汚れようの無い新らしさ、年をとること、
過去も現在も無い。 過去も未来も誤解です。
では、何も無いのか? 「今」はある。 それは、留まった「今」ではない。
「今」は、止まっていない。 いつも新しい自分。
薪は灰になるのではない。 そう見てしまうのが誤解。記憶・経験と云うカルマが、そう見させてしまう。
過去も未来も断たれている。
それを、道元禅師は、「春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬幸冴えて涼しかりけり」と詠んだ。
汚れようのない新しい世界を知ること、それが年をとること。
一昨日の住職の言葉。
秋の早朝、ベランダへ出て、清々しい空気、川のように流れる「今」を感じる。 「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず、」、鴨長明の言葉が、寂しさから生きる歓喜へ変わる。それは無常の背後の無我に気づくこと。
道元禅師の気配がする。
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