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August 18, 2013

禅も念仏も行く着く境地、親鸞上人と道元禅師の会話を想う、

昨日、親鸞上人と道元禅師の到達した境地の同一性に就いて住職から話を聴いた。

禅は、全てを排除して行く訓練、全てを委ねて行く訓練。念仏も行く着くところは同じ。

阿弥陀と共に、無間地獄へも行く喜び。

入り口は自力、出口は委ね行く他力。

自分の未熟さがあっても、完璧に包み込まれていることを知る。

無常は無我、無我は涅槃。涅槃は愛、無我は愛、ならは無常も愛。

その愛とは、"自分のために貴方を愛する"と云う"巷の愛"とは全く違う概念。

愛は取引きではない。思い通りにならなくても、愛することができるかでわかる。愛は与えるだけで、取り上げるものは何もない。そんな愛に包まれていることに気づく時、、、、、無常が恐くも、寂しくもない境地に至る。

親鸞上人(1173年~1262年)と道元禅師(1200年~1253年)が実際に、箱根で会話をし、お互いの同じ境地を確かめ合ったと云う。その場面を想像するだけで、その場面は、"坂の上の雲"となって、私を導く。


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Comments

突然のコメント失礼いたします。
親鸞と道元の関係性について調べていたのですが、箱根でお互いがあっていたという話は初めて聞きました。
良かったら詳しくお聞かせ願いたいです。
よろしくお願い致します。

Posted by: jun | October 07, 2013 at 01:31 AM

Jun さん、 コメントありがとうごいざいます。
私の師事する住職から、歴史の意外な逸話として聴き、私も驚きました。道元と親鸞は、お互いの旅の途中、箱根ですれ違った時、会話を交わしたと聴きました。再度、追加の史実を、住職に聴いてみます。わかりましたら連絡します。

Posted by: life artist | October 07, 2013 at 07:19 AM

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