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September 12, 2013

昭和20年満洲、青酸カリの朝、

終戦の前年、夫は結核で内地・信州の病院に送られ、満洲・ハルピンで母子二人で終戦を迎えた母は、2歳の男の子を抱えて収容所に入れられた。

「今日こそは、死なむと思い不図見れば、ラジオに合わせ踊る幼児(おさなご)」

昨日、品川で、弟と二人で飲んだ時、弟が、母の詠んだ句を覚えていて、私に教えてくれた。

談笑していた私の心は、崩れ落ちるような衝撃を受けた。

引き揚げて来てから、前夫と死別した母は、再婚し、私達兄弟が生まれた。 私には、直接は、満洲のことは余り話さなかった母。

私を、見ながら、満洲で亡くした男の子を、幾度も想い出していたことだろう。

昨日、初めて、私の知らなかった母の歌を知った。

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