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December 31, 2013

世界と一緒にお正月、

年末の海外の友人とのMessageの交流に、胸が熱くなる。

Norwayの船会社の友人は、クリスマス休暇にサンタクロースが出て来るような山小屋から、私とJokeの交流。

Newzealandの友人は、私の人生の大転換期にNewzealandでお世話になった人。

Arabの友人は、私を今の会社に採用される縁を繋いでくれた人。

Indonesiaの友人は、去年来日時、流鏑馬や、牛久の大仏,向ヶ丘遊園・民家園など案内した人。

何か世界中で一緒にお正月を祝える気がして、自分放送局の"往く年、来る年"の中継みたいだ。

心の中の除夜の鐘。 一所懸命に生きようと想う。

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December 30, 2013

大牟田レンタサイクル、宮原坑跡、"満月の湯"、お年玉、

昨日、大牟田駅前のレンタサイクルに乗り、大牟田の街を走った。高校野球優勝校・三池工業高校前、弟の卒業した有明高専へ行く道など、そして、世界遺産申請中の三池炭鉱・宮原坑跡を初めて見た。かつては、日本の近代化を支えた石炭産業の跡、宴の後のような静けさであった。

その近くに、数年前から出来たという大牟田の温泉、"満月の湯" に立ち寄った。そこには、岩山の中の露天風呂や、満月の月を見れるような湯ぶね、そして初めて"歩行浴"と云う歩く風呂も体験した。"泳がないで下さい"との看板にも苦笑。競走馬が温泉療法をするように、自分も歩行浴をしてみると愉しかった。ジャクジの風呂では、深さが段差があって、思わず沈みそうになってみたり。

そして、夜は、弟家族・弟の地元の親友も交えて、弟の自宅で会食。弟の子供達へ、恒例のお年玉授与。 高校生や大学生になった子供達は、もう、私の背中に乗ったりして遊ばない。正月明けてから、行く小田原の妹の家の子供達も、もうすぐ一番下が大学を卒業する。お年玉をあげる時期も、終わりに近付いていることも感じる。寂しいやら、楽になるやら。



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December 29, 2013

大牟田の情景、ちょっと異次元に似て、

昨日は、新幹線の中から、今シーズンの初めての雪景色を関が原辺りで見た。昼頃に博多に着くと、博多もちらりと小雪だった。JR快速荒尾行きに乗り換えて大牟田へ向う途中、船小屋駅を通る時、高校時代マラソンの練習で、私は、こんな遠いところまで走っていたのかと、今更、自分に驚いた。(新幹線でも一駅の長さ)。私は三池高校だったが、大牟田高校は駅伝で有名で、今回大牟田の街には、大牟田高校・全国高校駅伝準優勝おめでとうの垂れ幕が飾ってあった。

大牟田に着いたら、夕方、大牟田文化会館のプラネタリウムで冬の星座の上映と、ムツゴロウと有明海のアニメもやっていることを知り、早速見てみた。オリオン坐・双子坐・雄牛坐・など冬の夜空を飾る、"冬のダイヤモンド"を初めて知った。ムツゴロウの住む有明海の潮の干満は平均で5.2mもあることも、数字を初めて知った。

夜は、高校時代に親しかった友人と居酒屋でちょっと飲んだ。 彼が、飲食店もやっていた私の家に遊びに行くと、いつも、私の母が、彼にラ一メンを食べさせてくれたことを想い出すと云っていた。母にとって、息子の友人も、我が子のように、とても愛おしい存在だったのかも知れない。

大学時代など、私の帰省の時は、私の大好きなクジラを買って来てくれて待っていた母。

今では、大牟田の街一杯に、大牟田の空一杯に、母の笑顔が浮かぶ。

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December 28, 2013

2013年年末、大牟田への帰省の旅、

今日は、新横浜から、早朝の新幹線で、九州帰省の旅、故郷大牟田では姉や弟家族、高校時代の友人が待つ。

先日のTVで、大牟田は、"安心して徘徊の出来る街"と紹介された、人口12万の寂びれた街。痴呆老人の福祉が進んだ街か、苦笑い。

三池炭鉱が華やかなりし頃は、落盤事故もたまにあったが、大人達が恐いくらい元気好かった。

高校時代よく自転車で通った書店"金善堂"、地元資本のデパート"松屋"などは、もう無い。幼児の頃、街で見かけて、ひらがなを覚えた"だるまわた"の看板も無い。三井化学の大きな工場のビルは今も大きな存在感で大牟田らしい風景の一部。

人気の少ない街を歩く時、ここで、18才まで過ごした自分が、愛おしく蘇る。 そして、今も同じ形の三池山を眺める。

新幹線の車窓から、窓の外を眺めながら、5時間で、そんな街に近づく。

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December 27, 2013

世代自由自在、

昨日、仕事で関係のある某大手商社の20代の独身男性社員と電話で話している時、クリスマスイヴに彼女と二人で食事した話を、私に報告してくれて、"諭吉さん(お金のこと)を沢山使いましたよ"とかの話に、大笑い。

先日は某石油会社の若手男性社員二人を、立ち飲み屋に誘って、彼らの生活振り・文化を聴いて愉しかった。

社長から平社員まで、つきあえる今の私の仕事は楽しい。

若手社員の文化を知ると彼らの滑稽さが見え、また会社幹部も同様に滑稽に見えて来て、それぞれに面白い。

そして最近書いた今年の年賀状の中で、今年は、まだ生まれて数ヶ月の男の子にひらがなで年賀状を描いたことも愉しかった。私の得意なカエルの漫画の絵を描き、まだ字も読めない赤ちゃんへの年賀状。 知り合いの若い夫婦の初めての赤ちゃんを今年の秋、会って抱っこさせて貰った。

色々な世代から見える社会の情景を想う。

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December 26, 2013

小学生の娘の想い出、

約20年前、アブダビに住んでいた頃、小学生に入ったばかりの娘が、夕方、住んでいたアブダビの高層マンションでちょっと一人留守番をしている時間、ドア付近の小さな物音を聴き、ドアの方へ飛んで来て、ドアを開けて外へ出た時、不注意で自動でドアが閉まってしまった時のこと。

私が、オフィスから帰宅すると、ドアの前で泣いていた娘、私に抱きついて来て泣いた時のこと。

一人、ドアの外で、心細く、何時間か待っていて恐かったことだろう。

娘は、泣きながら、お父さんだっと想って外に飛び出したら、外でドアが閉まって、その時、頭の中で、ピカッととして、しまったと思ったと云っていた。

"頭の中で、ピカッとして"と云って、その、子供にとっての大惨事を表現してくれた。

人生において、いろいろな想い出が形作られて行く。私と娘の泣き笑いの想い出。


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December 25, 2013

サンタは誰か、微笑ましい疑問、

今朝、どれだけ多くの子供達が、枕もとでプレゼントを見て、驚いたことだろう。

「何で自分が欲しかったものがわかったのだろう?、 いつ持って来たのだろう?、どこから入って来たのだろう?」

朝焼けの空に、サンタの姿を追う。

ちっちゃい子なら、空に向って、「サンタさん、ありがとう」と叫ぶ。

幼稚園生なら、何かおかしいぞと、サンタの真犯人捜しを始めるかな? 小学生なら、同級生どうしの横の連絡網で、真相を知らされる。

だまされたままにしておくか?、真相を知ったことを告白すべきか?、新たな対応を迫られる。

親としては、だまされてる子供を見るのが楽しい、だまされたつもりを演じているのか?怪しく感じる時も、駆け引きがまた楽しい。

神様の使いサンタさんが、親だったと知ることは、人生の最大の気づき。

今日は、私も、思いがけない幸せを何か考えて、それをサンタからのプレゼントと考えてみようと思う。

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December 24, 2013

人生のサンタクロース

その人が寝ている間に枕もとに、その人が欲しかったものをそっと置いて、気づかない内に去って行く。

気づいた人は、お礼は夜空に向って云って貰えば好い。

そんな"人生のサンタクロース"になれれば、素晴らしい。

そして、今まで出遭って来た"人生のサンタクロース"のことを想う。

イエス様もお釈迦様も、親友だったことに気づく。

お釈迦様もクリスマスイブに微笑む。クリスマスキャロルを聴きながら。

今夜、夜空にはサンタクロースの家の灯りが耀く。そんなクリスマスイブ。

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December 23, 2013

勘違いの面白さ、

私は、勘違いの面白さを知ることは、人生を豊かにしてくれると想う。

大人をみんな、ちっちゃな子供だと思って観ると、好き嫌いが和らぐ。どうしてこんな子供になったんだろうと、慈しみの情で見れる。

自分が10代だと想って、大自然の光景の山や海を観ると、今からまた、新たな人生が待っていると感じる。

全てが私だと感じると、あくせくと、他と差をつけようとする意味が無くなる。

自分が善玉菌でもあり悪玉菌でもある。バランスを取って大自然。

昨日は、東京・尾山台で、故郷の同期の同窓会で、10代の高校生の頃の自分と、現在の自分が行ったり来たり点滅する画面。

色んな勘違いで、人生の旅、"そうだ、京都へ行こう"とか、すぐに何処へでも行ける気がする。

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December 22, 2013

日本を代表して、簡単なメール

昨日は休日の朝、日経の一面には、私の仕事に関わるLPG4社の合併報道がスク一プされていた。コスモ・東燃・昭和シェル・住友商事のLPG部門の統合が24日正式発表される予定を、日経が昨日記事にしていた。

連休中の出来事でもあり、すぐ要点を英訳して、自宅PCからアラブ本国へも報告した。

そう云えば、アラブの本国で仕事する人達にとって、私が、日本への目であり肌であることが、ちょっとやりがいを感じた。休日の朝、ほんの10分程度の出来事なのに、何か、日本を代表しているような気分がして心地好かった。

これは仕事ではない、ただ親しい友人に、友人の関心のあることを、メールしただけのこと。

そう思うと、仕事が日常の生き方と一体化しているではないかと思えて、新しい気づきでもあった。

そして、昨日は、夕方の忘年会まで、朝から一日中、部屋の掃除をしたことも、一つの達成感だった。今日は、夕方の忘年会まで、年賀状を書こうと思う。そんな2013年のクリスマスの頃。

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December 21, 2013

この一日が残っていることの幸せ、

人生には、あーすれば好かった、こうすれば好かったと想い返すことも多い。思いがけない幸せも、思いがけない不幸も。

その人生の激流の中で、それで、もうお仕舞いと想ったのに、また今日が訪れる。

ならば、今日は、どんな一日にしようかと想う。

この一日が残っていることの幸せを感じて生きようと想う。

しなけばならないこと、そうしたいことなど考えれば、人生は、敗者復活戦のように、真剣味が増す。

神々しいほど美しい宇宙や自然を感じながら、今朝も夜が明ける。

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December 20, 2013

こうすれば癌は防げる、今月の書籍

最近、毎年、友人を癌で亡くした。今月は、癌について、勉強した。

― 「こうすれば癌は防げる、 NHK科学環境番組部著、小学館」 から抜粋―
1.抗酸化作用の食物代表
大豆、セロリ、にんじん、小麦、玄米、ウコン、柑橘類、お茶、ナス、トマト、キューリ、かぼちゃ、ピーマン、ベリー、バジル、メロン など。

2.解毒作用の食品代表、
ニンニク、ワサビ、ブロッコリー、カリフラワー、カイワレ、キャベツ、芽キャベツ、 アサツキ、ニラ、カブ、タマネギ、ダイコン、ショーガ、 など。

3.食物に含まれる癌物質、
A: 代表的発癌物質: アフラトキシン、 ある種のカビの生えた植物性食品や、それらを飼料にした家畜の肉や、乳や卵から、
B: 体内で合成されてできる発癌物質: 野菜や人の唾液に含まれる亜硝酸塩と、魚や肉などに含まれるアミンが、結合して生成されるニトロソ化合物と云う発癌物質がある。

→あらゆる食品から発癌物質を取り除くことは不可能。→癌を防ぐ食物を摂取することが大事。

4. 癌予防14箇条、
(1)植物性食品中心、(2)肥満避ける(脂肪が作るエストロゲンが細胞分裂(子宮癌・乳癌)を促す。(3)運動の維持、(1日1時間の早歩き→SOD酵素分泌→活性酸素を無毒化する) (4)野菜・果物1日で400g~800g (5)穀類・芋類・豆類を、1日、600g~800g (ご飯だと1日、4杯) (6)お酒適量、(酒が分解されてできるアセトアルデヒドは発癌物質) (7)牛肉・豚肉は1日、80g 以下、 (8)脂肪は控える、(脂肪摂取と大腸癌で死亡は比例) (9)塩分は1日、6g 以下、(日本人の平均は13g) (10)カビ毒に注意、(外国産のナッツ類のカビに注意) (11)腐敗しやすい食品は必ず冷蔵庫で保存、 (12)食品添加物・残留農薬に注意、 (13)焦げた部分は食べない、(14)煙草吸わない。 以上

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December 19, 2013

心の中のスペイン、カニサレス来日公演にて、

昨日は会社帰り、フラメンコ・ギタリスト、カニサレスの来日公演を聴きに新宿に立ち寄った。

数ヶ月前から、チケットを予約して、待ちわびていた公演。

カニサレスの演奏は、もう技術を越えて、魂に従って演奏しているような、精神性が素晴らしい。そして、踊り手と一体化した調べ。

哀愁と熱情と、景色と人生と。

まるで、スペインに旅したかのような、心に広がるスペインの光景。

昔、アブダビ駐在の頃、旅したスペインの光景が蘇る。

そして、カニサレスのメロデイが人生を奏でる。

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December 18, 2013

2013年、雪の予想の日、レバノン人友人からのクリスマスカード、

今朝、郵便ポストを、新聞を取りに開けると、端っこにへばりついてる海外郵便を発見した。見慣れた文字に、胸が熱くなった。アブダビ時代のレバノン人秘書の女性からだった。

"皆さん、お元気ですか?好い休日の季節を過ごされていますか? 最近、私達夫婦には、好いNewsがありました。長男のKarimが去年11月に父親になりました。私達に、Samyと云う男の子の孫が出来ました。次男のDanyは、今、英国で修士過程の勉強をしています。 あと、私達夫婦は変わりありません。

レバノンの母の介護の為、アブダビから、頻繁にベイルートに通っています。

私達は、アブダビで、貴方達と過ごした日々をいつも想い出しています。"

私が過ごしたアブダビの日々、1989年~1992年、湾岸戦争もあった。沢山の感動的な、会話もあった。

レバノン人の彼女は、湾岸戦争が始まった時に、私は嬉しいと云って私を驚かせた。"レバノンは長年の内戦で疲弊しています。この戦争で、日本人ももっと身近に戦争の悲惨さに気づいてくれると思うから・・・"と。

秘書家族と私達家族と一緒に、アブダビの対岸の島にキャンプした想い出。当時小学生だった私の娘と、2005年、大学生になった娘と二人でアブダビに旅した。娘は秘書と再会した時、声をあげて泣いたシーンを想い出す。

今日の夜は横浜も雪になると云う。心は、クリスマス。


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December 17, 2013

"エゴ性の放棄"を神と云う、

"エゴ性の放棄"を神と云う。

相対世界を"生死"と云う。相対世界に絶対を観る。

ちょっとでも油断すると、ものが二つに見える。

勝つとは、無常を征服すること、即ち"無我"。

これらの言葉の意味するところが、私の修行の道しるべ。

2013年の坐禅会を締めくくるに相応しい言葉を、昨日メモした。


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December 16, 2013

安心して徘徊出来る街・大牟田市

先日NHKで、痴呆症の方が全国で800万人の時代で、家族の負担が深刻化しているとのことであった。

そこで、大変参考になる施策を取っている例として、私の故郷・福岡県・大牟田市(人口10万人)が紹介された。

インターネットで、市民・商店・タクシー会社などが、徘徊老人の情報を共有化して、徘徊する痴呆の老人を見つけ出し保護することを街ぐるみでやるシステムを構築しているのだ。

模擬訓練もやって、約1時間半で、保護とか、実績も紹介されていた。

発見して近付く時は、方言で話かけるとのことなども面白い。

街全体が、家族のように機能しているところが、ほのぼのとする。

安心して徘徊出来る街・大牟田。

街には、徘徊する人が、溢れているのではとか想像するだけで、可笑しくなる。


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December 15, 2013

足元で支える母、

寺院や教会も、お経や儀式も、一つの象徴である。その背後にあるものを知らせんが為の入り口である。

それ以上のものでも、それ以下のものでもない。 入り口に留まって、他と争っていてはならない。 行き付くところは、同じ真理なのだから。ヴィヴェカナンダ師の言葉を引用しながら、昨日の住職の法話。

"楽は崩壊することを知り、苦でも大丈夫の世界があった。"

"たとえ、無間地獄に堕ちても、足元に母が支えているのが見える。"

母は宇宙の象徴、真理の象徴。 もう、この言葉に、全てのことが込められていることを感じた。


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December 14, 2013

"人間としてどう生きるのか"と云う誤解、

昨日、終業後、いつものように新宿坐禅会に遅れて参加した時、部屋の外で休憩時間待ちの間に、ちらっと聴こえて来た住職の法話の一部が、心に残った。

"人間としてどう生きるのか"と云う問いは、もう入り口から間違っている。

誰が、貴方を人間と決めたのか?

自分を人間と云う個体と思うことが、五感六識に振りまわされた妄想。

全ての存在に、私を感じなくて、"人間としての私"とか、云ってる間は、安らぎも程遠く、また宇宙の真理も知ることもない。

私は、草木や動物や虫、あらゆる物体、存在そのものが、"私"と云う閃き。"人間として"と云う、顕微鏡で見るような見方では、息苦しい。

私の周りを、全て私の一部と観ることは、全てが愛おしく見え、安らぎを与えてくれる。

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December 13, 2013

星空の冴える冬の日、友人の想い出、

昨日、アブダビ時代の友人の商社マンの通夜に春日の伝通院(臨済宗・妙心寺派)に参列した。現役の商社マンらしく、大勢のビジネスマンが集まった。

彼と、2人で、7月4日昼、愛宕山のレストランTで、会食したのが最後の会話となった。昨日初めて、膵臓ガンを患っていたことも知った。50代で独身で、温厚なナイスガイだった。喪主のお母さんの姿が痛々しかった。

昨日の夜は、冬の星空が冴えて綺麗だった。

彼と最後に会食した7月4日の私のブログを、再び見てみた。

それは、"温もりたなびいて、NHK小さな旅、茨城県・太子町・蛇穴村"の記事で、彼とのお別れの日の想い出の記事となった。

「日曜日の早朝、NHKの "小さな旅"は、私の大好きな、心休まる番組である。先日、茨城県・奥久慈・太子町・蛇穴村と云う山の谷間の、過疎の村(住民34軒くらい)の風景や人々を紹介する番組を見た。店は一軒もない。山を切り拓いて、食べるだけの食物を育てて生活している。

久枝さんと云う一人暮らしのお婆さんの家の倉庫には、15000本の薪(マキ)が積みあげられていた。お爺さんが、亡くなる前から、久枝さんが何年も、困らないようにと、毎日毎日、山から、薪を背負って集めて来てくれていたものだと云う。

久枝さんは、薪を毎日焚いて、生活しているが、お爺さんに貰った薪が減って行くのが寂しくて、自分もお爺さんの真似をして、僅かだが、山から薪を背負って持ち帰り、その薪の山を補充していた。

そんな久枝さんと、同じ集落の仲良しの住民の人たちの語らい。八溝山を眺望する斜面の畑の光景。

集落から、煙がたなびく。人の温もりが、空にたなびいていた。」


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December 12, 2013

人間は、特注品か?、 既製品か?

人間の個性に着目して、人間一人一人を特注品と想いたい心理は、よくわかる。

だが、個性と云っても、印象の寄せ集まった気分に過ぎないと想えば、大したことはない。

目が二つ、鼻が一つ、耳が二つ、足2本、手2本など、人間も考えてみれば、ユニクロの既製品と同じじゃないか?と、先日の住職の話。考える材料の提起。

個性と思ってるものは、五感六識に惑わされた妄想の世界。

自分は、特注品ではないと考えることは、意外と、心を軽くする。


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December 11, 2013

人間は気体と云う感覚、

先日、住職の気功の会の時に、人体も気体のようなものと云うことを聞いた。

物体、生物全て、固体のように見えても、気の集まりと見る見かたは、何となくわかる。

気のエネルギーが漂って、集合して、物体を形作っている。

粒子の目は粗く、スカスカに空間だらけなのに、硬い固体のように思ってしまう五感の誤解。

私を、形作っているのは、ある気のエネルギー。

風通しよく、日々新たな気に生まれ変わって行きたいと想う。

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December 10, 2013

塩で造った人形が海に入るように、

塩で造った人形が、海の深さ・広さを調べに海に入った時、海の深さ・広さを体感して、そして海に溶け込んで、大海の一部になって行く。

五感六識は、海の表層。潜在意識も、まだ大海と接する部分。潜在意識を越えた第9識(印象・気分を越えた世界)が大海の世界。海の深さの層を想う。

12月8日、釈迦成道の日に、気功の練習の時に住職から聴いた。

昨日帰宅してみると、震災後、石巻の食品加工工場を再建した友人(社長)の急逝の訃報が入っていた。 12月8日 未明、まさにお釈迦様の成道の時に逝去されたとの報だった。銚子の工場を見学させて貰った時に見た犬吠埼の海、震災で瓦礫となった石巻の工場跡で、もう笑うしかないと云っていた友人。広島の大和ミュージアムを是非見るように薦めてくれた友人。 彼の笑顔を想い出しながら、彼は海に溶け込んで、成道したのだと想った。

昨日は、医師の友人から貰った招待券で、上野の東京文化会館大ホールに関孝弘ピアノ・リサイタルを聴いた。人生を奏でるような、やわらかな音楽が耳に残ったまま。

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December 09, 2013

落語にさえも仏性を教わった日、

昨日、お釈迦さまが成道(解脱)された日、私は、朝の気功の練習の後、午後、落語を聴きに横浜にぎわい座に行った。落語を聴きに行っても、結局、お釈迦さまの手の平の上だったなーと感じる日だった。

林家たい平さんの独演会で、大笑いしようと思って行ったのに、「芝浜」と云う演目に、笑うどころか、感動で泣かされてしまった。

長屋の貧しい魚の行商の夫婦の物語。 酒の飲みすぎで魚行商の仕事を怠けるようになった夫が、ある日、海岸で拾って来た財布に42両の大金が入っていたことを、妻は、酒の飲みすぎで夢だと言い張り、真面目に働かせるように仕向けた妻の話。

酒を断ち、立派な店を構える魚屋になった3年後、妻は、拾った財布(42両入り)は本当だったことを告げ、夫が拾った金で益々堕落するのを止め、真面目に仕事するようになる為に、妻が夫をだましていたことを告白する。

寒い日の朝、魚の行商に行く夫が、家にいる奥さんに風邪ひくなよと気遣ってくれた日々の幸せ。この部分が、私には、ぐっと来て、弱い。 早朝から働いていた父のことを想い出して・・・・・・。

だまされていた夫は云う。だまされる自分より、だましていた妻の方が辛かっただろうと気遣う。

立派な魚屋になった今、久しぶりに、好きなお酒を、妻に薦められた夫は、今にもまた酒を飲もうとする寸前、パッと止め、またこれが、夢になるのはイヤだからと結ぶ。

粋な話だなぁと、庶民文化、落語の泣き笑いの芸術の美に酔った。

会場に、たい平さんへ贈られた沢山の花束を、小分けして、帰りのお客さん達に持ち帰って貰っていた。私も、花束まで貰って、まるで、法話を聴いたような気持に浸って帰った。

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December 08, 2013

形あるもの全ては神の寺院、12月8日の朝に、

12月8日は、約2600年前、お釈迦様が長い苦行の後、12月1日から8日まで瞑想された後、解脱された日。その日に因んで、各地の僧堂では、その1週間、特別な坐禅の修行がなされる。臨済宗では、昼夜横にならず坐禅をするので、雲水殺しの苦行とも云われると聞いた。

昨日は、私も、昼から夜10時くらいまで、坐禅に加わった。途中、住職の法話も聴けた。

「形あるもの全ては神の寺院」ヴィヴェーカナンダの言葉。

引力は宇宙で唯一の動力である。引力は、"愛"の科学的表現。

相手が"私"だから自己犠牲に見える。

愛する者と、愛される者は、愛に於いて消えてしまう。アートマン(真理・仏性)はその歓喜のことを云う。

12月8日未明、明けの明星の頃、お釈迦様は成道された。全てが神の寺院であったことに気付かれた日。


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December 07, 2013

マンデラ大統領の表情のオーラ、

"対立の世紀・貫いた融和"、"報復無き闘争"、5日に死去した南ア・マンデラ元大統領を世界中が悼んだ。

差別され、ひどい目に遭わされた敵にさえ、和解を説いた、あの優しさは、仏さまのように想う。

弱者の立場から、世界を動かした人。 ガンジー、キング牧師、マンデラ大統領、・・・。

白人を打倒せず、"虹色の国"の思想で、白人・黒人の共存する国を作った。

私は、マンデラ大統領の写真や、映像を見る度に、母の優しさを想い出す。

優しくて、強くて、いつも見守ってくれていて。

マンデラ大統領と、私は、いつでも、心の中で会話することが出来る。


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December 06, 2013

ギャグの本を出す夢の台頭、

昨日は、会社終業後のビジネス勉強会に参加し、その後の懇親会で、私は、周りの友人に、得意のギャグを披露。

ギャグが受けて、将来、私は、ギャグの本を出したいと云うアイデアを云ったら、周りにいた5人が、「買います」と、もう予約してくれて、笑った。 一人で、5冊くらいも買いますとかも。

私は、長年かけて、自分のギャグのネタを書いたノートがあり、今でも、新しいギャグを付け足している。

いつか、ペンネームで、ギャグ本を出すことを考えてみようかと思うと、嬉しくなる。

価格は、1000円。 出版関係の友人を捜そうと思う。 新たな夢の台頭。

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December 05, 2013

英語で流行語大賞 2013年、

昨日の英字新聞で、今年の流行語大賞の表現に大笑い。

「倍返し」→ "Double Payback"、 または、"Double Revenge"

「今でしょう」→ "Why Not Now ?"

「じぇじぇじぇ」→ Phrase expressing "Shock"

「おもてなし」→ "Hospitality Spirit" (carefully enunciating syllable )

因みに「流行語」とは、"Household phrase" , "Buzzword"とか。

会社のアラブ人に「倍返し」をアラビア語で何と云うかと聞いたら、???? 、彼は、考え込んで、 「アラブには、目には目を、歯には歯を・・・」とか、答えて、ピントがボケて、これこそ、国際間隔かと、また可笑しくなった。

面白いので、外資系に働く私としては、神戸で働く娘にもメールで教えてやった。



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December 04, 2013

蕎麦屋さん、家族全体で働く姿の感動、

先週の日曜日の午前中、調布で開催中の写真展を見に行った帰り、昼食に立ち寄った蕎麦屋さんの光景が、ほのぼのとして、とても心地よく、印象に残った。

調理場が、店の席から見え、中で働くお父さん、皿洗いのお祖母ちゃん、客席係りにはお母さんと、小学2年~3年生くらいの女の子が笑顔で水を出してくれたり、また幼稚園生くらいの男の子も、笑顔で簡単なものを運んでくれたり手伝いをしてくれていた。

祖母ちゃんや、親子が、みんなまとまって、仲良く、一緒に店を切り盛りしている様子が、微笑ましく、また、羨ましいくらいだった。

私も、九州の実家では、昔、飲食店もやっていたが、子供の頃の私には、手伝いが嫌で、サラリーマンの家庭がとても羨ましかった。

今思うと、親子で、働ける自営業って、素晴らしかったんだなーと想う。

当時の両親の様子を想い出す。会社員もしながら、貸本屋・文房具屋、飲食店など、夫婦協力して、色んな商売をやって来た両親は、共に満洲の苦労を経て来た経験からか、生きて行く術に於いては、筋金入りの、逞しさがあった。 家族全体、一所懸命に生きていたなーと想い出す。

調布で立ち寄った蕎麦屋さんの光景が、何故か、懐かしい光景のようにも想えた。

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December 03, 2013

ジャズシナリオ、シンフォニーシナリオ、人生のシナリオにも似て、

最近、海外メデイアの報道に、石油市場予測を、ジャズシナリオ、とシンフォニシナリオと云う表現をしていて、とても興味を惹かれた。 石油とジャズがどうかかわるのかとか、考えたことも無かった。

色んな、その時々の予測できないワイルドな展開ををジャズシナリオと呼び、予測出来るオーソドックスな調和した展開をシンフォニシナリオと呼んでいた。

その表現力に、思わず、"かっこいい" と、感銘を受けた。

シンフォニーのように安らぎの、予測可能なシナリオで生きているつもりでも、人生はいつの間にか、ジャズになっているとも想う。

不規則なようでも、ジャズは、その場、その場の調和を求めている。何か必死で調和を求めているところが、魅力なのだと想う。米国の黒人社会から発した生命の叫びのようなメロデイー。

置かれた境遇に於いて、次のステップをどう奏でるのか、生きているメロデイーが聴こえて来るような気がする。

今日も、どんなジャズを奏でようかと想う。

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December 02, 2013

京都観光ガイド・侍ジョー、100人の山村の民宿、

昨日、朝TVで、京都・観光ガイド・侍ジョー(岡田さん、84歳)さんのガイドの模様を初めて見た。

商店街を案内し、惣菜などつまみ食い体験あり、かつお節の削り実技体験あり、ジョー(岡田さん)さんのチャンバラ芸あり、流石、手作りガイドだと感銘を受けた。ジョーさんは有名で、私も、以前手紙を出し、ジョーさんから、ガイドネタの本を送って貰ったことがある。私も、横浜で、ガイド・ネタを整備して、いつの日か、"横浜のジョー?"と云われるようになれるかな? 新たな意欲に火が点いた。

また、京都から行く、交通の不便な山村で、100人くらい住民の集落にある民宿が、台湾の女性客に大人気の様子も放送された。 温泉も観光の目玉も何も無い。ただ、田舎の藁葺き屋根の山村の佇まいの安らぎだけ。 柿の実を竿で採ってみたり。日本昔話の光景みたいな。

将来会社を辞めても、人に安らぎを与える仕事ができたらいいなぁと、夢が膨らむ。

昨日から、青森・津軽鉄道では、ストーブ列車が走り始めたと云う。



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December 01, 2013

生きることは、想い出の再現、

想い出は、印象・気分の集合体。

人間にとって、全ての物事は、印象・気分(煩悩・執着)を通して見える。

即ち、生きることは、印象・気分を呼び起こす営みとも想う。

想い出は過ぎ去らず、想い出が再現されているからこそ、生きている証しでもある。

生きることは想い出の再現。

印象・気分から逃れることは難しいが、学ぶ力で、御すことは出来る。

自分の印象・気分を、変える力は、身体と心が生きている間は出来る。

それが、修行の所以。堂々と、想い出に生き、"春は花、夏ホトトギス、秋は月、・・・"と、謳おうと想う。

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