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January 22, 2014

当事者ではなく、目撃者として人生を眺める

目撃者として、学ぶ者として、周りのあらゆることを観察する目は、素晴らしい境地に導く。

「自分の人生も、当事者として、その激流に巻き込まれるならば、摩擦(不幸・不運)を感じることが多くもあろうが、目撃者として、流れの外に身を置いているならば、あらゆるところに神の愛の発現を見いだすだろう。」

ヴィヴェーカナンダ師のパラ・バクテイー(愛の極致)の書に書かれている言葉を、住職の法話の中で学んだ。

自分の人生を当事者としてではなく、目撃者として観る目は、慣れていないが、何か、とても新鮮で好い。

エゴを観察して、愛おしくなる様な、その目は、もう神の目に近いのだろう。

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