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January 16, 2014

妙好人(みょうこうにん)誕生の現場を往く、奈良・三輪への旅

住職が、奈良・三輪で出家(慶田寺)した頃の話で、米山爺さんと云う"妙好人"に出逢われた話をよく聴いていた。"妙好人"とは経典を読めなくても、解脱・悟りの境涯に達した人のことを云う。

米山爺さんは、孫が継母に苛められる耐え難い苦しみ・悲しみから、平等寺の裏の滝でよく滝に打たれていたと云う。その後、米山爺さんは、慶田寺の本堂の前の方の席で、毎日泣きながら祈っていた姿をよく見たと云う。

そして、ある日、寺の外で墓の掃除(作務)などをしていた時、仏様のような笑みで、高僧のようなことをべらべらとしゃべり出したと云う。

「耐え難き苦しみ」が土台にあり、そこに「深い信仰」と、今ここに打ちこむ「無私の行為(作務)」の3つの要素が、ついに、エゴの崩壊を促したのです。 米山・妙好人の誕生の瞬間だったのです。

悲しみの涙の行きつくところまで行き、遂にエゴを崩壊させ、幼児の様な神への甘えの世界に入ったのです。住職は、「悲しみは、エゴそのものだったのです」と、数年前、その話を聴いた時に解説してくれた。

私は、妙好人・米山爺さんが滝に打たれていた場所も、毎日泣いて祈った場所も、解脱された場所も、みんな、その現場を見ることができ感動であった。

三輪の最終日の昼食(万直し旅館)の時、ある人が、小学生の子供の単純な作文に感動した話をしてくれた。 "僕は歩く、テクテク、テクテク、テクテク、テクテク、・・・・・・・ "

私も、深い哀しみの中にあっても、毎日の神への祈り、そして、やるべき仕事(作務)を毎日毎日コツコツコツとやろうと思う。"私は歩く、テクテク、テクテク、テクテク、テクテク、・・・・・・・ "、光へ続く道を。

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