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September 30, 2013

木更津への旅、太極拳の旅、

昨日は、千葉・木更津の上総アカデミアパークのホールへ、住職の太極拳の生徒さん達の表演会を見学に出掛けた。横浜からバスでベイブリッジ、アクアラインを通って、30分で木更津、横浜から渋谷へ行くくらいの短い時間で木更津に着けるのも驚きだった。そして木更津から20分くらいで会場へ到着。

会場には、見学者20名くらいも含めて、全国から約150名くらいの人達が集まっていた。今回で第14回目の大会で、住職が台湾で太極拳を学んで帰国されて、太極拳の指導をされて30年、全国に沢山の生徒さん達がいるのを、現実に見ることができた。

色々な太極拳の演舞の中でも、ワルツ(美しき青きドナウ)のバレーのような曲に併せて、太極拳を演舞される女性もいて、それが、意外と調和していて、驚きだった。

最後に住職の演舞は坐禅と太極拳の境地は同じであると、日頃云われる住職の言葉通り、ただ宇宙の力に動きを委ねられてる様子が感じられた。

伊豆・天城山や、大海を見下ろす館山・能忍寺で、早朝、小鳥の声の中、太極拳をなさる住職の姿を想像した。

昨日は、そんな、木更津への旅、太極拳を知る旅だった。

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September 29, 2013

一所懸命に生きる姿、

一所懸命に生きる姿は素晴らしい。

余裕がある時、余裕な無い時、人生には、共にある。

余裕が無い時には緊張感がある。緊張感が無いと、一所懸命になれない。

全てに余裕があり過ぎると、精神は弛緩し、緊張感も薄れ、傲慢にもなり、人は魅力を失って行く。世の多くの成功者達や、世間の多くの勝ち組の人達が、魅力を失って行く。

夏目漱石は問う、「貴方は真面目ですか?」、私はよく想い出す。 漱石は、人生に対する一所懸命さを問うている。

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September 28, 2013

カエル目線、水面ギリギリの光景、

先日、長野県・平谷村・ひまわりの湯の浴場に入って、目の下まで湯船に浸かっていた時、水面ギリギリで見える光景が、自分が水生動物になったように面白く感じた。

大きな浴場でも、露天風呂でも、水面ギリギリに見える光景は、見慣れない水面の広がりが面白かった。

私は、それを「カエル目線」と名付けた。 カエルが目だけ水面に出して浮いてる光景の面白さを、子供時代に池で何度も見ていたから。

そう云えば、伊豆・天城山の坐禅道場に行った時、早朝、坐禅の合間の散歩の時に、誰も通らない道路に、ちょっと寝転がって見た地面も面白い光景だった。それは、まるで、「蟻んこ目線」の光景。

共に、最高の「下から目線」。

いや、地面の下には、「モグラ目線」や「ミミズ目線」だってある。海には、「深海魚目線」だって。

色々な、生きものの今日の生活を想像するだけでも、素晴らしい想像の旅が出来る。


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September 27, 2013

"母心無限"、"いつもいっしょ"、

赤ちゃんの写真に"赤子如来"と云う言葉がぴったりのことを、最近知った。無垢で、無心の命の耀きを放つ存在のように見え、思わず合掌したくなる写真。そこには、亡くなられたお母さんの無限の愛が映っていた。

子供時代に死別した母親が遺したアルバムを親戚の人の家で見付け、何十年も経て、自分の母親がどれだけ自分を愛していたかが、ほとばしるように感じられた方が、最近、本を出された。小浜・仏国寺で修行されてる前田良光さん。

書籍の名前は「いつもいっしょ」。最初のページには、原田湛玄老師の「母心無限」の書が描かれていた。原田湛玄老師は、私が教えを受けてる住職の師匠にあたられる方。

その書籍には、"届かなかった母からの手紙"として、当時の数々の写真を紹介しながら、母の言葉が代筆されている。

母になって、人は自分の命より大切なものの存在を知る。だから、母は神に近付く。母は人格を持った神に等しい。

人は皆、自分が赤ちゃんの時の写真をいつも携え、苦しい時、哀しい時には、見れば好いと想う。

母は神(真理)への信仰の入り口。母が広がって、それが宇宙そのものになる。

巻末の原田湛玄老師の写真が、"絶対大丈夫"の世界を感じさせてくれる。

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September 26, 2013

"倍返し"は、自然界には無い、

半沢直樹と云う番組は、"倍返し"の痛快さが人気と云われる。

ひどい目に合ったと思ったら、"倍返し"と云う、うっぷん晴らしの心理は、何か、病んでる異常心理を感じる。

自然界には、宇宙には、"倍返し"は無い。 作用と反作用は、エネルギーがバランスして調和する。

意識して"倍返し"をすると、いずれ、その"倍返し"をした力は、また自分に返って来る。

"倍返し"は、自然界に逆らうから、心乱れて、安らぎは無いのだと思う。倍返しする人には平常心がなく、安定感はない。

ただ淡々と、淡々と、作用と反作用の中で、生きれば好いと想う。

やじろべーの振り子の安らぎのように、揺れながら、身を任せて生きれば好いと想う。

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September 25, 2013

長崎、ハルピン、信州、母のゆかりの地、人生の巡礼の旅、

満洲引き揚げ者どうしで再婚した父母は、それぞれの死別した配偶者のことは、生前、余り語らなかった。

母は、長崎の京泊の半農半漁の村を19歳くらいの時、飛び出して、満洲・ハルピンへ単身渡った。そのハルピンで知り合って結婚した人の故郷が、長野・下伊那郡。当時、多くの人が長野から満洲へ渡っていた。

平谷村は人口500人くらいの小さな谷あいの村、今では道路も整備され、"ひまわりの湯"という温泉施設も観光客を呼んでいる場所。治郎坂峠を越えると阿智村、阿智村には、満蒙開拓団記念館が今年春にオープンしていた。

母の前夫は、結核で終戦の前年から信州の病院に入って、母の引き揚げ後、死の直前に母と長野の病院で再会している。母は長崎へ引き揚げ後、すぐ、夫の実家を訪ね、病院の夫を見舞い、子供の満洲での病死を報告したという。当時、私の母が見た、悲しみの山々の情景を、私は初めて見た。

稲の香り、田んぼの香り、道には、バッタ、カマキリ、田んぼの水路の水音、神社。遠い昔、母に連れられて行った長崎の実家の空気も感じた。

2007年の初めてのハルピンへの旅も実現し、そしてやっと実現した今回の信州・下伊那郡への旅。

長崎の隠れキリシタンの村、満洲・ハルピン、そして今回の信州、私は、母の人生を、もう映像で蘇らせることが出来る。

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September 24, 2013

ゼロ戦の設計者・堀越二郎、そして人体の設計者への想いへ、

映画「風たちぬ」で、ゼロ戦の設計者・堀越二郎さんは、1万人のマニアの世界から、大勢の人々が知る偉大な設計者となられた。ゼロ戦の技術・美は、世界に誇れる快挙だった。

それでは、「人体と云う乗り物を設計した人は誰か?」、 先日の住職の言葉を想い出す。

身体(からだ)は、魂の乗り物。身体は滅しても、乗り物が変わるだけ。

目は横に二つ、鼻は縦に一つ、おびただしい数の神経回路、多少個人差はあっても、人体の設計は同じ。

この人体を設計した人は誰だろう?と云う問いは、私を虚空世界へ誘う。

この虚空世界を、神と呼ぶ。"人体は乗り物"と云う言葉に、死は遠のいて行く。

(2013年9月22日の記)

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September 23, 2013

洗濯屋さんで手品、 観客4才児・3才児

私は、いつも小さな驚きが好きで、茶目っ気があるから、即興ギャグを云ったり、小さな手品の品くらい持ち歩いている。

毎週土曜日の朝、近所の洗濯屋さんに行く時も、よく新しいギャグを披露して笑わせる。 先日は、珍しく店のおばさんの孫達が、並んで店頭に待ち構えていて、「いらっしゃいませ」、と可愛い声で、声をかけてくれた。

私の感では、4才の女の子、3才の男の子って感じだった。

早速、私は、その子達に、話かけて、咄嗟に持ちあわせの手品を披露したら、驚いたこと。

扇子の先をその子達の襟元に近づけ、パッと100円玉を扇子の先に載せて見せる。 その100円玉を片手で取って、ポケットに仕舞って、また、同じく、扇子を子供達に近づけ、100円玉を続々と出す。

子供達の驚きように、何とも云えない達成感。

楽しかったなーと想い出す。 洗濯屋さんに行って咄嗟に手品をするとは、我ながら、変なオジサンだと思う。

(2013年9月22日の記)

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September 22, 2013

失敗、不幸、逆境こそ、エゴの放棄に近付ける、

成功、幸福、順風は、私はいい人、理想的な人と思い込むから、エゴを守るから、一番解脱にはほど遠い。

失敗した人、不幸な人、逆境の人は、エゴの放棄をし易いから、解脱に近付くことが出来る。

自分が坐禅をし始める(自力)が、自分が坐禅をするのをやめるのが、真実の坐禅(他力の境地)。

昨日の住職の話。

エゴから、どれだけ遠ざかることが出来るかが修行。

エゴから遠ざかる。 銀河鉄道に乗って。エゴ無き世界の安らぎを目指して。夜空へ。

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September 21, 2013

塔 和子さんの詩、

先日の沢知恵さんのコンサートで、ハンセン病だった塔和子さんの詩の存在を知った。

13才で、ハンセン病になられ、瀬戸内海の島の療養所に隔離されて生きて来られた塔和子さんの詩は、昨日知ったばかりなのに、私の心に、大きな衝撃を残した。

「煮ているおかずの匂い  やかんの尻をなめるいろりの炎  むぎわら帽子の中の野苺のかがやき なげだされた野良着の暖かいしみ 畑のでき具合を母に話している父の声 まきをくべながらきいている母の姿

近所の子供と遊んでいる 弟妹のはずんだ声を 少しずつすこしずつ包んでゆく暮色 みかん色のはだか電球 この家はいつまでもあり この暮らしは永遠につづいてゆくのだと信じていた 少女の日のまるい心

療園のくらしに どうしようもなくかわき ひびわれ とげだつとき それらは 胸の奥で乳のようにうるんで なめらかに私を包む 私はその優しいものを ひりひりとしみる傷口にこころゆくまでしみこませて やっと安らぐ血のふるさとにうえかわく 一匹の羊」

人生は、こんなにも、過酷なことかと想った。 生きることの凄まじさを想った。

「人間がこんなにも哀しいのに、主よ、海が余りにも碧いのです」、遠藤周作の碑の言葉を想い出す。


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September 20, 2013

13歳の絶望、"ふるさと♪"、沢知恵さんが歌う、

昨日、定時制高校の公開音楽学習イヴェントとして、東京・亀有のカメアリホールで、沢知恵さんのコンサートがあった。彼女は、ハンセン病療養所で、少年院で、震災の東北で希望を歌う人、彼女の持つ仏性は、特別な光を放っていた。

瀬戸内海のハンセン病療養所・大島青松園に13歳の時、送られた塔和子さんは絶望の中に生きて、詩を書き続けた方。13歳の時の発病を機に、他の家族に迷惑がかからぬようにと、姓名まで変えられ、孤独と絶望に突き落とされた搭和子さん。搭和子さんが一番好きだった歌、死の床で、沢さんが歌ってあげた曲、「ふるさと♪」

「うさぎおいし、あの山、小鮒釣りし、かの川♪」・・・・・・・、会場は静まり返った。13歳の女の子にとって、瀬戸内海の海や空は、星はどう見えたのだろうと想った。

沢知恵さんのお父さんは、牧師さんで、42年前、知恵さんが赤ちゃんの時、大島青松園を赤ちゃん連れで訪れた凄い方。療養所の人達にとって、ハイハイする赤ちゃんを見るのは初めてだったと云う。どれだけ涙されたことだろう。

人は皆、幸せを求める。だが、自分が幸せになることが心苦しい気持になることを、私は、はっきり感じた。

沢知恵さんは、亡くなったお父さんが、数ヶ月の余命を宣告された時、思い残すことは、ふうてんの寅さんのビデオをみんな見ることだったと云う。そして、みんな見終わって、お父さんは旅立って逝かれたと云う。彼女がお父さんを想い出しながら歌う、「ふうてんの寅さん♪」・・・・。

それは、人生の美。幸せではなくとも、真剣に生きることの美。それは、仏さまの手の平の上の安らぎ。

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September 19, 2013

台風と地震、同時、そんなことあり?

16日の朝、横浜は、強風と大雨で、私は、自宅で、雨戸を閉じた部屋で、じっと台風が去るのを待った。

その時、ちょっとした地震もあった。

台風の真っ只中、被害も出てる中、追い打ちで地震も、もし大きかったら、どうなるんだろうと思った。

容赦のない自然現象のことを想った。

二つも三つもいっぺんに、苦難が訪れた時、どうするか?

これも、人生では、大事な修行。

良寛和尚の言葉(潔く災難に合うがよろし)を、想い出したり、そして、その上で着実に、最低限やるべきことをやる。

結局は、心静かに、やはり、災難の行きすぎるのを待つ。 そして私が命を落とすなら、それも自然現象の一部だと思う。


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September 18, 2013

出勤前、自宅の鍵の紛失騒動の冷や汗も学び、

昨日、出勤前に、カバンの中に自宅の鍵が無いことに気づいて驚いた。 鍵を閉められないし、帰宅した時に鍵も開けられない。

もういちど、2階の自分の部屋を探す。 いつも置いて置くボックスの中にやはり無い。

どこか落ちていないか、居間を探す。 洗面所を探す。 出勤時間も遅れるし、冷や汗が出て来る。 昨日着たズボンのポケットも探す。 関係ないズボンのポケットまで探す。 引きだしも再度探す。

実質的には、一人暮らしの自分には、鍵の紛失は不注意としては致命傷。 大打撃。

途方にくれて、もう一度、2階に上がり、自分の部屋の床にあった本の陰にポツンと落ちていたのを発見。

その間、約10分くらい、大変な修行だった。 刻々と、判断を迫られる場面は貴重な修行。

最悪の場合に、次のステップに何をしなければならないか、判断が迫る。

結局、事なきを得たが、大事なものは日頃の、キチットした管理が大事なことを痛感した。 合掌。


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September 17, 2013

アメーバーから今日まで、そして明日、

虚空世界から、アメーバーへ、アメーバーから進化して、やっと人間に辿り着いた私。

そして、まだ、まだ進化し続ける。それを、老いとは云わない。

生まれ代わりを繰り返し、繰り返し、日々、新たな進化を遂げて行く。

思い返せば、アメーバーの時代?

全ての生きとし、生けるものが、虚空世界から生まれた仲間として、懐かしい。同窓会でも開けば好い。

死はない、進化があるのみ。

平凡な日常に見えても、日々、進化のプロセスの中にある。

そして、アメーバーからの進化の頂点たる今日が始まる。

(住職の講話の教材、ヴィヴェーカンダ師の書籍「立ちあがれ目覚めよ」に触発されて)

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September 16, 2013

「敬老の日の対象は、2.5%しかいません」、 楽しい発見、

新聞によると、敬老の日の対象を自認する人は、65歳以上の1割しかいないとの調査結果が書いてあった。

65歳以上で、実年齢より若いと考える人が78%。

65歳以上の人口は、3186万人で、4人に1人が65歳以上。女性の28%が65歳以上、男性の22%が65歳以上とのことだった。

敬老の日が、自分を対象にしていると思っている人は、65歳以上の1割しかいないと云うことは、人口の25%のさらに一割で、全人口の2.5%しか老人と思っている人はいないとの結果。

流石、団塊の世代の勢い、まさにシニア社会の青年達と云う感じだ。

社会に老人はいない。 ただ先輩がいるだけ。 楽しい発見。

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September 15, 2013

危ないコンビニ食、

今月は、コンビニ食について、調べて試た。これも、考える材料、やはり、人工的なものの潜在的危険を感じる。

― 「危ないコンビニ食」 山田博士著、Science出版 より抜粋― 、 コンビニ食は、青菜不足、 豆類不足、 未精製穀物の三大不足に加えて、次の大問題がある。コンビニ食によく出没する重要指名手配犯人は次の5人の悪者。

(1)タール系の合成着色料(発ガン性、変異原性で、徐々に禁止されて来たが、まだ12種残存)。 悪い素材でも美しくするアニリン系有機溶剤、 染毛剤、お歯黒などに使われて来た。日本で許可されてる合成着色料12種、中でも黄色4号・5号はキレル子供を作ると云われている。 → 鮮やかな人工的な色に御用心。

(2)安息香酸塩、= 合成保存料 、大量生産に必要。 発がん性の疑いや、アレルギーの原因と云われる。大企業の健康飲料、ダイエットコーラなどにも、大量生産のために使われてきた。デパ地下の寿司についた醤油などにも使われている。 → 健康志向品にも、落とし穴。

(3)亜硝酸塩、 発色剤、 = 重度の気管支喘息や、発ガン性。 ハム・ソーセイジ、ベーコン、肉の変色を防ぎ、美味しく見せる。しおれたレタスや干しブドウにふりかけられたりしていることもある。タンパク質のアミンと一緒に摂ると、強酸性の胃の中で、発ガン性のニトロソ化合物を生成する。亜硝酸塩は、辛子明太子からも検出されることも多い。

(4)酸化防止剤、BHA,BHT 、 = 発がん性、 食品の寿命が4~5倍延びる。 1982年まで、即席麺、マーガリン、魚介製品に使われていて、問題化した。 今でもパーム油には使われている。 → アイスクリーム原料、ファーストフードに沢山使われている。

(5)化学調味料(MSG 核系= グルタミン酸ナトリウム)= 味覚障害、痛風、多動症の子供。 無国籍食のコンビニ食を蔓延させた張本人。 1908年、昆布のうま味をMSGと認定し、味の素を製造。その後、サトウキビのカスに化学薬品を使って、ナトリウム化合物を作るようになった。今では、完全な化学合成品の味。 以上

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September 14, 2013

赤ちゃんの時以来、

約40年前、28才で亡くなった姉の子供とは、私は赤ちゃんの時以来会っていない。その姉は異母兄弟の3人も含めて6人兄弟(姉妹)の3女、九州から東京に嫁いでいた。

姉が亡くなった後、ご主人も再婚され、私も大学・就職など慌ただしい人生の渦に巻き込まれて、いつの間にか、会わずしまいになっていた。

その姉の息子も、今、東京の近郊の市の市会議員をしていることは聞いていたので、先日電話をしてみた。

お互いに会ったことは無いが、深い縁であることを十分に感じながら、初めて話をした。

近々、都合をつけて、初めて会う日を探すことも約束をした。

私は、彼が赤ちゃん時代は見たことがあるが、長い月日を考えると、会っていないのも同然。

私の人生に於いて、どうしてもやらねばならぬことが、まだまだ沢山あることを想う。

彼の顔立は、目もとなど 写真で見ると、亡くなった姉を想い出す。

会話より、その姉の面影に、私は、胸がいっぱいになることだろう。

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September 13, 2013

電話の声を聴くだけで好い、

今は名古屋に住む、幼児の頃の親友と先日、久しぶりに、電話で話した。

九州の大牟田で共に小学校に入るくらいまで遊んでいた幼馴染みが、名古屋に転居して行った時、とても悲しかった。 別れの日、私は、親友の家族が、家から大牟田駅へ向かうタクシーを悲しく見送った。

私の母は、その親友に別れ際に、ミルキーをあげたらしい。親友は、そのミルキーが、その後、悲しくて食べれなかったと云う。

母も私達の別れの寂しさを十分知っていた。

中学1年生の時、母は、私に名古屋まで寝台特急で一人旅させてくれた。心細い旅だったが、親友との再会がとても嬉しかった。

先日は、お互いに元気であることを確認しただけの会話であったが、懐かしい声。

彼は、電話で私の声を聴くだけで嬉しいと、云った。 それは、お互いに同じ気持ち。

幼馴染みの親友、大人になってから二人で会った時は照れくさいけど、裏山で遊んだことなど想い出すと、もう言葉は要らない気持ちになる。


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September 12, 2013

昭和20年満洲、青酸カリの朝、

終戦の前年、夫は結核で内地・信州の病院に送られ、満洲・ハルピンで母子二人で終戦を迎えた母は、2歳の男の子を抱えて収容所に入れられた。

「今日こそは、死なむと思い不図見れば、ラジオに合わせ踊る幼児(おさなご)」

昨日、品川で、弟と二人で飲んだ時、弟が、母の詠んだ句を覚えていて、私に教えてくれた。

談笑していた私の心は、崩れ落ちるような衝撃を受けた。

引き揚げて来てから、前夫と死別した母は、再婚し、私達兄弟が生まれた。 私には、直接は、満洲のことは余り話さなかった母。

私を、見ながら、満洲で亡くした男の子を、幾度も想い出していたことだろう。

昨日、初めて、私の知らなかった母の歌を知った。

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September 11, 2013

自分が法隆寺になればよい、

世界最古の木造建築の美、法隆寺。

岡本太郎は、法隆寺をも、あっさりと切り捨て、法隆寺、何するものぞと云う気概の言葉を遺している。

「自分の道は、自分で切り拓くんだよ。自分が法隆寺になればよい。」

否定のための否定ではなく、創造のための否定を、岡本太郎は、声高らかに訴え、実践した。

大法輪10月号、芸術家の名言の記事に見付けた話。

「自分が法隆寺になればよい」、そんな気概は、人生への圧倒的な讃歌。

繰り返し、想い出したくなる言葉。

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September 10, 2013

「無名を以て名とす、 これを大極と云う、」

名称と形態ある世界をカルマ(業)の世界と云う。

印象、気分がカルマ(業)の本質。 印象、気分の集合体が「我」。

名称と形態が消えた世界に、「我」は無い。

太極拳の大家たる住職が、一昨日の気功の指導の時、「無名を以て名とす、 これが大極」とおっしゃった。

宇宙一杯に広がるエネルギー。 「我」なき世界の調和。


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September 09, 2013

汚れようの無い新らしさ、年をとること、

過去も現在も無い。 過去も未来も誤解です。

では、何も無いのか? 「今」はある。 それは、留まった「今」ではない。

「今」は、止まっていない。 いつも新しい自分。

薪は灰になるのではない。 そう見てしまうのが誤解。記憶・経験と云うカルマが、そう見させてしまう。

過去も未来も断たれている。

それを、道元禅師は、「春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬幸冴えて涼しかりけり」と詠んだ。

汚れようのない新しい世界を知ること、それが年をとること。

一昨日の住職の言葉。

秋の早朝、ベランダへ出て、清々しい空気、川のように流れる「今」を感じる。 「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず、」、鴨長明の言葉が、寂しさから生きる歓喜へ変わる。それは無常の背後の無我に気づくこと。

道元禅師の気配がする。

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September 08, 2013

魚の時価、自分の時価、

寿司屋で、よく見かける時価と云う貼り紙。 毎日、変わる時価。 何も魚だけではない。

全ての物質の価値は、刻一刻と常に変動している.。

自分も、時価で表したら、どうなるのか考えてみると笑ってしまう。

大間のマグロと比べたら? ムムム。 大幅安か?

身体の成分分析をして、それで評価したら、水分が6割だし・・・・。

毎日、価値が変動していることを考えるだけで、面白い。

株式市場のように、自分の今日の終値は、いくらだったとか考える。 + 50円高か? あるいは暴落とか?

毎日、精進しないと、自分の時価(株価)は落ちる。 大変だ。

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September 07, 2013

娘の幼児語の想い出、

娘が幼児だった頃の、想い出深い幼児語を想い出してみたら、ほのぼのとした。

娘が作ったと云うより、私が、教えた言葉だったかなー。

頭(あたま)だっこ= 肩ぐるま(街へ行く時)、
赤ちゃんとうもろ、= ベビーコーン(食卓で)、

ごにょごにょ = ヤドカリ(一緒に海辺で)、
わる(悪)グモ = 蜘蛛の巣で、蝉などをぐるぐる巻にしている蜘蛛、(公園で)、

あさおこマン = 朝、機嫌が悪く怒る人、
つーにーこん = つよし兄ちゃんのこと(私の弟)、

飛行機ぶーん = 私が仰向けに寝て、対面で子供を身体の上に持ち上げて、飛行機の様に飛ばす格好。
お馬パカパカ = 私が四つん這いになり、私の背中仁子供が乗る格好。

一人つぶやいても、楽しい言葉。 娘は覚えているかなー。


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September 06, 2013

BSE(狂牛病) , 鳥インフルエンザの意味、 そして戦争への考察へ

人は、決して戦わない相手には、どんどん自分の要求をエスカレートさせて、ひどい目に合せて行くことも多い。

弱い人、文句を云わない人、無抵抗な生き物は絶滅することもある。

牛は、美味しいから、人間の食料として育てられ、殺される。牛は人間には抵抗は出来ない。鳥も同じ、ニワトリは、アウシュビッツみたいな鳥小屋で一生を終わる。人間に抵抗など出来ない。

牛が自分で抵抗出来ない分、牛はBSE(狂牛病)で、人間に戦争を挑んだ。鳥が自分で抵抗出来ない分、鳥インフルエンザで、人間に戦争を挑んだ。

決して戦わない生き物にも、自然界は、行き過ぎた暴力に対しては、やりかえす術を与えてくれている。戦うのに反対している側が、肥大化した欲望の餌食になるのを見るのは辛い。

BSEも鳥インフルエンザも、自然界の救いの力なのだと想う。


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September 05, 2013

子供時代を生き延びて、 生物界の話

先日、昼休み、鯨が親子で南の海から北極の海を目指す旅、シャチの群れに子供が狙われ命を落とすビデオを、神谷町のツタヤ(本屋)のTV 画面でたまたま見た。 私は、暫く、その場を離れられなかった。

大きな鯨も、親は巨大なヒレで、シャチを攻撃出来るが、子供の鯨は狙われたら、生き延びるのはかなり難しい。

親鯨との間に下から、シャチが入りこんで、親と子を切り離し、子供の鯨の上に乗っかり、沈めて窒息させて、群れで子供の鯨だけを襲って殺す。

母親の鯨は、子鯨の真っ赤な血で染まる海を見て、子鯨の死を知る。 そして一人、また、北極までの寂しい長い旅を続ける。親の鯨の目が、画面に映しだされる。

母鯨に寄り添う様に泳いでいた子鯨は、もういない。

野生の動物、自然界では、子供の時代が一番危ない。 外敵に狙われ命を落とすことも多い。人間も、本当は、色々な困難や災難、病気などで、生きて成人するのは難しいのだと、あらためて想った。

そう想うと、両親は、よく無事に、私を成人させてくれたなーと、感激が湧いて来る。私も気づかないような、外敵からも、身を挺して守ってくれたことを想う。

私の子供も成人したことを想うと、もうそれで好しと想う。 後は、自分のヒレで、恐いシャチでも、追い払って生きて行って欲しいと想う。

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September 04, 2013

5分間の運送屋さん見習い、

先日、朝、通勤途上、駅のそばのコンビニ八百屋さん"マイバスケット"に食材を運ぶトラックの運転手さんが、店の前の道路が狭く、近付けないので、遠くで車を停めて、2台の荷車を押して、箱に入った食材を運ぶ姿に出会った。

2台の荷車を1人で操るのは、かなりむつかしそうで、フラフラ蛇行しながらだったので、思わず、1台を私が持って、マイバスケットまで運んでやった。

距離にして50メートルくらい、5分くらいの出来事。通勤姿で、運送屋さんに変身して、荷車を押した。

運送屋さんは、30代後半くらいの男性だったが、大変助かったような様子だった。

5分間くらいの運送屋さん体験、一日が、新鮮に始まるような気がした。

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September 03, 2013

小柳ルミ子さんの母、娘への方言の語りかけ、

福岡出身の歌手・小柳ルミ子さんの亡くなられたお母さんが、悪性リンパ腫で看病を受けておられた頃、娘のルミ子さんへの言葉が、私の心を打った。

東京から福岡の病院へ見舞いに行き、病室に入ると、「なんで来たとね。 来んでよかと」・・・・・・・・・。

亡くなる10日前、お母さんは、「ルミ子、もう頑張らんでよかよ。ルミ子が楽しくて、幸せなのが一番」と、言ったと云う。

方言の語りが、もう、私の母の語りを想い出させて、心が揺さぶられて、どうしようもなかった。

愛に包まれているとは、こんな情景を云うんだなーと想う。

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September 02, 2013

蝉の暇乞い、2013年の夏、

先日、通勤途上、アブラ蝉が私の前に飛んで来て、私に留まりそうになって、私は咄嗟に身を翻した。弱ったアブラ蝉なので、その後、私の歩く地面のそばに落ちた。 鳴かないからメスの蝉。私は、蝉を拾い上げると、まだ、元気に足を動かしていた。

私の手を、よじ登ってみたり、私の手の平の上で遊んでいるようにも見えた。

私は、蝉の顔をよくみて、その目もよく見ていたら、何か、蝉が、「もうすぐ夏も終わり、私も逝かねばなりません。お世話になりました。」と、最後の別れの挨拶に、私に舞い降りて来たように想えた。

まるで、かぐや姫のような蝉。

その後、その蝉は、最後の力を振り絞って、道路脇の街路樹の3メートルくらいの高さのところまで飛んで、留まってくれた。

最後の、木に留まる蝉らしい姿を、私は、記念に何枚も写真に収めた。

蝉との別れ、2013年の夏。

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September 01, 2013

「有ると無い」が無かった時代への旅、時空を越えて、

じっとする、全てを休む、これが禅。

濁った知性(波)には必ず対象がある、対象が無くても知るのが純粋知性(大海)。純粋知性は身体と心に属していない。純粋知性のもとに身体と心ははらたく。

名前あるものは死ぬ。本質(純粋知性)は死なない。

「有ると無い」が現われる以前の世界がある。白と黒が現われる以前の世界があった。白黒偏ることが矛盾。白黒、何れにも計らわず、いずれの極にもとどこうらない。両極に別れていても、その統一性を一元世界と云う。シーソーのように常に平にする世界、矛盾を統一しようとする力、これが愛。

一元世界に於いては、「私と私のもの」が重荷となる。

白黒が現われる以前の世界に戻る。「有ると無い」が共に無かった時代がある。

宇宙は愛である。愛は取引をしない。虚空世界からエネルギーが放出されて、矛盾が統一されて行く。

あるのは自由と安らぎだけ。無条件に大丈夫の世界。

昨日の住職の話は、時空を越えた旅。

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