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August 06, 2013

幼児の女の子からの手紙の宝もの、長岡の花火によせて、

今回の週末の長岡の花火、新潟の旅で、沢山の懐かしい人達との再会があった。

新潟大学ESS・OBの友人、当時英語漬けであった者どうし、今は、意外に、禅や神について語り合った。

NHK・ESS時代の友 人は、私が昔からギャグばっかり云っていたと云う。当時、私が時々、合懇を企画していたこと、その合懇で結婚までした人もいたことなど、面白く想い出した。

そして、病気療養中のNHK・ESSの先輩ご夫婦を見舞って、昔のように、冗談を云って笑った。ご夫婦は、当時、私が、大学卒業後、誰も知り合いも居ない新潟に赴任、独身寮で寂しく暮らし始めた頃、家族ぐるみで私とつき合って下さった。一人過ごす大晦日に、一緒に夕食や、近所の神社への初詣の想い出。

その先輩の、当時幼児だった息子さんや娘さんが、今回、入院先や家を案内してくれた。その、当時幼児だった娘さんから、私が横浜へ転勤した後、何通も、なぞなぞや、あぶり出しの字の入った、ひらがなの手紙を貰った。その手紙は、今では私の人生の宝のようなもの。読みかえす度にほのぼのとして来る。今は、女の子のお子さんが二人いらっしゃる。

そして、1975年頃、私が石油会社の新入社員時代、人事・労務をやっていた私が、新潟で採用した後輩達3人と、新潟駅前の居酒屋で、夜8時半の新幹線の時間まで飲んだ。当時、私は、寮長として、18歳の高校卒業したばかりの後輩達の朝のマラソン、夜、消灯係りなどしていた。彼らの先輩・教育係りだった。再会、懇親会は、盛り上がり、新幹線の時間を忘れそうになるくらいに。

長岡の花火の頃、私の人生の花火も、フェニックスのように新潟の空に舞った。

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