足元で支える母、
寺院や教会も、お経や儀式も、一つの象徴である。その背後にあるものを知らせんが為の入り口である。
それ以上のものでも、それ以下のものでもない。 入り口に留まって、他と争っていてはならない。 行き付くところは、同じ真理なのだから。ヴィヴェカナンダ師の言葉を引用しながら、昨日の住職の法話。
"楽は崩壊することを知り、苦でも大丈夫の世界があった。"
"たとえ、無間地獄に堕ちても、足元に母が支えているのが見える。"
母は宇宙の象徴、真理の象徴。 もう、この言葉に、全てのことが込められていることを感じた。
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