« 星空の冴える冬の日、友人の想い出、 | Main | 足元で支える母、 »

December 14, 2013

"人間としてどう生きるのか"と云う誤解、

昨日、終業後、いつものように新宿坐禅会に遅れて参加した時、部屋の外で休憩時間待ちの間に、ちらっと聴こえて来た住職の法話の一部が、心に残った。

"人間としてどう生きるのか"と云う問いは、もう入り口から間違っている。

誰が、貴方を人間と決めたのか?

自分を人間と云う個体と思うことが、五感六識に振りまわされた妄想。

全ての存在に、私を感じなくて、"人間としての私"とか、云ってる間は、安らぎも程遠く、また宇宙の真理も知ることもない。

私は、草木や動物や虫、あらゆる物体、存在そのものが、"私"と云う閃き。"人間として"と云う、顕微鏡で見るような見方では、息苦しい。

私の周りを、全て私の一部と観ることは、全てが愛おしく見え、安らぎを与えてくれる。

|

« 星空の冴える冬の日、友人の想い出、 | Main | 足元で支える母、 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« 星空の冴える冬の日、友人の想い出、 | Main | 足元で支える母、 »