて、 »

March 16, 2014

ふるさと大牟田会、2014年春、新宿にて、

昨日午後、第4回・ふるさと大牟田会(勉強会)が新宿新宿区立産業会館(BIZ新宿)で開催され、私も、郷里の話を聴きに、心ウキウキしながら参加した。(88名と云う縁起の好い数字の参加者だったとのこと)

平安時代以来、日本の5剣の一つを造った有名な刀鍛冶(刀匠・三池典太)がいた話、飢饉の対策に1674年建造された眼鏡橋(水道橋)のことなどを勉強した。そして昨年の大牟田市の10大ニュースを、近況を交えて、大牟田市長(古賀市長)さんから、直接プレゼンテーションして頂いた。

全ての話が、ずーっと、子供時代、中学時代・高校時代の私が見て来た大牟田の情景が浮かんで来て、当時の両親・兄弟との時間が蘇って来る感じだった。

一番、今の大牟田で嬉しく、印象的だったのは、"安心して徘徊できる町"を目指している、可愛らしい町であったこと。徘徊高齢者を隣近所、タクシー、バス、郵便局、駅、ガス会社、薬局など、町ぐるみで愛情ネットワークで捜し出しサポートする、仕組みを作って、全国でも有名になりつつあること。徘徊模擬訓練までやっているとのことであった。

炭鉱の町であったが、市の財政改革は進み、4年連続黒字に転換する堅実振りも、頼もしかった。私の子供の頃には無かった帝京大学の誘致と拡大、炭鉱の遺産の世界遺産登録申請なども。

今年は、大蛇山祭りの映画が封切られる予定とのことを、地元映画監督・港健二郎さんから聴いた。大津英敏画伯の多摩美術大学教授退職記念絵画展(4月7日~21日)の予定も知った。 作家の西村健さんは、吉川英治文学賞に続いて、最近「ヤマの疾風」で大藪春彦賞も取られたと云う。彼の大牟田弁のトークと、大牟田弁の分析に会場は大爆笑。

昨日は、ほんのりと、大牟田の空気に包まれて、天国の両親に電話したくなり、夜、妹や弟に電話した。そんな、大牟田の空気に抱かれた休日だった。

|

« 「私はどうなってもいい」と云う仏性、震災の日生まれた赤ちゃん、 | Main | おびただしい数の施しを受けて、 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« 「私はどうなってもいい」と云う仏性、震災の日生まれた赤ちゃん、 | Main | おびただしい数の施しを受けて、 »