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February 28, 2014

部分結氷の山中湖、雪景色の中、静寂の富士、

先日、友人から頂いたホテルの優待券を利用して、何十年振りかで、山中湖に旅してみた。 丘の上から見ると、湖の半分(浅い部分)が、白く、結氷していて、初めて目にする神秘的な光景だった。

冬の、ひんやりとした空気の中、圧倒的に眼前に迫る富士、麓も雪の白い帯。 自衛隊の演習場付近が、特に、先日の雪で覆われているのだと云う。

心地好い静寂の中、冬の富士。 夕日、夜明け前、朝日に輝く富士、快晴の富士、刻一刻と、変化する富士に見惚れた。

大学時代に、毎年、夏合宿は、山中湖に来た筈なのに、余り印象が無いことが不思議に感じられる。山中湖一周(14キロ)のマラソンのきつかったこと。 湖畔でキャンプ・ファイヤーをしたことなどは想い出す。

山中湖、富士の美しさを、その時の私には、受信する力が無かったのだろう。

江戸時代の人が見た富士を想った。 広重が見た富士を想った。 北斎が見た富士を想った。

そんな、ちょっとした、静かな時間が、まるで、人生にメリハリをつけてくれるようで、リフレッシュ出来たように想う。

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February 27, 2014

人のために生きる時、孤独は消える?

本気で、人のために生きようと思った時、中心となる関心事は、自分から他へ移る。

他が自分に何をしてくれるのかと考える時、誰しも、孤独は増す。

こんな、感覚に、不図、気づいた。

自分のことが、どちらだって好いと想えることは、他に,もっと大事なことがあるとも云える。

自分以外のことで、大事なことの発見は、すごいことなのだと想う。

それは、安らぎへの道に通じていることを、直感で感じる。

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February 26, 2014

カラスの可愛いテロ攻撃に学ぶ、

先日、出勤途上、駅に向かって歩いていたら、頭上から、私の歩く 直前に、鳥のふんが落下、道路に落ちた。 もし、0.5秒でも私が前に早く歩いていたら、頭上か、スーツに直撃だったかも知れない。

咄嗟に見上げると、電線にカラス。 見上げる私に、カー、カーと鳴いて、まるで、未遂に終わって悔しがっているようにも感じ、苦笑した。

私が、武将だったら、殺られていたかも知れない。

柳生宗矩なら、塚原卜伝なら、こんな隙は見せまいなど想って、ちょっと反省するのも面白かった、

住職は、奈良で出家された当時、寺の庭の木の葉の掃除が大仕事だったと云う。せっかく掃除が終わった庭に、師匠が来て、木を揺すって、また木の葉を庭に落として、「馬鹿もん! 、お前には、目の上は見えぬのか、」 と叱られたと云うエピソードを想い出した。

カラスも、私を鍛えてくれたのかと想った。 修行した者なら、前も横も上も下も、隙を見せてはならない?

まるで、子供の頃のチャンバラごっこまで想い出す始末。

カラスに試された我が身の可笑しさ。 楽しい気づきに、カラスに感謝。

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February 25, 2014

クウェート解放記念日 レセプション、 東京パレスホテル、

昨日は、クウェートが、1991年イラク侵攻から解放された記念日の、クウェート大使館主催のReception が、東京のパレスホテルで開催された。

1989年から1992年まで、私は、アブダビにいたから、クウェートへのイラク侵攻も、また第1次・湾岸戦争も、クウェートの解放も、アラブに於いて体験した。

1990年8月2日のイラクのクウェート侵攻から数日後、私は、家族を日本へ出国させる為、アブダビの空港に送った時のことを想い出す。その数日後、また私自身も、一時避難でシンガポールへ出国することになった。

人生で、初めて、戦争を身近に感じた体験だった。

私の人生観がすっかり変わったアブダビ駐在時代。現代に生きていいるようで、それは錯覚で、まるで中世にでも生きているような感覚だった。それまでの人生で、全く気づかなかった、知りたい世界が沢山あることを想った。その体験が、その後、たとえ会社を辞めても、今まで知らなかった知りたい世界に飛び込んでみたい気持になった。

そんなことを想い出しながら、華やかな、レセプション会場で、アラブの雰囲気に浸った。


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February 24, 2014

目標は過去の自己ベストで十分、

何事も、今までの集大成とか、過大な期待、過大なプレッシャーがあると、心身は、ぎこちなく潰れてしまう。

ソチ五輪のフィギアスケート・浅田真央は、大失敗のショートプログラムのあとの、フリープログラムで自己ベストの演技ができて順位にかかわりなく、演技が終わった直後、思わず涙した。

その光景は、多くの人の涙を誘った。韓国の人も、中国の人も、感動に国境は無かった。

バンクーバーの時の銀メダルより、失敗のあとに立ち上がった今回の6位入賞が、何倍も感動したと云う人が多いと思う。

人生も、金メダルも銀メダルも要らない。自己ベストを目指せば好いと想う。

私も、人生の自己ベストを目指して、自分の生き方を点検しようと思う。


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February 23, 2014

究極の仕事、スワミ・ヴィヴェーカナンダ師

スワミ・ヴィヴェーカナンダ師の"立ち上がれ、目覚めよ"の小さな書籍の中に、彼の死の直前の言葉が書かれていた。

彼は、死を、"肉体を、着古した着物のように脱ぎ捨てる時が来る"と評して、

「私は、決して、働くことを辞めない。世界が、それは神と一つのものである、と云うことを知るまで、私は、到るところで、人々を鼓舞し続けるであろう。」と、遺している。

そして、住職は、今も、ヴィヴェーカナンダ師は、働いていますと、いつもおっしゃる。

「形あるものは、全て神の館(やかた)である。」、じっとその言葉を噛み締める。

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February 22, 2014

寒さも,暑さも,時に行き過ぎて、

冬の寒さが厳しいと、早く暖かくなって欲しいと願う。 春の暖かさが、通り越して、次は、暑い夏になる。

夏の暑さが厳しいと、早く涼しくなって欲しいと願う。 秋の涼しさが、通り越して、次は、寒い冬になる。

何か、人生のようで、可笑しくもある。

ちょうど好いのは、寒さの厳しさを忘れない頃の春、暑さの厳しさを忘れない頃の秋。

厳しさからの解放が心地好いのだと想う。 即ち、厳しさは、解放の材料(原因)でもある。

そして、解放され過ぎると、今度、また、新たなストレスが生まれて、厳しい環境の中にいることになる。

往ったり来たり、往ったり来たり。

ちょうど好い春、ちょうど好い秋、そして人生にメリハリをつけるかのように、厳しい冬、厳しい夏が、演出してくれて、春と秋を際立たせてくれる。

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February 21, 2014

仮設住宅のおばちゃん達の300個のおにぎり、

2月20日、共同通信福島支局のニュースは伝えた。

福島市郊外の国道4号で、雪で立ち往生した車に、暖かいおにぎりを届けて回ったのは、沿道の仮説住宅に暮らす、福島県飯館村の村民のおばちゃん、おじちゃん達でしたと。

富山のお寺から支援物資として仮設に届いていたコシヒカリが1斗5升あり、20人が、自室から海苔と梅を持ち寄って、おにぎりを約300個作ったと云う。

炊き立てが冷めないように発砲スチロールの箱に入れて、1メートル近い雪をかき分けて、国道沿いを歩き、1台1台、車を覗き込んで、1人1個づつ渡して回ったと云う。

おじちゃん、おばちゃん達が、大雪をかき分けて、国道に立ち往生するドライバーを助けて回ったと云う。

何だか、日本昔話でも聴いてるようで、傘地蔵なども想い出した。

これは、いつも住職から聴いている、菩薩様だと想った。

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February 20, 2014

ゼロからのスタートと想えば、

色々、気になる心配事に悩んでいる時、朝、そうだゼロからのスタートだと仕切り直す気持になると、心が楽になる。

戦後、全てを失って満洲から引き揚げて来た人達は、本土の土を、生きて再び踏めただけで、感激の涙に咽んだ。無一物で、またやり直しだと云う、ゼロからのスタートだった。

ゼロからのスタートだと心の中でつぶやけば、母が、「負けるな。意地を出せ。」と励ます声がする。

ゼロからの方が、すっきりして好い。

倒れて、立ち上がるのを見せるのが、最高の、人生の教師。倒れて、立ち上がるのを、私は両親の後ろ姿で見て育った。

こんな強烈な応援団が、いつでも、心の中にいる。

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February 19, 2014

憧れの道、祈りの道、圧倒的な光に包まれて、

先日の住職から、修行の道の中の、祈りの道(バクテイーヨーガ)の法話を聴いた。その書き取ったメモの言葉だけを繋げても、その、圧倒的な光に包まれる。

神からの巨大な引力。 自分を忘れさせる程の憧れ。

蛇に噛まれても、最愛のものからの使者と感じる。

全てに慈悲を観る。

無我性を知った人は、差別を観ない。

矛盾を統一する力が愛。

矛盾がある人は、もう神の領域まで、手が届いている。

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February 18, 2014

理想主義、現実主義の狭間で考えること、

経済的に豊かな人、精神的にも余裕がある人には、滑稽な程、理想主義者が多いように感じる。

経済的にも、精神的にも余裕の無い人には、現実主義者が多いように感じる。 大勢の人が、現実主義者だと想う。

政治家ともなれば、理想主義過ぎてもトンチンカンで迷惑な話、現実主義過ぎてもギシギスし過ぎて迷惑な話。

それでも、そんな理想主義者や現実主義者達を、毛嫌いして、遠避けなくても好い方法を、私は考え出した。

それは、そんな人達を、幼児だと想うと、話を聴いてやることも出来る。 また、その人達をおサルさんだと想うと、エライなーと、関心することも出来る。

そうやって、偏った理想主義者も、偏った現実主義者も、適度に関わっても、気にならなくなる。

そして、一方、中道の、成熟した道を説く人の話を、沢山聴きたいと想う。


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February 17, 2014

幼児の「おじちゃん、バイバイ」、伸び伸びと生きるとは、

昨日、東横線の電車の中で、母親と幼児3歳くらいの女の子。座席に後ろ向きに座り、外の景色をキョロキョロ、そして、電車の駅では、ホームにいる知らないおじさんに対しても、「おじちゃん、バイバイ」と、声をかけている様子が、何とも愛苦しかった。

私が、声をかけられた知らないおじさんの方だったら、どんなに、また嬉しい気分になるだろうと想像した。

「おじちゃん、バイバイ」、初めて出遭って、親しみを込めて、「おじちゃん」と声をかけて、そして「バイバイ」。ただそれだけのことなのに、どんなにか、一日が和むことかと想う。幼児にしてみれば、好奇心一杯の外界に見える人間に対する親しみの表現。

「バイバイ」は、別れの言葉なのに、何て、前向きな、出遭いの歓びの言葉に響くのだろうかと驚いた。出遭ったことの歓びが圧倒的に大きくて、「バイバイ」の響きには、別れの哀しみが無い。

また遭えれば、それは凄いけど、もう遭えなくても、その出遭いだけで、十分過ぎる幸せ。出遭いの歓びを想い出せば、もうそれだけで圧倒されるならば、別れに哀しみの痕跡が消えて行く。

幼児の「おじちゃん、バイバイ」の声に、出遭いの幸せを学ぶ。

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食は医力、

今月の"食"に関する勉強は、野菜の力のすごさに改めて気づく。

― 「食は医力」(浅野純次著、教育評論社)から抜粋―

1、玉ねぎで脳卒中のリスクが減る、← 精神安定、安眠効果、血栓を
溶かす効果もある。

2、黒髪維持には、海藻、胡麻、大豆をたっぷり摂る。

3、動脈硬化には、アスパラガスが一番、← 毛細血管を強くするルチン
を含んでいる。

4、梅干し効果で「三毒」を断つ。 → 食物、水と血の毒を断つ。

5、味噌汁は、細胞・血管を若返らせ、肝臓の解毒、ガン防止にも効く。

6、痛風・高血圧は、新じゃが、で対策を。 ← カリウムが多い食品。

7、蓮根は、消炎、喘息、肥満に効果あり。

8、リンゴは、ペクチンで整腸作用、高血圧対策も。

9、ニンジンには、有力な抗ガン作用あり。

10、小豆(あずき)の、利尿・解毒作用は、昔から有名。

11、肥満には、食物繊維が最適の処方箋。

12、陽性食品: ナトリウムの多い食品、肉・魚・塩
冷やす、水を加える、膨張させると、陰性に変わる。
陽性食品過多の病気 → 高血圧・動脈効果・痛風・ガン、

13、陰性食品: カリウムの多い食品、野菜・果物・砂糖・酒、
陰性の野菜でも、熱・圧力・塩分、乾燥などで陽性に変わる。
陰性過多の病気 → 冷え性、ヘルニア、無気力、

以上

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February 16, 2014

"今"の価値は万人に等しく、"今"を味わう、

昨日は、雪の中、朝から交通機関も影響大きいと報道で知り、珍しく、家に籠城することにした。

いつも動き回る、マグロ回遊型人間には、一日中、家に居ることは、台風の時とか、年に数回くらいしか無いと思う。

ヒラメのようにジッとして居ると、普段考えない発想も湧いて来た。

人生でやらねばならぬことの多さ、日々の人生の過ごし方への反省など。

そして、何もしない休日の"今"も、何か、それはそれで、安らいでいた。

もう自分が死んだと思ってみると、中途半端だと思っていたことも、全てが終わって、安らいでいる。

そして、フッと我に返ってみると、今の自分が再び登場。再生である。

若い頃の"今"、現在の"今"、"今"の鮮度は同じだと想う。

人生を経て来た"今"は、もう食通のように、味わい方が全く違うと想う。

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February 15, 2014

小雪降る露天風呂、Jazz Concert 、雪景色、

昨日は関東はまた、夕方からの雪の予報で、私の勤務するオフィスでは、アラブ本国では金曜日は休日でもあり、14時の早目の終業となった。急に、退社できることになったものの、夕方6時からの銀座のジャズ・コンサートの予約もしているし、途中の時間調整に何をするか、咄嗟に悩むこととなった。

交通機関の最新情報をチェックして、運休は無いと考えて、先ず、早く帰る選択肢は無し。先週の雪で、雪の装備は十分。

4時間くらいの空いた時間を利用して、何と、川崎(矢向)の"志楽の湯"と云う温泉に行くことを思い付いた。"志楽の湯"は縄文の湯とも云われ、諏訪大社の御柱があったり、古い大きな味噌樽の湯船、倒木や笹のある露天風呂など、都会にあっても、遠い温泉地に行ったような気分になれる場所。 そこで、小雪降る中の露天風呂は格別だった。ネズミを大きくしたような動物"パテイバラ"が温泉の湯煙の中にいる様子、雪景色の中、日本猿が山で温泉に入っている様子など、想いだして可笑しかった。

夕方のジャズは、通訳ガイド協会GICCSのランデル洋子理事長が、東京Jazz Vocalist Gathering 出演されるので、是非行ってみたいと予約していた行事だった。ランデル洋子さんは、日本で一番美しい英語で歌うジャズシンガーと評される人。 サザンの桑田佳祐さんが亡きお姉さんのことを歌った"いとしのエリー"の英語版は、そのお姉さんと通訳仲間だったランデルさんの想いのこもった歌だった。6人の女性ジャズシンガーの歌を堪能した。

そして、また、1週間前の雪の日と同じように、駅から、20センチくらい新雪が積もった雪道を歩いて帰った。そんな、雪の日の光景。

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February 14, 2014

自分を傲慢にする人、それは災難に合うが如し、

考えてみれば、他の人の思い通りになる人も居なければ、自分も他の人の思い通りになることもない。それは、それぞれの人が、五感六識を持つが故の宿命、大自然の理でもある。

人生に於いて、自分に一目置いてくれて、何でも云うことをよく聴いてくれる人と巡り会うことは気持ちの好いものである。 そして、主人と家来の様な関係で、主人の方になる気持ちは有頂天になりがちである。

召使のように、仕えてくれる人を持ったつもりで、どんどん傲慢になって、実は、それは自然界の理に反して行くが故に、行きつくところ、大しっぺ返しを受けることになる。 会社など、いろんな組織でそんなことも多い。

自分を傲慢にする人は、味方ではなく、結局は災難(落胆)をもたらす。

相手への思いやりが、お互いに通じてこそ、お互いが大切にされて、長い、安らぎの人間関係が続く。

親に大切にされたけど、親に対して傲慢にならなかったことを想う。


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February 13, 2014

横浜中華街・春節 、そして浦賀水道を行き交う船

先日11日の休日は、旧正月(春節)を祝う横浜・中華街を歩いた。名物の甘栗売りの売り子に何度も呼びとめられながら、歩くのも楽しかった。

女の子用の、赤いちっちゃなチャイナ服が店先に飾ってあるのを見ると、もう可愛くて、特別な想いになる。私が昔、上海に出張したとき、幼児だった娘にチャイナ服を買って帰ったことなどを想い出して、、、、。

中国らしい二胡の音なども聴くと、中国の自然や、文化、人の素朴さなど、素晴らしさを想う。 私の両親は、中国の友人に助けられたからこそ、満洲から生きて、日本に引き揚げて来ることが出来た。 父の遺した手記の中に出て来る袁(えん)さんと云う人が助けてくれたから、今の私がいる。

1月31日~2月14日までの春節の祭りに、やっと来れて好かったと想う。

そして、午後は、一変して、京急電車で横須賀へ、浦賀水道の見えるSPA(観音崎京急ホテルの温泉)に行き、狭い海峡を行き交う船を見ながら、湯船で物想いに耽った。 最狭部、6.5キロの水道は、対岸の木更津、君津がすぐ見える。一日に1000隻もの船が通るのだと云う。

アラブまで行くタンカーも、私の目の前を通過して行く。乗組員は、また、この浦賀を抜けて、これからの長旅に向かう。

寒い冬の日の休日、私は、中国の春節を祝い、観音崎にて、遠くから帰って来る船を迎えたり、旅立つ船を見送ったり。

そんな休日の、即興の企画も、私の旅心のなせることかと想う。

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February 12, 2014

沈黙の時間にも意志疎通が出来る安らぎ、

久しぶりに話す兄弟・姉妹・娘・親友などと話す時の安らぎ、また亡くなった両親も、心の中で会話する時の安らぎ。

色々な人間関係の中でも、沈黙の期間や時間が気にならなく、いつでも心が通じている人間関係があることは人生の幸せを決める。

沈黙の時間でさえも、安らぎのエネルギーがいっぱい漂っている様に感じる。

一人で、寂しそうに見えても、それは、見る人の心の寂しさ。

心が通じていれば、寂しさは無い。

そんな、人間関係を築けるかがどうかが、大事な生き方だと想う。

自他一如の世界の安らぎを想う。


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February 11, 2014

若さは地獄だったかも知れない、

年をとるのを、嘆く人も多い。 若いだけで幸せなことだと云う人もいる。

だが、若い時期には、永続する安らぎを得る人は、あまり居ない。

エゴ、即ち他と自分の区別に右往左往、翻弄されて、それで安らぎを得ることは困難なこと。

成功と失敗、幸せと不幸の白黒つける考えで、安らげることは無い。

そのような考えを、超えるには、人生の思い通りにならぬこと、打撃衝撃の数々を経なければ、到達出来ない。

今想えば、若さは、素晴らしく云う人もいるが、崖の上にいる様な不安の中にいたのではないかと想う。または、若さ故の大衝撃に見舞われて地獄だったのかも知れない。

春にあっても、心の中は、冬だったかも知れない。

でも、今は想う、冬にあっても心の中は、春も見れると。


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February 10, 2014

社長・金持ち・パンダ、からの思索、

先日、日経で、私の友人が、従業員数千人の大会社の社長に就任するニュースが写真入りで出ていてビックリした。 早速その日の朝、祝辞のメールをいれたら、「今後ともご支援よろしくお願いします」と返信があった。

社長は激職、社長になれば忙しく、また周りにチヤホヤされることでは、人生に於いては試練であるとも云える。社長は社内の権力が故に、金持ちは贅沢ができるが故に、パンダも可愛いいが故に、周りにチヤホヤされる。

チヤホヤされることは、自己の学びに於いては大きな障害・ハンデとなる。周りの雑音を取り除いて、学んで行くには、相当の力量が要る。

パンダは、人間にとって、生まれながらに可愛がられる。 パンダに、ぶさいくはいない。ゴキブリは生まれながらに人間に嫌われる。ゴキブリに美人やイケメンはいない。

生きものや物質を形づくる材料は同じ、ただ、鋳型が違うだけ。

石ころとダイヤモンドが同じに見える境地が、永遠にして安らいでいる世界。それこそ、神、愛、真理の世界。

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February 09, 2014

雪も雨も嵐も、矛盾の統一、

昨日、午後、大雪の中、重装備で坐禅会へ出掛けた。出掛ける前、自宅の前の家の方が、家の前の道の雪かきをされていて、私も放置できなく、私も少し雪かきをした。それは、好い縁に触れたのだと思う。スコップで雪を運ぶことが、何故か、面白くて、人にも役だっているようで、また雪と遊んだ気もした。

雪道を、ペンギンのようにヨチヨチ歩く姿を、我ながら、旭川動物園のペンギンを想像して、愉しくもあった。

東横線の電車は遅延はあっても、動いてはいた。何の用事があるのか、案外多くの人も乗っていて、人々の営みが、何故か興味をそそった。

帰りは、約20センチくらいに積もった足跡の無い暗い雪道は、色々な想像力を刺激した。226事件、八甲田山、赤穂浪士討ち入り、、、、、。そして、歓びの雪景色、満洲引き揚げ者の方が書かれた手記"瑞雪"(ずいせつ)は、引き揚げてて来て、久しぶりに故郷で見た雪を、歓びの雪"瑞雪"と表現されていた。

昨日、大雪の中、坐禅会に行く前に、住職から頂いたメールに、"地の矛盾を慈しむ、天からのいとなみ"とあり、雪が愛おしくなった。

雪も雨も嵐も、あらゆる自然現象も、人生に起こる色々な事象も、矛盾を統一しようとする力、即ち"愛"ではないのかと想う。

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February 08, 2014

雪の日、道元禅師の句、

目覚めると真っ白の世界、シーンとした雪の日の朝だった。何か珍しくて、子供心が蘇る。

朝風呂に入り、湯船で、雪の日の静けさを味わう。

"春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬雪冴えて涼しかりけり"、道元禅師の句を想い出す。

人生には、絶好調の時も、絶不調の時もある。呼び方は、そうでも、それぞれの人生の季節。

今日は、坐禅会の日。

静かに雪道を歩く。

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February 07, 2014

おたまじゃくし博士との再会、

昔、私が、石油会社のアブダビ駐在をしていた頃、日本からお客さんが来るのが楽しみだった。

その出張者が休日にかかると、一緒に、砂漠や海岸や、スークなども出掛けたりもした。

当時、小学1年生だった娘が、出張者の人に、色々あだ名をつけていて、その名前でも楽しませてくれた。

チャウチャウ犬に似ていたから、チャウチャウ犬とか、一緒に、オマーン近くの岩山の川で、おたまじゃくしを採って遊んだから、おたまじゃくし博士だとか、あだ名をつけていたことなど想い出す。

チャウチャウ犬さんとは、今でも年賀状やり取りしている。 おたまじゃくし博士は、九州の同郷出身で、最近やっと連絡がとれ、今週の休日に、久しぶりにお会いする約束をした。

写真を撮って、成人した娘に、おたまじゃくし博士の近況として、送ってやろうと想う。

人生は、童話の場面のようでもあることを想う。

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February 06, 2014

特攻隊遺書からのメッセージ、

2月4日の日経夕刊に、"特攻隊の遺書、世界記憶遺産申請へ"と云う記事があった。

墨で書かれたなぐり書きの文字、 「母さま、今、何も云うことはありません。最期の、また最初の孝行に、笑って征きます。 泣かずに、よく征ったなーと、仏前に団子でも供えてください。」

私は、昨日、この文字を、じっーと、眺めた。

そして、私の高校時代の母への心理を、この遺書の心理と重ね合わせてみた。

何故か、死ぬことの悲しさと、他のために死ねることの喜びを同時に感じ取ることが出来るような気がした。

特攻隊の遺書には、遺されたものへの、生きることへの励ましがある。それは、命を賭けた励ましである。

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February 05, 2014

自分がゲストと思えば怒り、自分がホストと思えば安らか

自分がゲストになりきり、誰かに奉仕して貰って当たり前になった時、人間関係は壊れ、また思い通りにならぬ時、怒りに苛まれる。自分の権利のようなもの(錯覚)に対する声高な主張。そして、人間の魅力を失って行く。

自分がホスト(奉仕する人)になりきり、誰かに奉仕する気持になりきった時は、思い通りにならなくても、傲慢さが無い分、怒りに苛まれることは無い。

社会では、ゲストとゲストが出会えば大喧嘩。

ゲストとホストでも、ホスト側の堪忍袋の緒が切れるまでは、表面上のゲストとホストの関係は維持出来るが、喧嘩の火種がくすぶる人間関係。

ホストとホストの人間関係は、安らぎ。お互いに我欲を主張せず、譲り合うので、心の平安が維持される、最良の人間関係。成熟した人間どおしの人間関係。

数年前、ロンドンの書店で見付けた禅の本に、そんなことが書いてあった。

成功した人で、他に対し、ホストであり続ける人は、稀であると思う。

いつも、ホストであることを心がける生き方が出来るかが、人間の成熟度合いだと想う。

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February 04, 2014

宛先は香川県・粟島 、"漂流郵便局"、

先日TVで、"漂流郵便局"と云うものを紹介していた。

天国の母へ、天国の父へ・子へ・兄弟へ・恋人へ、もう会えない人へ、まだ見ぬ孫へ、・・・・・・、とか、時空を越えて、自分が伝えたかった想いを綴って手紙を書き、出せる郵便局。

香川県、三豊市にある旧粟島郵便局をアーテイストの久保田沙耶さんが"漂流郵便局"として生まれ変わらせ、芸術祭に出展したものが、そのまま続けられるようになったと云う。

宛先がわからないので、手紙を書くことを諦めていた人へ、この新たな宛先ができたことで、何となく、手紙を書いてみたくなる気も湧いて来る。

もしかしたら、宛先の人が生きていて、この島を訪れてくれたら、その手紙を読んでくれるかも知れない。

亡くなった人へ書くと云う意味では、それは"天国にある郵便局"と思っても好い。

"生きることは、日々が、毎日、何かメッセージを残していること。"

いつか、一人で、香川県・粟島を訪れたいと想う。


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February 03, 2014

NHK俳句 全国大会で私が感動した作品、

昨日、夕方、NHK俳句全国大会のTV放送をたまたま見た。私が、感動した作を、メモした。

「うぐいすの 音色もいれて 柩閉ず 」

「逝きし人 生き抜く人に 星月夜 」

「ホタル去り 闇が地べたに 戻りけり 」

「二幕目の 始まるように 雨後の蝉 」

「一粒のブドウや 母に 吸うちから 」

さー 今週も、顔晴ろう(頑張ろう)と想う。

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February 02, 2014

桜の開花の神秘、

桜の開花は、2月1日~の毎日の最高気温の累計で、600度に達した時に開花すると云う。

桜の感じる感覚の正確さが、自然界の仕組みが、精密機械のようで面白い。

人間も、そのような自然界の法則に支配されていると想う。

数字で決められたように、私も、人生を送っているのでは?、とさえ想う。

不幸が累計で600個に達した時、見えなかったものが見えて来るとか。

生老病死も、全て、自然界の数式で管理されているのではないかと想う。

それは、哀しいことだろうか? いつも、みずみずしいことだろうか? と自問する。

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February 01, 2014

35年ぶり再会、新潟ESS 、六本木の弁護士事務所にて

昨日は、ついに実現した約35年ぶりの再会。

1975年頃、私がNHKの英会話のテキストの交流欄で呼びかけ、発足した社会人のNHK新潟ESSと云う英会話の会のメンバーだった当時・司法修習生の方が、今では、六本木ミッドタウン前の弁護士事務所を経営されていた。 会社の昼休み、六本木の弁護士事務所を訪ね、35年ぶりの再会が実現した。

新潟で英会話をしたことで、その後外資系企業との仕事も増え、今、10人くらいの弁護士を抱える弁護士事務所に発展されていた。

私が、大学卒業後、誰一人の知りあいも居なかった新潟で、寂しい想いをしていた頃、呼びかけた社会人のESS。
それが、色々な方々の人生の想い出になっていることが、嬉しかった。

当時約20名くらいの会員がいて、常時10名くらいで週2回、NHK新潟放送局で、英会話を愉しんでいた。

NHKのアナウンサーの方もメンバーにいて、それぞれに多彩だったなーと想う。

観光会社から派遣され、現在・箱根のホテルの経営をしているメンバーもいて、今日は、その箱根のホテルを訪ねてみようと想う。

昨日・今日は、もう新潟ESS一色。 新潟駅前、新潟の雪、万代橋、信濃川、古町、・・・・・、それも、私の人生の光景。

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