敗北宣言の効用、
人生で起きた色んな出来事に対して、自分なりに、一つ一つ、敗北宣言や勝利宣言をしてみると面白い。
敗北宣言をする時の、清々しさは、何だろう。心地よささえある。
それでも、これまで、生きて来れたことは、勝利宣言かとも想う。
実は、敗北も勝利もなく、ただ、味わい深い人生が展開して来ただけだとも想う。
今もこの瞬間も、敗北であり、そして勝利でもある。 そう呼びたければ自由自在。
人生は敗北と呼びたいことでさえ、愛おしいものだと想う。
人生で起きた色んな出来事に対して、自分なりに、一つ一つ、敗北宣言や勝利宣言をしてみると面白い。
敗北宣言をする時の、清々しさは、何だろう。心地よささえある。
それでも、これまで、生きて来れたことは、勝利宣言かとも想う。
実は、敗北も勝利もなく、ただ、味わい深い人生が展開して来ただけだとも想う。
今もこの瞬間も、敗北であり、そして勝利でもある。 そう呼びたければ自由自在。
人生は敗北と呼びたいことでさえ、愛おしいものだと想う。
白隠禅師坐禅和讃の中の、「因果一如の門ひらけ」と云う言葉が、時折、私の脳裏に浮かんで来る。
全ては原因の中に全ては含まれていて、原因は種子、結果は樹木。種子に樹木を見る力、想像力が問われる。樹木にまた種子を見る力も同じ。
因果一如に安らぎを感じる生き方なら素晴らしいと想う。もう結果を必要としていない。
既に、種子の中に、大木となった樹木が、脳裏に同時に浮かんで来るのだから。
一人の時間は寂しさの反面、人生に素晴らしい気づきを与えてくれるものだと想う。
一人の時間だからこそ、自分の内面と対話ができ、大自然の美とも、小鳥達とも、草花とも対話ができる。そして自分の人生とも。
人と一緒にいる時の楽しさは、お祭りに似ている。お祭りの楽しさは、大切なこと。そのお祭りの楽しさを演出してくれるのが、一人の静かな時間。
一人の時間は、まるで、芸術作品と対峙して、会話しているような気持になれる。
人生は美術館のよう。
昨日は台風も雨も去った朝、久々の快晴に誘われて、先ず、東神奈川の横浜中央市場の市場祭りに出掛けた。横浜駅東口のバス乗り場へ行くと、今日の市場祭りは(台風予想で)中止の貼紙があり、がっかりしたが、すぐ気持を切り換え、そごうデパートの裏のシーバス乗り場から船で海を散歩したくなった。すると、船も10時からで、早すぎてダメ。結局、ポートイサイドタウンと云う近くのエリアを歩いた。
そこは、まるでシンガポールの街並みの雰囲気だった。すぐ、ポートサイドのそばには、中央市場があり、中止になった中央市場を覗いてみると、通常の食堂は開いていて、まるで築地の雰囲気。その後、少しお寺の建ち並ぶ街を歩くと、もう私の住む、東神奈川・白楽のエリアだった。横浜駅から、45分くらいの小さな旅の驚きだった。
午後、知り合いの若い夫婦の生まれたばかり、2ヶ月の赤ちゃんのお祝いに出掛けた。お母さんと赤ちゃんが、響き合うメロデイのように、幸せそうな笑顔だった。私も、赤ちゃんを抱いて、娘が赤ちゃんだった頃を想い出した。
帰りに、妙蓮寺の境内の"お寺でジャズ"コンサートを聴いた。妙蓮寺・ニコニコ商店街主催の野外・お寺コンサートで、お寺の屋根が照明で浮かび上がり、清らかなバイブラフォンの響き。 「そうだ京都へ行こう♪」で親しまれているメロデイーが、"Sound of Musicの中のMy Favorite Things"と云う曲であることも知った。そして"キャラバン"、砂漠をラクダで旅する光景。境内では、家族連れの子供達が天使の舞いのように走り回っていた。
人生にも、耳を澄ませば、響き合うメロデイーが聴こえて来る。
台風、雨の後の、丘の上から見る街の清々しさ。雲は動かず、陽の光がさす早朝。小鳥の声は、いのちの声。
嵐があるから、また新鮮に生まれ代わる。夜があるから、この早朝の静けさも清々しさもある。
静かな清々しい朝に、人は、前夜の雨も嵐も想像することができる。静かな朝に、嵐の夜も想像することができる。
想像する力は、楽しかった想い出の場面を、今すぐ、脳裏に現実のように蘇らせることもできる。
想像する力に過去も現実も未来も区別は無い。想像する力には、距離など存在しない。
想像する力は神のような力と感じる。全ての安らぎのもと、万能の力。
私は、想像する力の恵みで、どのような状況になっても生きて行けるような気がする。
親子の愛は、慈しみの愛、途絶えることのない、永遠の愛。 別れたり、切ったりすることのできない愛。
世間で云われる恋愛は、大体2年くらいで熱情がさめる愛だと、心理学などの本でもよく書かれている。恋愛は憧れで、他が見えなくなる愛だから、二人だけの世界に浸る未熟で、エゴの延長のような世界で、熱病に近い。
親子の愛は、2年とか聞いたこともなく、親子の愛に期間があるとは、全く考えられない。
"親子の愛"が拡がる世界に、永遠の安らぎの世界、"自他一如"の世界があると想う。
"親子の愛"の深さに気づくことは、仏性の光が、もうそこまで見えていることのように想う。
アンパンマンの声優、戸田恵子さんが、やなせたかしさんの死去の翌日、云っていた言葉が印象に残る。
「アンパンマンはね。絶対に泣かないんだよ。涙をこぼすと、顔が濡れて、力が出なくなるから泣かないんだよ」と云っていた。そう云って戸田さんは泣いていた。陰ではアンパンマンも泣いたことだろう。
やなせさんが亡くなってから後、わかったこと、やなせさんは、無報酬で全国で自治体を含め、約200もの仕事(ご当地キャラなど)をしていたと云う。そのことに憤慨する同業者の方もいるが、私は、やなせさんが無報酬で働いて来た面(陰徳)に感動した。
アンパンマンの素晴らしさに、感激するばかり。
人は、「どう生きるか?」と悩むもの。毎日の生活に追いまくられて生きていると、考えずに済むが、不図、生きて来た人生があっと云う間に終わるようで空しくなる。
最低限の衣食住を維持する為の仕事は、ただ黙々とやるべきことだからやる。それは修行の作務に似ている。毎日やらねばならぬことがあることは精神の安定にも必要なこと。毎日顔を洗ったり歯を磨いたり、読経や掃除に近いようなものになれば一番好い。
毎日、誰かの為、ボランテイアで何かの貢献をする。また、定期的に、わずかでも寄付のようなことをする。自分の不幸・不遇を一時でも忘れて、他のことを祈る時間が必要。それは、光に導かれて、仏性を感じられる時間。
自分の趣味や、生きたいように生きることでは、安らぎは無い。光に導かれもせず、作務が培う精神の安定も無いままでは、自分の五感(好き嫌い)に委ねて生きて行くことは、その後、空しさや孤独、大きな不幸をもたらす。
大きな苦しみがあり、やらねばならぬ作務があり、それでも毎日の祈りを忘れない生きかた、その行き着く先には、大いなる、絶対的な安らぎがある。そんな生き方を、その安らぎに到達した人を、住職は、"妙好人"と教えてくれた。
自分の不幸・不遇にさえも感謝し、全てを手放した時のことを想像してみると、まるで死ぬ瞬間のようにも感じる。
力が抜けて、"千の風"になったような安らぎ。
死ななくても、"千の風"のように生きることが出来る。
誰にでも、何処へでも飛んで行ける。
雪の中、春の息吹に、人は始まりを感じる。秋には、1年が終わりに近づく寂しさを感じる。まるで、春に始まり、冬に終わるように。
グルグル周っているのに、どこが始まりでもなく、どこが終わりでもないのに。 朝が始まりで、夜が終わりも似ている。人は始まりと終わりを決めたがる。
どこから始まりにしても好し、どこから終わりにしても好し、区切りたいところは自由。グルグル周っていることに気づけば可笑しい。 始まりと終わりを区切りたがる理由は何か? 変化に対する期待と恐れなのだろうか?
秋は秋として味わう、冬は冬として味わう。朝は朝の味わい。夕暮れは夕暮れの味わい。
それを、何度も何度も、繰り返して、元気になったり、寂しくなったり。元気にもならず、寂しくもならず、そのグルグル周る季節や一日を、ただ、理科の実験のように観察して見るのも好い。飽きもせず、グルグル周る世界。
始まりも終わりも無い世界。
今月は面白い本を読んでみた。 「金属無しでは生きられない」 桜井弘、岩波書店。 金属が人体の健康に不可欠とは、やはり、面白い。
1、動物は、植物と違い、酸素を積極的に利用し、動き回る自由を獲得した一方、有害な活性酸素を体内に抱え込むこととなった。 その活性酸素の害を如何に抑えこむか、金属の摂取が決定的な役割を果たす。
2、老化の原因の活性酸素(フリーラジカル)を抑えるSOD(スーパーオキシドジムスターゼ)酵素の発見。適切なタンパク質が摂取されていれば、体内で作られる。 活性酸素を作り、また取り除く酵素には、金属元素が必ず関与(必要)している。 鉄、銅、亜鉛、マンガン、モリブデン、バナジウムやセレン。⇒海水中や人体の血漿中に存在する。
3、 アスコルビン酸(ビタミンC)や、ビタミンE、カテキンなどのポリフェノール(食物から摂取)も活性酸素を取り除いている。
4. 老化と金属不足、
(1) 年を取ると自然に減るもの: 鉄、銅、亜鉛、マグネシウム、
①鉄(Fe): 70%が血液中に存在、酸素運搬体、酸素貯蔵体、
②銅(Cu):酵素の活性化、乳児の成長、骨強度、糖代謝、心筋収縮、脳の発育、
③亜鉛(Zn):酵素の構成成分、補酵素としても働く、
④マグネシウム(Mg): 補酵素機能、神経伝達、体液平衡機能、
(2) 年を取ると自然に増えるもの: コバルト、ニッケル、セレン、
①コバルト(Co):ビタミンB12の構成成分、
②ニッケル(Ni): 鉄吸収促進、酵素活性、ホルモン作用、グリコーゲン代謝、
③セレン(Se): 抗酸化物質、
5. ガン患者の肝臓や血清には、亜鉛が不足、銅が増えてることがわかっています。 亜鉛欠乏が、身体の金属濃度バランスを崩し、ガン細胞のテロメラーゼ活性を引き起こしいる可能性が大きい。
6. 活性酸素を抑える物質、
ワインや果物、リンゴのフラボノール、トマトのリコピン、ハーブ、アロマオイル、アロエなど、 以上
人生をある程度、生きて来て、振り返れば、あの出会いは、天使だったとか、悪魔だったとか想い出す。
人は、天使にも、悪魔にも出会って生きる。
自分も天使だったり、悪魔だったりして来たのだろうと想う。
そして、人は、天使の側面と悪魔の側面が共存して、どちらかの一方の面を出し強調して生きているのかも知れない。
天使に出会えば安らぎ、悪魔に出会っても動じず、ただ淡々と過ごせば好い。
それが、大自然の自然現象の一部なのだと思えば好い。
先日、雨の日の後、ミミズが道路に出て来て、天気になれば干乾びて死んでいる光景の理由の説を、初めて聞いて驚いた。
ミミズの天敵・モグラが迫る音と、雨が土を叩く振動が似ているとの説だった。
また、草木の根っ子を引っ張り抜く時のプチッとする振動や音も、近くにいるミミズにモグラの接近を感じさせ、ミミズは地表に逃げて出て来るとの説も聞いた。
人間にとっては、風情ある雨も、モグラにとっては、パニックの光景でもあったことを知った。
私は、道路に出て来たミミズを見ると、いつも、木の枝ですくい、近くの茂みに返してやる。今まで、ミミズの行動の理由がわからず、不思議だった。 これで、道路へ出て来たミミズのことが、理解してやれる。
名称と形態、即ちそれがエゴの正体。名称と形態が無ければ、過去も未来も無い世界に入れる。生も死も無い世界に入れる。
神(真理)を見ることとは、内面の自由と安らぎを、周り(外の世界)が証明してくれていることに気づくこと。
矛盾が無いと、愛が生まれない。愛おしさは哀しみ、矛盾と統一させようとする心の動き。
真っ黒な世界(闇)と、真っ白な世界(光)は、共に似ている。共に迷わない世界。人間は迷う存在。それは、人間としての味わい。
10月14日(祭日)の坐禅会で、住職の言葉を書き留めていたメモを見る。
波は大海に返り、また波となる。大海である安らぎを感じつつ、波を味わう。そんな人生でありたい。
震災の被災地の子供達は、アンパンマンがきっと飛んで来て、助けてくれると思った子供達も多かったと云う。自分の顔(アンパン)を引きちぎって飢えた人に与えてくれる。
漫画家・やなせたかしさんは"天命"と題した遺作に,「ゼロの世界ヘ、消えて行くでござる」と綴っていると云う。一元の世界・仏性の世界を、いつも見ている人だったんだなーと想う。
多くの子供達に、私の娘にも 詩とファンタジーを与えてくれたアンパンマン。娘と歌ったアンパンマンの歌。私は、アンパンマンの歌を、小さく口ずさむ。
手塚治さんの鉄腕アトムの正義の味方の行動に、子供ながら触発された入倉房代さんと云うボランテイアの女性が、ヨルダンのアンマンの難民キャンプにいらっしゃる。
19年前、当時5才の男の子、夫を日本に置いて、ヨルダンの難民キャンプで働き始め、もう19年が経ち、子供さんも24才の立派な穏やかな好青年になっておられた。14日のTV東京の特集で見て、房代さんに、思わず合掌した。
19年を振り返り、彼女曰く、当時、今やらなければ、自分は一生後悔すると思ったと云う。見捨てることが出来なかったと。そして、人間として耐えがたいことがい起き、私が出来ることがある限り、私は日本に帰れないとおっしゃっていた。
私は、アンパンマンも、鉄腕アトムも、神様の代理人だったことを、初めて知った。
10月13日、午前中気功の後、午後、横浜ジャズプロムナードに出掛けた。1993年から続く、日本最大のジャズイヴェント、プロアマ合せて3000名が、街中の170を越えるステージでジャズを奏でる。
今年は、聴き慣れたバンドでなく、新しいバンドの演奏を渡り歩いた。
仲田美穂"コラソン・ラテイーノ"のラテンジャズに、キューバとか中南米への旅がしたくなった。ベーシストの鈴木良雄さんのバンドでは、鈴木さん作曲の"駒"は、長野県・木曾福島の故郷の山々を歌ったものだった。井上信平さんのフルートの音に、私も最近行って来たばかりの長野の山々を想った。
全員がスーツ姿のジャズバンド、トランペットの村田浩さんの70歳の力強いトランペットの音にも驚いた。アルトサックスの山田穣さんのカルテットでは、ソプラノサックスも初めて聴くことが出来た。
想い出せば、私の人生には、大学生時代以来、ずーっとジャズがあった。幾度となく、ジャズに慰められて来た。奴隷の街・ニューオリンズに発生した、人生の歌、ジャズ。横浜・神戸の港に発生した日本のジャズ。
人は、いずれ死ぬべき存在。その人間が、ジャズを奏でる。ステージで奏でる人も聴く人も、100年後には、誰もいない。蝉のように、こうろぎのように、今を歌う。ジャズは、人生の鎮魂歌。
(2013年10月15日の記)
10月12日(土)は、麻布・西町International School のFood Fairがあり、午前中に顔を出した。会社のアラブ人の同僚は、シンガポール出張から昨夜の夜行便でやっと早朝・羽田空港に着き、このFood Fairに間に合った。自分の子供が通う学校のお祭りに、間にあった"お父さんの笑顔"。
会場では、あの有名なタレント早見優さんが、Food Ticketを売っていて、ワーと驚いた。英語関係の本などで、何度も彼女の写真をみていたので、初めて会えて言葉も交わせて感激だった。彼女は会場をチケットをもって周り販売していたので、私のまじかで、10メートルくらい離れたところにいる彼女のお子さんと思われる10歳くらいの女の子に、"Make your T shirt"と叫んでいたことも、そのNativeの英語も耳に残った。辺りを見ると、会場にオリジナルTシャツを作るコーナーもあった。
体育館では、 欧米人男性団塊の世代の音楽グループが"Out of Time Song & Music"と題して、懐かしい曲の数々を披露してくれた。 これが英語で"ナツメロ"かと納得。
また、外人の子供達のハワイアンの踊りの可愛いかったこと。近くにいた小学1年生の日本人の女の子と話したら、ボンジョルノ(イタリア)とか、セラマパギ(インドネシア)とかの挨拶言葉も知っていて流石だと思った。
会場では、アラブ料理と、ドイツビール、レバノンワインなどを楽しみながら、沢山の外国の子供達のはしゃぐ様子を、父兄達と共に微笑ましく眺めた。
朝、広尾駅から、有栖川公園を通る時、公園では、外人のお父さん達の公園会議(井戸端会議)が、如何にも広尾らしいと新鮮だった。
休日の午前中のほんの短い時間なのに、ほのぼのとした海外旅行の気分だった。
(2013年10月15日の記)
先日、早朝のNHK俳句に、想いがこみ上げ涙した。
長谷川かな女の句、「この辺り、母が座りし、ちちろ啼く」。
私は、咄嗟に、母が亡くなった頃の、真夏の九州の実家の、割れんばかりのクマゼミの声も、想い出した。
縁側のそばに座る母の姿も。読経のようなクマゼミの声。
私は、その句を、「この辺り、母が座りし、蝉の声」と作り換え、つぶやいたとたん感情がどっと噴き出した。
お釈迦様が、托鉢をされていた時、村人に、何故、貴方も働いて糧を得ないのかと問われた時の逸話を聴いた。
「貴方は財を施し、私は法(真理)を施します」、と答えられたと云う。
法(真理)を伝える気迫が伝わって来る。
何かに追いまくられて、深く考える時間もなく生きている人には、法(真理)を得ることは難しい。
修行とは、真理探求の辛い仕事なのだと想う。
"法施"、法の灯火を配る仕事。
自分が物質でなくなる瞬間を感じること、これが坐禅。
人は絶望するのが当たり前、何故ならば死ぬんだから。人は全て弱者。何故ならば、"生老病死"から免れないんだから。
自らが弱者と気づいた時、他の苦しみがわかり、決して人は人を見捨てない。助ける側と助けられる側に分かれない。
自他が一体になった時、安らぎが訪れる。
「人は皆、弱者」、この気づきが、自他を繫げる入り口。
昨日の坐禅会での住職の言葉からの気づき。
日本は今日から3連休、アラブでは11日から18日まで犠牲祭の休暇。メッカ巡礼の祭り。
おかげ様で、私も、12日~16日(火)までOffice は休みとなる。
14日までは毎日、坐禅会や気功。合間に、麻布のインターナショナルスクールのお祭りや、横浜Jazz フェステバルなども顔を出す予定。
昨夜の新宿坐禅会から数えると、4日連続、毎日坐禅会三昧。
15日(火)、16日(水)は、自主観光ガイド研修も兼ねて、念願の(京都)桂離宮、修学院離宮へやっと行けることとなった。宮内庁からの見学許可も取れて、遂に実現予定。
17日(木)の会社出勤は、5日振りならず、たぶん少なくとも50日振りくらいに遠く感じることだろう。
人生は、驚きに散りばめられていれば、決してアッと云う間に終わらない。
梅干を好きな外人は聞いたことが無かったが、先日、アラブからの出張者で、日本から梅干の御土産を買って帰るアラブ人がいて驚いた。
アラブで、日本からの輸入食品として売っていたものを、母親が気に入ったのだと云う。
そして、梅干がとても健康に好いと聞いているので、その効用を私に質問して来た。
(1) 疲労回復 、 (2) 動脈硬化防止、(3)活性酸素除去、 (4) 便秘解消、 (5) 二日酔い防止、(6) 食中毒防止、 私は、調べて、英訳して彼に伝えた。 (但し、イスラム教徒なので、お酒禁止だから、二日酔い防止は不要なので云わなかった。)
梅干は、私も毎朝食べるように心掛けてる食品。外人が梅干を好きだとか、土産に買うとか、初めて聞いて、意外で、嬉しかった。
初めて梅干を食べた人の顔を想像すると可笑しくなる。子供も大人も、傑作な顔になる。 そんな表情の時、人間もとても可愛いと想う。
先日、上野の科学博物館で、深海展を見てから、太陽の光のことを色々考えるきっかけになった。
海では、水深200メートルを越えると暗闇の世界になるとのこと。それでも、実は、人間の目には見えない僅かな太陽の光が水深1000メートルまでは届いているとのこと。
太陽の光がないと光合成は起こらず、植物やプランクトンは育たない。それでも、水深1000メートル以下の海でも、沢山の生きものが生息している。それは、プランクトンなどの死骸などが、マリンスノーとして更に深海に落ちてそれが栄養になって、深海の生物が生きているとのこと。
私が見る太陽の光。光がなければ、生命誕生のきっかけの光合成は無い。改めて、太陽の光の恵みを想う。毎朝、本能的に、太陽に合掌したくなる訳だ。
そして、科学博物館で、また面白い発見もあった。たまたま、モグラ研究の方のプレゼンテーションを聴いた。モグラは、モグラの穴の道が壊れて太陽の光を感じるとすぐその場所を修復するのだと云う。目が退化していても、光を感じる力は抜群なのだと云う。
深海6500と云う潜水艇、深海のダイオウイカなど、科学博物館で子供達の理科の勉強に交じって、私も、童心に返って、地球の不思議に思いを馳せた。
衆生本来仏なり、一元世界では、自他一如、波は大海に於いて繋がっている。そんな安らぎを信じる生き方は、修行の果てに、見えて来るものだと想う。
人間の日常の生活は、五感六識に振りまわされて、好き嫌い、損得好し悪しに支配され、大海を忘れ波として、右往左往する。
それでも、その自分の波のわがまま振りを見て、異次元世界の大海にちょっと切り換える力がいつもあれば好いと想う。危ない時の、駈け込み寺が、一元世界。
同時に一元世界と云う、異次元世界を生きていると想えば、安心して、多少の五感六識の世界に振りまわされそうになっても大丈夫だと想う。
一昨日、東京・日比谷公園は、World Festaと云うお祭りがあり、世界の各国の展示が、公園内に設置されていた。国際協力に関するテーマで、、アジア・アフリカなどへの援助に関することが多かった。 会場を見てまわっていると、日本在住のパレステイナ出身の知人家族と偶然に会った。戦乱のパレスチナの故郷と、日本の平和な日比谷公園のお祭りの光景は、どんなにか、違うことだろうと想った。
アフリカの展示コーナーでは、アフリカの子供達が毎日運ぶ水の重さを体験した。各10キロの水が入った桶を2個、天秤棒に担ぐと、肩に20キロの重さが食いこんだ。世界で、毎日7億人もの子供達が水を運んでいますと展示に書いてあった。 また、10キロの重さの水桶を頭の上に載せて運ぶ女性達のことも、その重さに驚いた。
その後、お祭りのハシゴで、横浜・野毛の大道芸祭りへ行った。そこで、けん玉師なる職業の伊藤祐介さん(30台半)の技を初めて見た。 小学校時代からけん玉をやって27年とか。 大学出てからもけん玉一本で生計を立ててらっしゃるとのこと。 大変な人生の選択。 誰もやらない道に、乗りだす勇気、凄い熱意だと思う。
けん玉を7時間半くらい連続してやってギネス記録保持者。 14メートルくらい上から落とした玉をけん玉に乗せるとかもギネス。けん玉日本一に10回も輝いた経歴。 三味線に合わせ、繰り出すけん玉の神業、沢山の子供達と一緒に私も、見学した。終わってからのカンパには、けん玉師の伊藤さんが群衆にもみくちゃにされるくらい、お金が集まって、その光景も感動だった。 芸だけ見て、帰ろうとする人は、余りいなく、観客は、伊藤さんの芸を何とか支えたいと云う願いだった様に想う。 大変好い光景に出会ったと想う。
そして、「江戸あやつり人形」も、道路に座りこんで、初めて見せて貰った。やはり、大道芸は江戸情緒。 野毛の街は、大道芸の街。 ちょっと、見直す野毛の街。
今朝、曇り空でも、朝はやっぱり気持好い。
今朝は、何故か、2002年に会社を希望退職した時の解放感を想い出した。
解き放たれて、自由の有り難さが圧倒的で、ふんわりとした雲の上で、休息しているような感じだった。さぁー、今日は、どのペンデイング事項を片付けようかと、今まで忙しくて後回しにして来た数々のことを、一つ一つ着手して行った。もう一度、大学生活に返ったような、当時の下宿でまた目覚めたような、朝の新鮮さも、時折感じる。
自由になっても、問題は山積していることにも、結局は気づくが、それでも、何か、違う。 忙しさに流されて、洗濯機の中に放り込まれた蟻んこのように、渦潮に撒き込まれて生きているのとは全然違う。
人生の問題の数々でさえも愛おしく感じる。 自分の立ち位置を確かめて、空から自分を俯瞰して、そして、ゆっくりと、今を味わって生きて行く。
昨日は、東京・日比谷公園ではWorld Festaと云うお祭り、横浜・野毛では、秋の大道芸大会が行われていた。
今日は、サラリーマンなら憂鬱な月曜日、でも今の私にとっては、多少仕事が多い日でも、お祭りを見に行くのと大差ない。ただ淡々と、選ぶことなく、色んな出来事が、愛おしく感じられる。
「身も、心も、放ちわすれて、仏のかたに投げ入れて、仏のかたよりおこなわれて、これにしたがひ、もてゆくとき、力をも入れず、心をも費さずして、生死を離れ仏となる (正法眼蔵)」、
仏のかたに投げ入れるところまでは、自力でやらねばならない、そこまでが修行。
その後は、もう委ねる世界、時間も空間も超越した世界、全部が許される世界、温かい、神との合一の世界が訪れる。
そして、また、住職は曰く、「死とは、"エゴの崩壊"」。
"エゴの崩壊"は、決して悲しいことじゃない。それは魂が向上する時。光に包まれ、一切が止む。その時、本来世界へ返る。 それが解脱の時。"死"とは"光に包まれること"。
昨日、住職は、"死"は決して悲しいことではないと話をされた。
永遠にして安らいでいる静寂世界から、ちょっと、揺らして矛盾を起し、また静寂へ返る、それが人生。虚空世界に漂う宇宙飛行士のような自分のイメージが湧く。
宇宙に漂う極小の宇宙飛行士。柔らかい光の中でふわふわと、ふわふわと漂う。
私の母の人生で大切な時期だった満洲時代の前夫の故郷、長野県・平谷村の写真を、妹や弟に送った。
私は、長男。 何か、長男の自覚を感じて、嬉しい。
満洲の会にも、妹や弟の参加を誘った。
満洲の雰囲気を、満洲の会の人達が生きている間、感じることが出来る。
先日、満洲の会の長老の男性が85歳で亡くなられた。親分肌で、会の冒頭の挨拶などで、「皆さん、私に挨拶なしに死ぬなよ」と、冗談を云っておられた姿も、何度も、親しく、語りあったことも想い出す。
今日は横浜も雨、長野県・平谷村も山々が小雨に煙っていることだろう。
今年8月に亡くなられたハンセン病元患者で詩人の塔和子さんを偲ぶ会が、四国・高松市の男女共同参画センターで10月6日(日)10時~4時まで行われると云う。
彼女の半生を描いた映画「風の舞」の上映や、彼女の詩の朗読、塔さんの想い出を語る会とインターネットには書いてあった。私は、とても、行ってみたい気持になったが、横浜から簡単に行ける距離ではない。
調べてみたら、横浜から前日(5日土曜日)の夜22時のバスに乗れば、6日(日)朝8時15分には高松に着く(バス代9000円)、6日(日)夜のバスにまた乗れば、横浜に翌日7日(月)の朝7時には着く。会社にも間に合う。
6日(日)が都合さえつけば、横浜から高松のイヴェントも日帰りのように、その気さえあれば行ける可能性があることに驚いた。
でもその案は、数分後、余りにも無茶と思い、実行することは断念した。
6日(日)は、横浜の地で、心の中で、塔和子さんを偲ぼうと想う。
10月1日(火)、11:30過ぎ、JR横浜線・東神奈川駅発・橋本行きの電車が、中山駅に差し掛かった時、手前の踏み切りで惨劇は起きた。線路内で倒れていた75歳の男性を、咄嗟に救おうと、踏み切り前で停まった車の助手席から飛び降り、線路内に入り、男性を救い、本人の40歳の女性(村田奈津恵さん)が死亡すると云う痛ましい事故が起きた。
運転席にいたお父さん67歳は、あっと云う間の出来事に呆然だったと云う。死亡した娘さんは、お父さんの制止を振り切って、「助けなきゃ」と叫んで、飛び出して行ったと云う。
肩を落としたお父さんは、それでも、「おじいさんは助かったよ」と、亡くなった娘さんにつぶやいたと云う。(地元の人の話によると、75歳の男性の杖が線路の溝に引っかかり、転倒されたようだとの話を聞いた)
一夜明けた昨日(2日)は、地元商店街の人達が設けた献花台が踏み切りそばに設置されて、大勢の人が献花に訪れていることをニュースで知った。
時折、人が見せる耀くような仏性。 漆黒の闇に、フワッと浮かぶホタルの光のようにも感じた。
私も、そのような仏性の光に出会えたことへの感動から、昨日、会社帰りに、その中山駅そばの踏み切りの献花台に花を供えに立ち寄った。
駅前の東急ストアの花屋さんには、私と同じようなサラリーマンの男性も献花の花を求めていた。献花台には、乗り切れないくらいの千本くらいの花々、そして100本くらいものジュース類などが供えられていた。
会社帰りの涅槃への旅。
昨日、書いた「軍国女性、死の餞別」の記事の中に、夫の出征の前日に自決した妻が、出征のお祝いの当日のために、料理、"赤飯と鯛"を用意ししていたことを想い出す。
夫たる軍人が、日頃、御国のためにと、いつも口走り、行動も軍人らしく、軍務中心に行動しているのを見ていたであろう妻。
井上中尉も、自分の内面を隠し、粋がって、軍人として、無理もしていたであろうと思う。
その軍人らしい夫と、精神的な一体感から、若い妻は、自決したのだろうと私は想った。
妻は、一番、夫仁役立つ行動を取ることに幸せを見出していたのだと想う。
若さゆえの、一途な思いこみの哀しさを想う。
井上中尉は、その赤飯と鯛を食べることは出来なかったと、私は想う。
先日の日経新聞に、軍国女性「死の餞別」と題して、凄いエピソードが紹介されていた。
1931年、大阪で井上清一中尉(29歳)と妻千代子(21歳)の新婚夫婦は暮らしていたが、12月13日の出征の前日、井上中尉が帰宅すると、喪服を着た千代子は、短刀で自決していたという。
部屋には、天皇皇后の写真、夫と二人の実家宛ての遺書が置かれ、台所には、出征を祝う赤飯と鯛が準備されていた。
「私のご主人様、私は嬉しくて、嬉しくて胸が一杯でございます。明日の出征に先立ち嬉しくこの世を去ります。何卒、後のことを何一つご心配くださいますな。御国の御為に思う存分の働きをして下さい。」
このことは、"武人の妻の健気なる最後"として、美談として、教科書にも載り、映画化もされたと云う。それは、また戦地に向う男達を死へ追いやる重圧にもなったと解説してあった。出征は生きながらの葬式とも云われていたことも知った。
このエピソードは、死について、考えさせられる材料が沢山ある。その後、私は、その時の夫の立場だったら、自決した妻の立場だったらと、その心理を探っている。
「千代子の遺書は、鉛筆の走り書きで、純真で真面目、人生経験の浅い若妻が衝動的に死を選んだのであろうか」とも、解説されていたことが、私には、救いであった。