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November 30, 2013

出勤前の舟盛定食1000円、横浜中央市場、

昨日の朝、遂に実現した。 朝、出勤途上、横浜中央市場に立ち寄り、市場の飲食店で朝食を食べてから出勤すること。 家から東神奈川駅まで歩き、そこからタクシーで710円区間、朝8時には市場に着いた。

メニューは、650円が主流だが、1000円の舟盛定食が気になり、思い切って注文。まるで旅館の夕食の小さめの刺身の舟盛だったが、せっかくだからと出勤前にもかかわらず食べてみた。 お酒が欲しくなる程の雰囲気。

店は、ほぼ席は埋まっていて、私も他の御客さんと相席。私の前の席の人にも驚いた。市場へ買い物に来た帰りの主婦らしき女性、朝からビール1本を飲み、煙草プカプカ。 早朝買い物に来て、帰りにビール???、

やはり、通勤前に、見る光景じゃないなーと、内心可笑しくなった。

通勤前に試みた、ちょっとした小さな旅、不思議な国に立ち入った感じがして、面白かった。

帰りは、バスで横浜駅へ行き、朝の横浜駅の通勤ラッシュの風景の中に、私も飲みこまれた。そして、何事も無かったかのように出社。想い出せば、朝の不思議な旅だったなーと想う。


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November 29, 2013

新橋・愛宕、早朝の小さな旅、

昨日の朝は早朝から家を出て、会社近くのJRの駅・新橋駅に年末の切符の予約に立ち寄った。

用を済ませて、新橋駅から愛宕方面へ歩くとき、駅の近くの公園に、約70~80人のサラリーマンの掃除部隊が集結していた。出勤前に街を綺麗にしているのだ。 背中にゼッケンを付けて、塵拾いの道具を持っていて、感動ものだった。朝8時半過ぎ頃の新橋の光景。

歩いていると、愛宕山のそばの空き地では、もう工事の人達が、トントントンと工事する音。朝早くから、ハンマーを使って工事しているヘルメットをかぶった若者の姿の逞しさ、美しさ。

愛宕通りでは、私が大学時代・添乗のアルバイトをした懐かしい"KM観光バス"が2台通った。配車先に向うのだろうと思った。

禅宗・青松寺の門の前の花壇には赤い椿、道には黄色や赤の枯葉。晩秋を感じながら、枯葉の上を歩く。

慣れた場所でも、ちょっと早目の時間に来て見る都心の風景も、新鮮な、"小さな旅"であった。


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November 28, 2013

励ます人は、孤独ではない、

数日前、スタジオジブリの星野康二社長の講演を、たまたま三田祭で聴いた時、思わずメモした言葉に、「リーダーは孤独ではありません」と云うのがあった。

リーダーは孤独と、思い込んでた私には、とても新鮮な響きだった。

励ます時、人はエゴを手放し、他のことを想う。確かに孤独では無い。自他一如の世界が広がっている。

今までの売上げや占有の時代は、云い変えれば、排除の時代。 今、我々が迎えようとしているのは、多様性の時代です。異質共存を前提とした時代です。と彼は云った。

スタジオジブリの最新作「かぐや姫の物語は、CG等を駆使したアニメではなく、素朴な手間のかかる手描きのアニメであった。色も地味だが、素朴な、日本の物語のロマンを描きたかったことがわかる。

そう云えば、昨日、昼休み、会社のそばの道で、お祖母ちゃんに連れられた2歳くらいの可愛い女の子が、ピンク色の服を来て、踊るように歩いたり、駆け出してみたり、まるで、散歩することが夢のように喜んでいた。私も、笑顔を送ると、私の周りにまとわりついて、微笑みかけてくれて、別れる時、私に手を振ってくれた。・・・・・、まるで天使のようで、私は、かぐや姫に出遭ったのように想った。

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November 27, 2013

同郷ビジネスマンの会、笑いに包まれて、市ヶ谷アルカデイア、

昨日の夜、年に一度の、田舎(三池・久留米・筑後)の同郷のビジネスマン交流会を、市ヶ谷アルカデイアで開催した。この会も、最初、15年以上前、数人で、"新橋のおでんや・三池"で飲んでいた会から発展して、毎年、20名くらい立食の交流会が、メンバーの楽しみになった。

20人くらいの少ない人数なのに、ガス・電力・商社・石油・化学・素材・金融などの業種に広がり、中でも、会社の経営のトップや役員になった人も半数弱、まさに壮観なくらい。幹事の私としては、もうこれ以上偉くなられると日程調整に困る、社長になったら除名するとか、冗談を云って笑わせた。

皆、短く近況を話しながら、冗談を云い合うのが、日頃の仕事から解放された息抜きの場にもなっていることが心地好い。仕事を、リタイヤした人も、福岡からも来てくれたり。大学の同じ下宿だった友人も。

そして今回は、東京に単身赴任中の私の弟も誘い、初めて出席した。弟を、父の満洲の同窓会に誘ったり、このような交流会に誘ったり、子供時代のように、弟を引きずり回している。

この会は、たぶん、皆が現役を退いてからも、楽しいと想う。短い近況報告に、皆が笑いっ放しになるくらい。今回も、沢山の笑いのネタをメモした。

メンバーの名前を、新聞や雑誌で見付けると、スピーチを想い出して、つい笑ってしまうかも知れない。

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November 26, 2013

今日生まれ、今日生き、今日死ぬと云う生き方、

今日生まれ、今日を生き、今日死ぬと想像して試る。

昨日生まれ、昨日を生き、昨日死んだと想像して試る。

太陽の光に育まれ、雨に育まれ、やわらなか陽の日差しに見守れられ、瑞々しい雨粒に見守られ生きる。

仏性に生まれ、また仏性に帰る。生まれて帰るまでの間、五感・六識の中で生きる。

毎日、毎日、生まれ代わり、死に代わり。

そんな循環を感じれば、生きている間は、短く感じても、サラサラと流れる川にように、光に耀いて見える。

想像する力で、行きたい所へどこへでも行け、会いたい人にもすぐ会えるような自由自在、それが仏性ではないかと想う。

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November 25, 2013

2013年三田祭、お笑いライブ"笑道"、マジックショーなど、

昨日は、毎年訪れている大学祭・"三田祭"を見に出掛けた。

今年は、12時頃、正門からキャンパスに入るや否や、モーニング娘研究会の熱気溢れるステージ中。観客もピョンピョン飛び上がって踊りながら、周りながら聴いていて、まるで大学生達が幼児のようだった。大学生が子供に見えながらも、それが瑞々しい生命の讃歌のようにも感じ、胸が熱くなった。

その後すぐ、模擬店の男子学生の呼び込みに薦められて鯛焼き(200円)、その後、女子学生の呼び込みに薦められてポタージュスープ(400円)。 クレープを売る屋台の屋根には、「留年したら、倍返しだ」とか、流行語を使って、意味不明のメッセージ。

その後、517番の大教室で、お笑い芸人ライブ「笑道」、ゲストは漫才コンビの「響」。結構、沢山笑わせて貰った。私のネタ帖にも、傑作作品をメモした。

その後、ビッグバンドのジャズライブ。 そして、今年は初めて、マジックショーも。

マジックショーは特に素晴らしく、ハンカチから鳩を5羽くらい出すのは、未だに不思議でしようがなかった。ショーが終わって、マジシャン本人に話掛けて聞いてみたが、彼は、ただ笑っているばかりだった。

スタジオジブリの星野康次社長の講演も、熱い人生観を感じた。新作"かぐや姫"を6分くらい見せて貰ったが、"かぐや姫"の神秘性やかぐや姫自身の心理描写、人生の美しさなど、すぐ素晴らしい映画であることに気づいた。宮崎駿監督と並ぶ、高畑勲監督の55年間の構想と50億円の大作とのことも凄い。是非、近々見に行こうと想う。

今年は、そんな三田祭だった。

大学祭を見ると、私にも、そんな大学時代があったことを想う。両親に、一度くらい大学のキャンパスを案内すれば好かったのになーと、今さらながら、いつも想う。


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November 24, 2013

母と"婦系図"を語り合う、港が見える公園・神奈川近代文学館、

横浜・港が見える公園にある神奈川近代文学館で、泉鏡花展が開催され、昨日は午後1時半から、1955年の映画・「婦系図」(湯島の白梅)が記念上映(主演:山本富士子・鶴田浩二)された。

私は、昨日、快晴の晩秋の日、午後、桜木町から赤い靴号(周遊100円バス)で、港が見える公園へ行き、バラ園とベイブリッジの眺望を見ながら、文学館へ向った。

"婦系図"は1907年、やまと新聞に掲載された悲哀物語、「湯島通れば想い出す♪・・・・、当時、誰もが泣いたと云われる作品。私の両親も泣いたはず、私は映画を見おわって、姉に電話してみたら、やはり姉も映画を見たと云う。

私は、今まで、漠然としか知らなかった"婦系図"を、昨日、初めて映画で全貌を知ることが出来た。

文学好きだった母は、"婦系図"について、映画を見終わった私に、語りかけて来るように感じた。母は、作品に対しどう想ったかは、私は、母の人生から、想像することが出来る。

"絶望の淵で見る湯島の白梅、湯島天神の階段"・・・・・、どう対処していいか、わからない様な、押し潰されそうな人生の哀しみを、母は、共感して泣いたはずだと想った。

人生を経て来た今の私なら、お蔦にも主税(ちから)にも、苦難への対処の仕方を語る。その様子を見て、母は、たぶん驚くと想う。私を見詰めて、我子と想わないくらい頼もしく感じて、驚くと想う。いつの間にか、精神的に、我子と想えないくらい成長していて、母は驚いた表情と、安らかな表情を見せると想う。

母に云う。私は、住職に出会ったことを、禅の思想に触れたことを。

私は、今年、2月、初めて、何となく、湯島天神の白梅を見に行った。そして、昨日、初めて"婦系図"の映画を見て、湯島の白梅に隠されていた深い意味を知ることが出来た。 


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November 23, 2013

ビフィズス菌への感謝、生物多様性への感謝、

今月は、ビフィズス菌のことや、生物多様性による地球の健康のことなど、勉強してみました。― 「人体常在菌の話(美人は菌で作られる) 青木犀著、集英社新書」 ―

1.有益菌の代表: ビフィズス菌の働き: (1)ブドウ糖の分解: 乳酸や酢酸を作り、腸内を酸性に保つ → アルカリ性を好む病原菌の増殖を阻む。 (2)腸内のお掃除: 腸内の腐敗を抑える。 (3) ビタミンを作りだす: 体内にビタミンB 群、ビタミンK などを作り出す。 (4)免疫力の向上: ビフィズス菌自体も、侵入してきたウイルスや菌に攻撃をしかけ、免疫力を上げる。

2.ビフィズス菌によく活動してもらうには: (1) 海藻・根菜・芋・豆を含む野菜類、それにオリゴ糖を一緒に摂った方が好い。 (2) オリゴ糖を作る食物 → キナ粉・バナナ・タマネギ・ゴボウ、など。

3.睡眠不足で、何故皮膚がボロボロになるのか? : (1) 皮膚の新陳代謝に必要な成長ホルモンは、午後10時~午前2時までの間、活発に分泌される。 (2) 睡眠不足が続くと、体力保存のため、血液が皮膚へ行き渡るのが後回しになり、皮膚の栄養分が足りなくなる。 (3) 睡眠不足で緊張状態が続くと、男性ホルモンが増加、皮脂量が増え、アクネ菌が活動、ニキビの原因となる。

4.自然は、ストレスに効く最高の薬: 森や湖や川や海には、あらゆる菌がうまくバランスをとりながら暮らしている。 それが、地球の肌である土壌の健康である。 生物界は、多様であるから健康。 (それが自然の安らぎ) 菌の状態も、まさに、虫や鳥と同じ。多様性があることが、土にも身体にも抵抗力をつける。身体の菌の多様性が無くなると、アレルギーや、病気になったりすると考えられる。


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November 22, 2013

ボジョレヌーボー、2013年、銀座のイルミネーション、

昨日は、石油業界の、丸の内でボジョレヌーボーのワインの会があり、顔を出した。業界の人が約100人くらいは参加していたと思う。

去年まで、そのワインの会を主催をしていた友人が、去年ボジョレの会の後、クリスマスの日に白血病で他界した。彼とも、アブダビ時代以来、よく飲んだものだった。仲間4人を、自分達で、アブダビの"3馬鹿トリオ+運転手"とか呼んで、笑っていた仲間だった。

久しぶりに会う友人・知人と、ワインを飲みながら立ち話。石油製品をトレードしていた頃の話。テヘランで会った時の話など。

ほろ酔いで、外へ出ると、銀座は、もうクリスマスのイルミネーション。イルミネーションの並木は、デズニーランドのような世界。

ボジョレヌーボを、デズニーランドの世界で味わうとは、今朝、想い出せば、うっとりとする世界だった。


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November 21, 2013

寂しさは朝日のように、再会は夕日のように、

寂しさは、再会を望むエネルギー。それは若さのような、朝日のようなエネルギー。

再会は、別れを惜しむエネルギー。それは成熟した時のような、夕日のようなエネルギー。

吸う息、吐く息にも似て、吸わねば吐けぬ、吐かねば吸えぬ。

寂しさへの気づき。寂しさは朝日の耀き。そして、再会は夕日の耀き。

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November 20, 2013

無限との境界、みなとみらい駅壁面芸術の詩

昨日、横浜みなとみらい駅の長いエスカレーターの巨大な壁に、ドイツ語と日本語で壁面に描かれた詩の概念芸術(米国人アーテイスト・ジョセフ・コスコースの作品)を再び、ゆっくり読み、資料をインフォメーションの係りの人から貰った。

素晴らしい壁面アートだと思い、いつも通りかかると眺めていたが、資料から表題が、"The Boundaries of the Limitless"(無限との境界).であったことを知り、改めてその表題にも感動した。

「樹木は成育することの無い無数の芽を生み、根を張り、枝や葉を拡げて、個体と種の保存に有り余る程の養分を吸収する、樹木は、この溢れんばかりの過剰を使うこともなく、享受することもなく自然に返すが、

動物は、この溢れる養分を、自由で嬉々とした自らの運動に使用する、この様に自然は、その初源から生命の無限の展開に向けての序曲を奏でている、

物質としての束縛を少しづつ断ち切り、やがて自らの姿を自由に変えて行くのである」

これは、20世紀初頭のドイツの詩人のフリードリヒ・フォン・シラーが、デンマークの王子・アウグステンブルグ公に宛てた書簡に書かれた「自然」を歌った詩であると云う。

動物達も人間も、植物を食べさせて貰って、植物と一体化している生命、大自然の瑞々しい生命の営みを感じる。

そして、"無限との境界"とは、個体の死と同義語と感じる。個体の死から、全体への融合、それが、安らぎの背景だと想う。

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November 19, 2013

「お父さん、行ってらっしゃい」と云う光景

昨日の朝、会社へ行く時、駅への小路の家の前に4歳くらいの女の子の声、「お父さん、行ってらっしゃい」。

お父さんは、ラフな格好だが、仕事に行く様子。家の前の道路を横切って、駅へ向うところだった。

女の子が玄関の外へ出て、お父さんに手を振っている。お母さんは、そばで女の子を見ている。

朝、8時過ぎの光景。

私は、その女の子の声が、心地よく耳に残ったまま駅へ歩く。そのお父さんは、家が見えなくなっても、家の方を振り返る。

ただ、それだけの光景との出会いが、昨日の私の心を和ませた。

街は、もうすぐ、クリスマスのイルミネーションの準備が始まる頃。

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November 18, 2013

お笑い芸人と行く初島・時空の旅、

週末の休日、郷里の同期の12名の仲間達で、熱海の前にある島・初島へ旅した。

郷里・大牟田の小学校・中学校・高校の子供時代の仲間達との旅は、時間を越えて行く旅だった。また、海に浮かぶ初島は、空間の旅。今回の同窓との旅も、まさに、時空を越えて行く旅だった。

ホテル・エクシブの部屋のベランダから見る広大な海の碧さと、遠くに見える島々の美も堪能した。

昨日は早朝から、さほど寒くもなく、最上階の浴場の露天風呂からの海の眺望、朝日も楽しめた。伊豆大島・三宅島、小室山・大室山・天城山もよく見えた。坐禅でよく行く天城山も、そうか、あの山かと、海から見える天城山を繁々と眺めた。

宴会では、仲間達の中には、私よりずうっーと上手のお笑い芸人がいて、彼の物真似などに、一同大爆笑。彼はJR北海道の野島社長そっくりで、リクエストして、謝罪会見の真似もして貰った。ついでに、彼の隣に座っていた私も起立して、同席した役員のように、お詫びのお辞儀をする始末。 また、高校時代は、あんな真面目で、理知的な彼が、次に、自民党・石破幹事長の物真似、爬虫類的目付きをして、防衛問題・尖閣問題を論じ、また大笑い。

後で、彼と同部屋だったので、私は、彼に、美濃部元都知事の物真似、田中角栄氏の物真似なもリクエストして、また、楽しんだ。

そんな、"お笑い芸人と行く、時空の旅"の同窓会だった。(まるで"はとバスコース"のよう)

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November 17, 2013

都心の雑草、

都心の、神谷町駅のそばの家が解体されて、更地になったほんの1ヶ月、私は、通勤途上、雑草がすぐ、その跡に繁るのを見た。

その繁った雑草も、その後、すぐ刈り取られ、駐車場になる為、アスファルトで覆われてしまった。

都心の土地で見た、ほんの1ヶ月程度の出来事だったが、私は、いずれ、何百年、何千年後には、東京もまた、昔の江戸時代になる前の、荒野の様子を想い浮かべた 。

雑草は、凄いと想う。 隙あらば、すぐ成長してくる。 逞しさの象徴。

私の母から生前、何度も聴いた、「雑草のように生きよ」と、、、、、。

(2013年11月16日の記)


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November 16, 2013

大利根・農場オープンデイ、私も農業関係者

昨日は、会社を休んで、埼玉の大利根・トキタ種苗さんの農場オープンデイに行ってみた。農大出身の友人の紹介で、私は、入口で、"青果流通"の名札を貰い、初めて農業関係者気分。

会場に入ると、早速ミニトマトの試食、美味しくて甘いトマト。花壇には色とりどりの可愛いビオラの絨毯。花々は、幼児のあどけない様子を見る時のように、心を和ませる。

ネギの品種に"森の奏"とか、文学的表現に立ち止まる。会場では、そのネギをフライパンで炒めてくれて試食コーナーもあり、ネギだけでこんなに美味しいのかと改めてびっくり。

初めて見る、ステイックカリフラワー"カリフローレ"、畑からその場で、生で試食させて貰って、これもまた抜群。

トウモロコシ畑の上には、釣り竿が3本、扇風機のように回っていた、それは、"トリエモン"と云う商品、カラスなど鳥除け器具なのだそうだ。 キャベツ畑には、膝くらいの高さに電線の囲いの商品、それはイノシシ除けの器具だった。

茹でたじゃが芋に、イカの塩辛を付けて食べる試食、これも美味しかった。

会場で、農業ジャーナリストの浅川芳裕氏の講演を聴き、"日本の農業が必ず復活する45の理由"と云う本も買った。 農業に対する、印象が、だいぶ明るくなれる気がした。

人それぞれに、毎日、何か違うものを見て生きている、何かを見ることは、その時は、他のものを見るのを一旦お休み(スイッチ・オフ)にしている。 その人の話を聴くことは、その人が見てるものを話してくれていること。

ちっちゃな子供の話を聴く時のように、「ヘえーそうなんだ」と聴いてあげる気持のゆとりがあれば、人生が、花壇のように、美しくもなると想う。

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November 15, 2013

年賀状の準備、2013年11月

今年も、年賀状の季節が近付いて来た。先月末までに印刷屋さんに頼んだら、40%引きで、今年は、私にとっては、珍しく、早目に準備が進んでいる。

夏に見舞いに行った大学時代のクラスメート(ガンで闘病中)は、先月末、亡くなった。荒川のほとりの施設の病室で、午後、ゆっくり話込んだことを想い出す。今月末、大学祭もある。銀杏のキャンパスを歩くと、彼の大学時代も想い出すことだろう。

島倉千代子さんが亡くなる3日前に、自宅で吹き込んだ歌、"からたちの小路"を昨日、TVで初めて聴いた。また死を予期された肉声は、弱々しくも、感謝を綴って安らかだった。私には、久しぶりに聴く母の声にダブった。

私の今年の年賀状には、「雨の一粒、一粒も、落ちるべきところに落ちる」と、住職の言葉を添えた。

大安心の世界に身を委ねる。 そんな気持を年賀状に込めて、年賀状を準備し始める。

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November 14, 2013

人生にも季節、そして、それぞれの季節の花がある、

季節ごとに季節の花があるように、人生にもその時々の花があると想う。

冬に咲く花を見ると、特にそう想う。

"その時々の、行く先々に咲く花がある。"

まるで、満洲に渡った母の人生から、振り絞って、出て来た言葉のようにも感じる。

それも、禅の"今ここ"に通じているようで、安らぐ。

「花は心の栄養、野菜は身体の栄養」と、創業100年を迎えた"サカタのタネ"の創業者の方の言葉を最近知った。

冬に咲く花の味わいは、特に優しく、そして心を強くしてくれる。


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November 13, 2013

大手町で英語講演を聴くも好し、

昨日は、朝9時半から大手町・朝日生命ビルで、エネルギー市場関連の英語の講演を聴いた。朝、会場で、トレダーや、若い石油会社・石油化学会社・商社マン達の集まる熱気の中で、コーヒーを飲むのも楽しかった。

講演者達の英語の響きが、いつになく、何故か音楽のように心地よく聴こえて、自分も長年、国際ビジネスに携わって来たんだなーと実感した。隣の席で聴く、同世代の外資系勤務の友人も、昔、一緒に、シンガポールとかで会議したことなども懐かしく振り返った。

米国で進む、シェールエネルギー革命で、近々米国は、世界最大の大産油国になる。その世界のエネルギー情勢に与える影響を、各人がどう論じるのが、面白いポイント。

今の私は、サラリーマンの出世とかとは、全く関係のない楽な立場で論じることができることを、幸せに想う。

考えてみれば、仕事も"小さな驚き"に満ちていて、時には小さな旅と同じように、楽しむこともできる。


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November 12, 2013

1963年、三池炭鉱・炭塵爆発、JR鶴見脱線事故、ケネデイー暗殺、

11月10日(日)昼、大牟田の副市長・大牟田市議会議長を東京に招いて、神田・学士会館で、"ふるさと大牟田会"(約80人参加)が開催された。

前日の11月9日は、1963年、三池炭鉱・炭塵爆発(死者458名)の起きた日であった。会の冒頭、犠牲者への黙祷を捧げた。 同じ日、JR鶴見駅近くでのJR脱線事故も、多くの死傷者が出て、その日のニュースは、災害ニュースでごったがえする惨事となった。その11月の23日、次は、ケネデイー大統領の暗殺のニュースも流れた年だったと云う。

そんなことを、改めて教えて貰い、想い出しながら、大牟田の現状を聴いた。

炭鉱産業の遺物としての世界遺産登録への取組みの現状、私が子供の頃20万人だった人口は、今は12万人。高齢者福祉の財政負担が増えるものの、財政はやっとコスト削減(議員定数半減)などで、黒字化して来ているとのことだった。

出席者には、刑事訴訟法の東大名誉教授・松尾浩也先生(三池高校の大先輩)、も出席されていて、受け付けには、有斐閣の"刑事訴訟法の理論(7000円)"なども置いてあった。私も、大学は法学部出身で、法曹界に憧れた頃に、馴染んだ有斐閣の本。憧れの松尾先生にも、ちょっと会話をさせて貰って、パワーを頂いた気がした。

元営団地下鉄の梅崎総裁(三池高校の先輩)、作家の西村健さん、一人芝居の中西和久さんなども出席されていた。

大牟田弁で近くのテーブルの出席者の方々とも、親しく談笑し、私は、炭鉱節も踊りの輪にも加わった。

私が、18才まで住んだ大牟田。 ふるさとの人達の顔、顔、顔、・・・・・、 嬉かったばい。

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November 11, 2013

自宅そばに、新航路発見、

一昨日は、坐禅会の前に、家から30分くらい歩けば行ける横浜中央市場に行ってみた。最近、東神奈川の海の方に歩けば着くことを初めて知って、行って見た。浦島伝説の慶運寺(元フランス領事館跡)、成仏寺(ローマ字のヘボンさんが住んだ場所)、浄龍寺(元イギリス領事館跡)、大名行列の神奈川陣屋跡など、歴史の散歩道を通って、海のそばには、もう色んな問屋さんの店が建ち並ぶ。

市場では、お目当ての飲食店(もみじやさん )のお任せ定食(1000円)、雲丹や色々な刺身、煮物など、街では考えられない豪華定食にびっくり。市場では、昔懐かしい黒いビニールの長靴なども売っていて、懐かしさの余り写真を撮ったり。

市場の店で働く人に聴くと、朝5時から昼12時くらいまで営業して、夕方4時くらいまで市場にはいるのだと云う。朝は、3時くらいに起床するとのことも、スゴイなーと想った。

その後、市場からポートサイドの高層マンション街を抜けて、横浜そごうの裏のシーバス乗り場から、みなとみらいまでの10分くらいの船旅。

みなとみらい桟橋に着くと、そこはもう桜木町、歩いて野毛の老舗のジャズ喫茶(昭和8年創業)、昼でも、約3000枚のレコードからリクエストに応じて、好きなジャズを大スピーカーで流してくれる。

そんな、私のアレンジした小さな旅の後、現実世界に返って、午後の坐禅会へ向った。

地元の、ほんの、半日だけの小さな旅、それでも、私にとっては、シンドバットの冒険のような、またバスコダガマの新航路発見のような、旅だった。

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November 10, 2013

無常の正体に・・・・・・、驚き

無常とは何か?

今が滅して行く。即ち、今がドンドン生じている。

いつも新しい。それが無常。

どんな事を描いても好い、真っ白な世界。それが無常。

昨日の住職の言葉。

ただ、"今ここ"があるのみ。

若くも、年寄りもない。ただ"今ここ"がある。

無常の正体、即ち、生命そのものの正体。

常ならぬこと、それが永遠の生命の証しだったのではないかと想う。


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November 09, 2013

島倉千代子さんの歌、小児麻痺のまま30代で逝った従妹、

昨日、会社帰りに立ち寄った行きつけのジャズ喫茶で、島倉千代子さんが亡くなった話をしたら、店のママが、島倉千代子さんを偲んで、島倉千代子さんのレコードをかけてくれた。

"♪からたち日記"、"♪東京だよおっかさん"・・・・・・・・・・。

小児麻痺で生まれた、私の従妹が、島倉千代子の大ファンだった。子供どうし、親戚どうし会うことも多く、同世代だから、はにかみながら会話していた頃、小児麻痺の姿を見るのが辛かった。

私が、約20年前、日本を離れ中東で勤務する頃、仕事で一番バリバリの頃、従妹は30代でひっそりと亡くなった。両親は、小児麻痺の我が子を遺して自分が先に死ぬことを恐れていたので、それでよかったのだが、両親は、棺の中に一緒に入らんとするばかり、取り乱したと云う話を姉から聴いた。

福岡には、"しいのみ学園"と云う施設にも、お世話になっていた。従妹は小児麻痺を通して、人生を、普通の人より、もっともっと、美しく感じたかも知れないと想う。人の優しさ、温もりは、自分が一番弱い時にわかる。

島倉千代子のお姉さんも小児麻痺だったことも、昨日知った。歌が上手だったが、小児麻痺だから、妹に歌手になる夢を託したのだと云う。

島倉千代子さんの声は、子供時代の、美しい日本の光景と重なって、純粋な子供の心に引き戻してくれる。

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November 08, 2013

神奈川大学フェスタ、Moonlight Serenade ♪

11月は大学の文化祭のシーズン。 家から歩いて15分くらいに神奈川大学のキャンパスがある。 神奈川大学は毎年11月始め、"神大フェスタ"と云う大学祭がある。

今年も11月2日(土)午前中、坐禅会に出掛ける前に、チラッと、神大フェスタを訪れた。

毎年、立ち寄るJazz のBig Band のステージでは、初々しい一年生バンドが、Jazz を奏でていた。 "Moonlight Serenade ♪"、アメリカ映画などでよく見掛ける、月の夜、プールサイドのパーテイー会場で、ワインを楽しむ情景なども想いだしながら聴いた。

駅から大学へ続く道には、古本屋さん。 今年は神田の古本祭りは時間がなく、行かなかったなー。

月末には、三田祭。 三田祭では毎年訪れる東北学生会の日本酒屋さんコーナー。ほろ酔いで歩くキャンパス。

人生は、全て、映画のシーンのように想いながら、大学祭を歩く。


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November 07, 2013

毎日何か捨てると云う生き方、 掃除にも似て、

人も動物も、毎日、空気を吸って吐いて生きているように、毎日何かを捨てて、毎日何かを得て生きて行くのが自然の理にかなっていると思う。

川の流れのように流れ行く毎日、川の流れのように毎日の出来事が起こる。

それを、留めようとしたり、好き嫌いで仕分けしようとすると、次から次に流れ来る出来事の、時に激流に押し流され、我を見失ってしまう。

川の流れのように、留まらぬ流れこそ、生命そのものであると思う。

何かを貯めこんで生きて行くことは、ダムの水にも似ている。水が貯まると、ドンドンと圧力が増し、ダムが決壊した時は大災害を引起こす。

毎日、何かを捨てれば、何かが入って来る。 毎日、何かを捨てる生き方は、毎日の掃除のように、習慣となれば、即ち、修行の行き着く境地にも似ていると思う。

無一物、即無尽蔵。 毎日毎日、何かを捨てて、捨てて、スッカラカンになれれば、解脱だと想う。


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November 06, 2013

子供だと思えば、

周りを全て子供だと想えば、世界は一変する、世界観も一変する。

例えば、最近天皇陛下に直訴した山本太郎議員。世の中を変えるには、議員・政治家になるのが一番有効なのに、政治行為が憲法上できない陛下に直訴すると云う行為は、直訴と云う行為そのものの前近代性と共に、違和感が大きく、世間からの厳しい反応が噴出する。

それでも、放射能の危険から子供達を守りたいこと、放射能を浴びながら現場で作業する労働者の給与の現状を世間に知らせたかったと云う彼の思いの真剣さはわかった。大人としては、愚かな行為も、彼を子供としてみれば、彼の真剣さだけが抽出されて、その一所懸命さが伝わる。

世間の色々な変な人達も、嫌いな人達も、罪を犯した人達も、皆子供だと思えば、寧ろ、その屈折した心が、愛おしくさえなる。

"衆生本来仏なり"とは、そう云う境地ではないかと想う。全てが我が子。 動物も植物も全部含めて、全てが我が子。 一体のもの。

我も神の子、彼も神の子、大海の波を想う。

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November 05, 2013

滅して生じる循環の営み、

「後ろを見れば滅している。 前を見れば生じている。」、 昨日の住職の短い言葉に、気づかされる。

"後ろを見れば夕日、前を見れば朝日"ではないかと。 夕日ばかり見たがる人、朝日ばかり見たがる人。

後ろでも前でもいずれにも偏らず、共に見る力を"悟り"と云う。


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November 04, 2013

田舎歌舞伎、囲炉裏の煙、生田緑地民家園にて、

昨日は、初めて、農村歌舞伎を向ヶ丘遊園・生田緑地・民家園の船越歌舞伎舞台で鑑賞した。 あきる野座・秋川歌舞伎の方々、秋の心地よい季節の田舎の光景の中、子供達の口上の可愛らしさ。

安政4年に建てられたこの歌舞伎の舞台は、三重県・志摩半島の大王崎に近い船越と云う漁村から昭和48年に、この生田緑地・民家園に移築されたと云う。

中学生も演じてくれた舞いや、"本能寺の場"を演じる役者の初々しさ。また歌舞伎独特の見得をきる時の、子供達の可愛らしさ、微笑ましさに、忘れかけていた人間の素朴さ、愛おしさを想った。遠い昔に見た日本の田舎の光景の中、しばし我を忘れた。

民家園では、飛騨高山から移築されたような藁葺きの家、囲炉裏に燃える薪の匂いにも、飴色の板張りにも、日本昔話のような世界に酔った。

2013年、文化の日、そんな、メルヘンの世界への小旅行だった。

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November 03, 2013

「苦」の正体、"維持する心"、

「苦」は、"想像と維持する心"から来る。

若い頃は・・・・、元気な頃は・・・・・。

「今ここ」の世界は、強烈に、その「苦」を打ち砕く。

変化する対象が無い世界。

「自己」を捨てること、即ち「非自己」を得ること。

誰に何と云われようと、もはや、ただ、ニコニコとして生きることが出来る世界。

昨日の住職の言葉、仏法のジャズ的表現に想えて、その演奏を楽しむ。

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November 02, 2013

"地球に不時着"と考えてみる、

人生を、地球に不時着したと考えてみると楽しい。

星の王子さまの物語のように。

この星のあらゆることが、好奇心一杯で眺められる。

人々の生活、心の動き、大自然の美しさ、一本の花の感動。

飛んで来た宇宙船は、修理が必要。 傷ついた宇宙船を、少しづつ修理(修行)して、宇宙のエネルギー(無我)をまた燃料タンクに注入して、また宇宙に帰って行く。それを、"人生"と云う。

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November 01, 2013

魔法をかけて、一度でいいから話をしてみたい、小6女児の詩

森琴音ちゃん(12才)は、3才の時、事故で心肺停止となった。一命は取りとめたが、低酸素症の重い後遺症で、下半身麻痺と、しゃべれなくなってしまった。 それまではよくしゃべる子だったとお父さん(35才)は云う。

その琴音ちゃんが最近書いた詩, 「私のねがい」。

「私はしゃべれない、歩けない。口がうまく動かない。手も足も自分が思った通りに動いてくれない。一番辛いのは、しゃべれないこと。云いたいことは、自分の中に沢山ある。でもうまく伝えることが出来ない。先生やお母さんに、文字盤を指で指しながら、ちょっとずつ文が出来あがって行く感じ。自分の云いたいことが、やっと言葉になって行く。

神様が、一日だけ魔法をかけて、しゃべれるようにしてくれたら・・・・、 家族といっぱいおしゃべりしたい。学校から帰る車を降りて、お母さんに、「ただいま!」って云う。 「私はしゃべれるよ!」って云う。お母さん、びっくりして腰を抜かすだろうな。 お父さんとお兄ちゃんに電話して、「琴音だよ、早く帰って来て♪」って云う。

二人も飛んで帰って来るかな。 家族がみんなそろったら、みんなでゲームしながらおしゃべりしたい。お母さんだけは、ゲームが下手やから負けるやろな。「まあ、まあ、元気を出して」って、私が云う。

魔法がとける前に、みんなに「おやすみ」って云う。 それでじゅうぶん。」

ただ、"おやすみ"と云う日常の言葉の中にも、こんなにも、人生を賭ける程の深い想いを入れることが出来たのかと、改めて気づかされ、何気ない日常の中にもさしていた光に気づく。

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