最近、92歳で亡くなられた小野田少尉、戦争終結後、29年目にして、1974年、フィリピン・ルバング島より帰還し大きな話題になった軍人。
小野田は、戦後約30年経っても 戦争当時の上官・谷口少佐から、直接、命令の解除を受けて、やっと、フィリッピン軍司令官に軍刀を渡して投降した。投降する前に、小野田は、当時の上官に、彼の今までの任務として、フィリッピンの最新レーダー基地等の報告をしている。
小野田の投降式には、マルコス大統領も出席、彼を軍人として讃えている。
彼は発見時、51才だったが、60才になったら、レーダー基地に決死の突入をして果てる覚悟だったと云う。
日本政府は、小野田帰国後、すぐに、100万円の見舞い金を贈呈するが、受け取りを拒否するも渡されたので、他の義捐金と共に靖国神社ヘ寄付している。
小野田の死に際して、ニューヨークタイムズは、「戦後の繁栄と物質主義の中で、日本人の多くが喪失していると感じていた誇りを喚起した」と評した。当時のフィリッピンのマルコス大統領に、投降の印として軍刀を手渡した時の光景を、古いサムライの様だったと論評した。
ワシントンポストも、「彼は、戦争が引き起こした破滅的状況から、経済大国へと移行する国家にとって、忍耐・恭順・犠牲と云った日本の戦前の価値を体現した人物であった」と論評した。
小野田少尉の写真には、張りつめた軍人の精神で覆われており、その後、ブラジルで農園を営まれたり、日本で講演活動をされている時の、別人の様な、やわらかな、安らぎの表情が、忘れられない。
人間の持つ使命感が、意思力の強さが、こんなに美しい形で見せられるとは、私の人生では、驚愕の事件であった。