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August 31, 2013

輪廻転生の舞台裏、

怒りっぽい人は来世は修羅に、貪欲な人は餓鬼に、人は、また人間として生れて来ることは出来るのだろうかと心配になる。

五感六識の真只中に生きてる時は、輪廻転生は真実。

五感六識の世界を越えた人にとっては、無我の世界( 一元の世界)の中では、輪廻転生は迷信となる。

ここまでは、住職に教えて頂いた話。

そのあと、私の、お笑い系の脳が、あれこれ想像し始める。

五感六識の真只中で、また人間に生まれ変わりたいと願う時、大学入試など不謹慎に思い出す。

本来、ニワトリになるところ、補欠で人間に繰り上げとか? 。 あるいわ、選挙結果みたいに、ある人が人間になり損なったので、繰り上げ当選で人間に昇格したとか、想像し、笑いが込み上げる。

ある時は、輪廻転生を信じ、またあるときは、お笑いネタとして愉しむ。

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August 30, 2013

針仕事の新鮮さ、

昨日、朝、出勤前、ワイシャツのボタンが外れそうになっているのに気づいた。

そう云えば、海外出張などの時、ホテルに置いてある"針と糸のキット"を持ち帰っていたことを想い出し、捜し出した。 そして、その外れかかったボタンを、すぐ縫い付けようと想い、白い糸を、針の穴に通す作業に取りかかった。

子供の頃、母が針仕事をする時、子供の私の目が良いので、私にすぐ、針の糸を通す作業を手伝うように頼んで、私は、喜んで、母の作業をそばで手伝っていた。その時の、誇らしげな気持を想い出した。

だが、今では、針の穴に糸を通すのに、時間もかかり、大変だった。 10回くらいトライして、やっと針に糸を通して、ボタンを無事に縫いつけ固定した。そして、達成感に満ちて出勤。

そんな、予期せぬ針仕事も、子供時代の楽しかった母との静かなひとときを想い出させてくれた。

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August 29, 2013

神の同義語あれこれ、

"神様"と云えば、宗教っぽいが、"神"の同義語が沢山あることに気づいた。 これも住職に、ヴェーダンダ哲学、禅などの話を沢山聴いて来たおかげである。

"真理"、"仏性"、"宇宙意思"、"虚空世界"、"アートマン"、"ブラフマン"、"太極"、"中道"など、すぐに思いい付く。

まだまだ、色々ありそうだ。 遺伝子研究の村上和雄先生は、"Something Great"と呼んだ。

"人格を持った神"は入口の概念(幼稚園的)で、その先の先へ、遡って行くと、上記に紹介した様な呼び名の世界に到達する。それこそ、まさに"神"に相応しい概念。

白隠禅師は片手の音が聴こえる世界と表現した。 闇夜のカラスが見える世界、父母未生以前の虚空世界、など云ってもイメージし易い。

インドの偉大な思想家、スワミ・ヴィヴェーカナンダ師は、「人は、束の間に過ぎて行く世界に、永遠なるものは無いのかと求めて宗教が始まり、自分の中に、その回答を得て、宗教は終わる」と宗教の概念を解説している。

宗教は、真理に行きつくための方便に過ぎない。

"神"の同義語を、あれこれ考えるだけで心地よい。

"神"を自分の中に見出す時、それは"波"が"大海"を知る時。

"波"は"我"、そして"大海"は"無我"。"無我"も"神"。


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August 28, 2013

毎日入れ替わる細胞のように、

最近の藤圭子さんの死について、娘のひかるさんの苦しい心境を想った。精神を病んだ母親に、してあげられなかったことへの無力感。

私も、ひかるさんの心情を想うと、人生の厳しさに、気持が沈んだ。そんな時、私の脳裏に浮かんで来た救いは、人間の細胞が毎日3000億個も入れ替わっていることであった。

病気の細胞も、寿命の細胞も、色々な事情の細胞もあろう。 毎日3000億ものおびただしい数の細胞が死に、また新しい細胞と入れ替わり、人間の60兆の細胞の集合体が維持されている。他の細胞には、多少助けようとしても、どうすることもできない。

そこに、親鸞上人のように念仏を唱えた人もいた。その入れ替わりの光景の無常こそ、命の営みであると道元禅師は説いたと想う。無常は無我に於いて永遠の命たり得る。

私も、何もしてあげられなかったと想う両親に対する想いは、ひかるさんと同じ。

不幸も災難も、選ばれし3000億個の細胞のように、ただ淡々と受けいれる。誰かが、その3000億個にならねば、人間と云う大きな生命は成り立たない。細胞どうし、同じ時期に生きたと想えば、それで好し。

愛する人の死に際しても、「春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬雪冴えて涼しかりけり」と、詠える心境を、私は持ちたいと憧れる。

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August 27, 2013

2013年、夏、天城山、雨垂れの音、静寂、煙る山々、青空、鹿の群れ、

今年も天城山・坐禅道場から昨日降りて来た。

山中の静寂の闇の中、早朝の屋根をつたう雨垂れの音。何故か、子供時代に感じた孤独感を想い出し、懐かしさの余り、寧ろ寂しさを通り越えて、心地よかった。

雨あがりに煙る墨絵のような山々、道にはセカセカと行き交う蟻の旅人、時折、虫も私の前を横切る。蓑がまだ無い蓑虫が私の前に揺ら揺らと糸を伝って垂れ下がって来たり。私は、驚いて身を翻す。

雨あがりの山中、木々の間から見える空には、もう白い雲も青空も。

坐禅道場そばには、エサを求めて鹿の群れも近付く。鹿は、用心深く、立ち止まって、7頭くらいの群れの鹿が皆同じ方向を見て、人間を観察しているようだ。 「今回の坐禅参加者は14名くらいだな」と、鹿も数えていたかも知れない。

坐禅の合間、参加者が、何か最近感じたことを語るセッションで、何気なく聴いた言葉に、私は衝撃を受けた。

「私はいないのに、私をやっているのは一体ダレなんだ?と思う」

「断食をした時、あの何も無い時に感じた光耀く世界は何なのだろう?」

微かに、虚空世界の安らぎが見えているように想えて、心に残る言葉であった。

天城山は一元世界へ向う入り口の駅、銀河鉄道(踊り子号)は、また地球(横浜)へ帰還して行った。 一元と二元を行ったり、来たり。


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August 26, 2013

醤油無しで、豆腐を味わう、

先日、朝、醤油をかけずに豆腐を食べてみたら、何と美味しかったこと。

野菜も、ただ茹でるだけで、素材の味だけで、何もかけずに、食べてみて、その美味しさに気づいた。

素朴はいい。

質素な、素朴な食べ方は、自然をそのまま食べてるようで、自分も自然に溶け込んで、自然に抱かれて生きてるようで、安らぎがある。

技巧を凝らさないことは、自然に備わった五感が研ぎ澄まされるようで、心地好い。

何より、質素に、最小限のもので生きることは、即ち、自然が守ってくれるように思う。

(2013年8月23日の記)

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August 25, 2013

両親の好きだった音楽・小説・絵画など、

そう云えば、両親の好きだった音楽は何だったろう、小説は、絵画は、など不図考えてみた。

私の両親の世代にレコードは、高くて買えなかったので、レコードは何も残っていない。口ずさんでいた歌ならわかる。 それだけでもいい。 父の"帰り船"、母の"雨に咲く花"、引き揚げ者の二人が共に好きだったのが満洲のことを歌った"戦友"(♪ここはお国の何百里、離れて遠き満洲の、赤い夕日に照らされて♪)。

小説は、母が好きだった林芙美子、また母から"ああ無情も"、"杜子春"も、"安寿と厨子王"も聴いた。国木田独歩の"武蔵野"も聴いた。 ドフトエフスキー、トルストイの名も子供時代から聴いていた。

それらの共感は、今でも、亡き母と共に生きてる証し。

感動を周りに伝えて生きることは、遠くに離れてしまっても、人を繋げてくれていると想う。

(2013年8月23日の記)

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August 24, 2013

インドネシア留学生の富士登山から1年、

8月22日深夜、インドネシアから見慣れぬ英文Email が届いていた。英文を読み進むと、去年、日本に1年間留学中だった、インドネシアの女子留学生の一人から、去年8月22日に富士山に登った想い出を綴った感謝のメールだった。

去年の春、私が港区の国際交流イヴェントで知りあって、鎌倉の流鏑馬や、茨城・大洗の水族館、牛久の大仏様、生田緑地プラネタリュームなど案内したインドネシアの女子留学生二人。去年、私がご紹介した富士登山が好きな日本の若者たちと、初めて富士登山をして感動していた。

私は、船の進水式参列のため長崎へ出張で、丁度その日の朝か、飛行機で富士山頂の上空を飛び、富士を眺たことを想い出した。

私も、留学生達の日本の想い出作りに貢献できていたことが、嬉しかった。彼女達の"人生の心に残る旅の想い出"にかかわれて、改めて嬉しく想った。

私も、忘れていた人生の旅の光景。

(2013年8月23日の記)

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August 23, 2013

夏恒例の天城坐禅合宿へ、

夏、伊豆・天城高原の坐禅道場に通うようになって7~8年かと想う。今日から、また天城山の坐禅道場へ向かう。

春3月と、夏8月、天城"一灯禅林"の早朝の空気、小鳥のさえずり、鹿との遭遇など、想い出す。

心は、銀河鉄道のように、宇宙へ飛び立つ。

そして、宇宙に溶け込んで、消えて行く。

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数字で読み解く身体の不思議

今月の食育関連の勉強は、「数字で読み解く身体の不思議」竹内修二監修、ブルーバックスを読んだ。 衝撃の人体と云う宇宙に気づく。

(1)人の細胞: 約60兆個、= 世界の人口の1万倍くらい、
(2).一日に入れ替わる細胞の数、約3000億個、=1秒間で350万個が作られている、

(3).腸の中の細菌の数: 約100兆個、=細菌だけの重さで約1キログラム、
(4).血管を全部つなげると、10万キロメートル、= 地球2・5周分、

(5).身体の血液の量は、5リットルのバケツ1杯分くらい=体重の8% 、
(6.)人のDNAをつなげると、120兆メートル、(=1200億キロメートル)、一個の細胞に約2メートルのDNAの長さX60兆=120兆メートル、はやぶさは3億キロ離れた小惑星イトカワへ約7年60億キロの旅をしたが、・・・。 (太陽・地球間は、1・5億キロメートル)

(7.)身体の中の水分量は体重の約60%、(=赤ちゃんは体重の約80%)
(8).一日に送りだす血液の量は、酒樽(72リットル)の10杯分、

(9).一日に出て行く水分の量は、2500ミリリッター、(2.5リットル)
(10).一日に出る胃液の量は、コップ10杯分(2リットル)、

(11).胃に入る食物の量は、1リットル の牛乳パック1杯分くらい、
(12).脈拍は、一生で約30億回打つ、=70回X60分X24時間X365日X80年、

(13).生きてる間の呼吸数は、約6億~8億回、=15~20回/分で80年,
(14)骨は、3年で全部生まれ変わる、 =1年で全体の20%~30%入れ替わる、

(15).一生の内、表皮は約1000回生まれ変わる、=表皮は約28日で再生されている、
(16).全身の毛は、約500万本、=頭髪の毛は約10万本(全身の毛の約2%に過ぎない)

(17).妊娠すると子宮は約2500倍に大きくなる、
(18).出産後に出る母乳の量は、6カ月で牛乳瓶700本分(140リットル)

(19).脳の重さは、約50グラム=脳脊髄液に浮いて軽い、=空気中なら1200グラム位、
(20) 歯をくいしばる力は約60キログラム、 以上

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August 22, 2013

「里の秋」、 戦争まっ只中の歌だったと知る、

美しい童謡、「里の秋」の原曲「星月夜」は、昭和16年12月、太平洋戦争が始まった時に作られ、3番4番は、「父さんの活躍祈ってます。将来、僕も国を守ります。」と云う内容で、軍国時代の背景を背負っていたのだと云う。

戦後、3番以降を改作して、「里の秋」として、昭和20年12月24日、NHKラジオ番組「外地引揚同胞激励の午後」と云う番組で、放送されたと云う。 童謡歌手・川田正子さんが歌い終わると、辺りは、時間が止まったように静まり返り、やがて、スタジオ内は、拍手感動の嵐に包まれ、問い合わせで、パニック状態となったと云う。

♪静かな静かな里の秋 、お背戸に木の実の落ちる夜は ああ母さんとただ二人 栗の実煮てますいろりばた

♪明るい明るい 星の空 鳴き鳴き夜鴨(よがも)の渡る夜は ああ父さんのあの笑顔 栗の実食べて思い出す

♪さよならさよなら椰子の島 お舟にゆられて帰られる ああ父さんよ御無事でと 今夜も母さんと祈ります

先日,三鷹のGMカフェのコンサートで、シンガーソングライターの福山竜一さんが「里の秋」には、秘められた深い想いがあると紹介してくれて、私は、初めて知った。

調べてみて、私は、この曲に、当時660万人とも云われた、引揚者の方々の想いが入っていたことを知った。

この歌に対する父や母の想いを、亡くなって20年後に知る。

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August 21, 2013

サザエさんの漫画ような一日にも見えて、

昨日、夕方、会社帰りの、都心から横浜への東横線の電車の中で、不図となりを見ると、自宅の隣の家のご主人が座っていたので、驚いて声をかけた。お互いに会社帰りの電車の中で会うのは初めて。 まるで、サザエさんの漫画で出てきそうな、そんな会話をした。

昨日は、私は、本来の駅より二駅先の反町での、ヒッポクラブ(語学)の例会に出るために、寄り道して帰った。隣のご主人は、私が、そんな語学クラブに入って、この年で勉強していることに、「ご本人が勉強ですか?」と何度も聞き返し驚いていた。

ヒッポクラブでは、この3月に生れて間もない5ヶ月の男の赤ちゃん連れのお母さんも来ていて、また私に、その赤ちゃんを抱かせてくれた。その赤ちゃんは、私に抱っこされるのは2度目。ちっちゃな手で、私の顔を触り、笑顔を見せてくれた。

その後、家の近くの行きつけのジャズ喫茶で、ビールを一杯飲んで帰宅。この店で時々ライブをされるピアニストの山本剛さんトリオは、21日から南アフリカ演奏ツアーと聞いた。8月22日ー24日、ヨハネスブルグで開催のジャズイベントに参加されるとのこと。スゴイなーと思う。

そう云えば、昨日は、朝と昼と、会社のそばの並木道で、低く留まっていた蝉を2匹、目ざとくみつけて手で捕まえた。蝉は、私に捕まえられて、さぞ驚いたろうなーと同情する。すぐ逃がしてやったが、我ながら、蝉取り名人だと思う。

振りかえれば、そんなサザエさんの漫画のような一日。

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August 20, 2013

太陽まで1.5億キロ、そして1200億キロの旅、無限の宇宙へ、

地球から太陽までの距離を調べてみたら、1.5億キロメートル。

「数字で読み解く身体の不思議」(竹内修二監修・ブルーバックス出版)と云う本に、人体のDNAの長さを書いてあった。 「DNAは細いヒモのようなものが螺旋状に絡み合った形をしています。1個の細胞に約2メートルのDNAが入っていて、人体の約60兆個の細胞のDNAを繋げると、120兆メートル、即ち1000で割って、1200億キロメートルとなります。」

小惑星探査機・"はやぶさ"が7年の歳月をかけて旅した小惑星"イトカワ"は、地球から3億キロ離れていると云う。

1200億キロは、もう無限に近い、気の遠くなる遠くの世界。

それが、人体のDNAの長さだった。 そんな宇宙の気づきに、衝撃を受ける。 宇宙に生まれて来たことを想う。

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August 19, 2013

清らかな、小さなコンサート、三鷹にて、

昨日、日本理化学工業(知的障害者の方々がチョークを製造で有名な会社)さんのキットパス(窓とかガラスに絵を描いて消すのも簡単な製品)の歌を中心にしたコンサートが、三鷹GMカフェ(Grand Mother、ガンジー・マザーテレサ カフェ)で行われ、親子連れ、理化学工業の従業員の方々などと一緒に、私も参加してみた。

私も、久しぶりに、子供時代に描いていた蟹やタコ入道の絵など、ゼロ戦の絵なども描いてみて笑った。私が持参した動物のデッサンの小さな本をみて、周りの理化学工業の人も、象やパンダの絵を上手に描いておられて、一緒に楽しめた。このキットパスに音楽を与えてくれたのが、福山竜一さん(旅するジンガーソングライター)だった。

"まっ黒なお弁当"の絵本に感銘を受け、「あじさいの歌」のCDもリリースされている。広島の爆心地のそばで被爆したちっちゃな男の子、お母さんが、まっ黒なお弁当のそばにあった灰を家に持ち帰って庭にまいたところに、白いあじさいが咲いた。

昭和21年12月31日、焼け野が原のバラックで、クラシック音楽の喫茶店、"ムシカ"が流した"第九・喜びの歌"の話も聴いた。福山竜一さんは、その紙芝居までしてくれた。

一緒に演奏してくださった、フルート奏者の長崎宏美さん、彼女のアベマリア、シチリアーノなどクラッシックの清らかな調べの美にも、感動した。

キットパスで描かれた童心に返った絵を眺めながら、清らかな、小さな、コンサート。私は、この場に縁があったことを、神の導きのようにも想った。昨日、三鷹は、ちっちゃな子供たちも、祭りで、可愛らしい阿波踊りを踊っていた。

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August 18, 2013

禅も念仏も行く着く境地、親鸞上人と道元禅師の会話を想う、

昨日、親鸞上人と道元禅師の到達した境地の同一性に就いて住職から話を聴いた。

禅は、全てを排除して行く訓練、全てを委ねて行く訓練。念仏も行く着くところは同じ。

阿弥陀と共に、無間地獄へも行く喜び。

入り口は自力、出口は委ね行く他力。

自分の未熟さがあっても、完璧に包み込まれていることを知る。

無常は無我、無我は涅槃。涅槃は愛、無我は愛、ならは無常も愛。

その愛とは、"自分のために貴方を愛する"と云う"巷の愛"とは全く違う概念。

愛は取引きではない。思い通りにならなくても、愛することができるかでわかる。愛は与えるだけで、取り上げるものは何もない。そんな愛に包まれていることに気づく時、、、、、無常が恐くも、寂しくもない境地に至る。

親鸞上人(1173年~1262年)と道元禅師(1200年~1253年)が実際に、箱根で会話をし、お互いの同じ境地を確かめ合ったと云う。その場面を想像するだけで、その場面は、"坂の上の雲"となって、私を導く。


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August 17, 2013

街の灯り、街の音、

昨日、寝る前に、家のヴェランダから横浜の街の灯りを見た。"街の灯り、ちらちら♪"、堺正章の歌にもある。

小さな灯りの、一つ一つの灯りの下に、終わったばかりの一日がある。一家団欒の家族にも、一人で暮らす人にも。これから眠りに就く安らぎの灯りだった。

今朝、夜明け前の薄暗い街を、また同じように眺めた。 朝には、"街の音"がある。虫の声、小鳥の声、微かな電車の音、明けて行く街。新聞配達の人のバイクの音も、その頃にはもう、蝉も鳴き始める。

一日は、やっぱり、1ページと呼ぶにふさわしい。

街の灯り、街の音。

私は、その1ページ、1ページを生きていることを想う。

人生の縁と、健康に感謝しながら、今日も、その1ページが始まる。

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August 16, 2013

6才の時の友達のお墓参り、私の娘の話、

1990年、娘が入学したアブダビ日本人小学校1年生の同級生で、娘と仲好しだった女の子が、湾岸戦争で日本に避難帰国中に、交通事故で亡くなった。 大変悲しい想い出だった。

現在、関西で働いている娘が、今、お盆休みで横浜に帰って来てる間に、その女の子のお墓参りに行くと云う。

その女の子のお墓には、大好きだったケロッピー(蛙)のキャラクターが彫ってあると聴いた。

活発で、とても可愛い、小学 1 年生の女の子だった。 授業参観日の様子なども想い出す。

ご両親が、同級生の仲良しの女の子の父親である私と会うと、想い出されて辛いだろうと想って、私は、帰国後は、お会いすることは無かった。

私は、娘が、お墓参りをすることを知って驚いた。 当時、6才だった二人のことを想った。

鎌倉にお墓があるのだと云う。 これから、私も、鎌倉を見る気持ちが、少し変わると想う。

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August 15, 2013

蝉たちとの交流、

昨日、会社帰りの暗い夜道に、ミンミン蝉が、数匹、道路に落ちて、バタバタと音を立てていた。蝉は、よく道路に仰向けになって、死んでいる姿を見掛ける。

私は、まだ道路でバタバタと動いている蝉は拾いあげて、木に留まらせたり、茂みに置いてやったりする。

今年も、私は蝉取りはしていないのに、九州にも行ったから、クマ蝉も、ニーニー蝉も、アブラ蝉も、ミンミン蝉も、色々な種類の蝉を触ることができた。

それは子供時代の感触を触る機会。

私が毎年、手の平に乗せて触る蝉たちは、その蝉の何十代も前の祖先と知り合いの私に、また来年も、同じ声で鳴いていますから、私の子孫と遭ったら、よろしくお伝えくださいと云っているようにも感じる。

そうして、私の手の平の上の蝉たちは、挨拶をして、夏の終わりを告げて往く。私は生き残り、壮大な自然の営みを眺めている。

人間は、蝉にとって、蝉を追いかけ回す恐竜でもあったり、お釈迦さまになってみたり。


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August 14, 2013

大学病院にファーストフード店に驚き、

数日前に気功の時、体育館で、体育館の窓を開ける時、過って約1メートルの窓の縁から落ちると云う体験をしたが、どこも痛くもないが、念のために、CTスキャンを撮ることにした。

昨日、会社のそばの大学病院で、頭のCTスキャンを撮って、おかげ様で、異常なしと確認出来た。意外と怪我の無い自分と、石頭に関心した。(確かに、頭が固いかと苦笑い)

それより、何よりも私が驚いたのは、病院内にファーストフード店があったこと、コーヒー類とクッキー、ケーキなど。 巷では、ファーストフードもやむなしだが、患者とファーストフードを接近させるとは、食育指導士としての私は、唖然とした。

病気を治す筈の病院に、このアンバランスぶりに全く愕然とした。

砂糖と動物性脂肪の過剰摂取は、長年、生活習慣病の原因として云われて来ているのに・・・・・。

最高の叡智が集まって、原子力発電の安全を管理して来た専門家達が、災害時の非常電源を1カ所に置いていた愚かさを想いだす。 素人でも驚く様な、杜撰なことが、専門家の世界にも数多くあると想う。

これも人間特有の滑稽さかと呆れてしまうが、同時に、それでも、人間を愛おしく想う。

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August 13, 2013

色々な世代の光景、

以前、アラビア語クラスで同じクラスだった若い女性が、一昨日、無事赤ちゃんが生まれたことを、昨日報告のメールをくれた。

臍帯が赤ちゃんの首に、巻き付いていて大変だったそうだが、無事生まれて感動したことが書かれていた。

「私を生んでくれた母と、私を母にしてくれた赤ちゃんに感謝です」と書いてあった。

何だか、その言葉に、母になった瞬間の感動が伝わって来て、ジーンとした。

私の属する、ヒッポクラブでは、今月末に、中学生の女の子が夏休みのアメリカ・ホームステイから帰って来て、報告会をしてくれる。 私の娘の中学時代とそっくりの女の子。

また、満洲の会では、私は、80才以上の人達との会話も愉しい。まるで父や父の親しい友達と話している様に想う。

色々な世代の人達との関わりが、私の人生を、不思議な感覚にさせてくれる。

いつでも、幼児時代、子供時代、働き盛り時代、熟年時代、老後時代の、私の人生の映像が自由自在に浮かんで来る様な気がする。

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August 12, 2013

身体と虚空世界、バランスの美、

昨日の朝、住職が指導する気功の時、「身体と虚空世界も、陽と陰のように、きちんとバランスが取れている」と云う話をされた。

身体が衰えて来ると、虚空世界の力が増す。

私は、身体を波、虚空世界を大海と、内心で訳しながら、宇宙の壮大な力をイメージした。気功のゆったりとした動きの中に、その大宇宙のバランスを感じ取る。

若さは波(エゴ・煩悩)の華、年をとって行くことは、その波が、また大海(無我)へ薄れて行く様(さま)。そしてまた大海から、波が誕生して行く、その繰り返しの永遠の事象、宇宙の事象。その動きを全体として見れば、安らいでいる。 波(身体)であることだけを見れば、その安らぎを味わうことはできない。

昨日、気功会場が暑いので、体育館の2メートルくらい上の窓も開けるために、私は、窓の縁に飛び乗り、降りる時に、何と転倒して少し頭も打ったが、その直後、住職に、「もう、全てわかりました。解脱したかも知れません。」と、ジョークを云ったら、住職も大笑い。


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August 11, 2013

歎異抄、親鸞上人からのメッセージ届く、

"南無阿弥陀仏"と云う浄土真宗のお経の響きは、昔から実家の祖父達が唱えていたので、慣れ親しんだ言葉だった。子供の頃、その言葉をからかったり、何の意味も、知らずに、知ろうともせずに生きて来た。

昨日住職に、南無(帰依する、お預けする)、阿弥陀(永遠と無限:時間と空間の超越)、仏(如来、真理)と解説して頂いた。意味は、"真理に委ねる"こと。一人格のことなど一切ない、宇宙一杯を表現する、まさに一元世界を唱えていたことがわかった。

親鸞の教えが異なって伝えられることを嘆いた書、"歎異抄"に親鸞の悟りの真髄が見事に表現されていると云う。

念仏は、行(修行)でもなく、善でもありません。(それは平常心の証)→ まさに禅と同じ。
念仏は、徹底した大いなる慈悲の心の実践。(自力門の限界に、圧倒的な力で、対抗する)

悪人こそ成仏出きると云う教えは、(悪の薦めではない)。悪人は、懺悔を通じて、エゴ性の放棄がし易いことを説いている言葉。 善人には、懺悔の心が起き難い。(懺悔なくしてエゴ性の放棄はない)。

親鸞は亡き父母の供養のために念仏したことは一度もないと歎異抄に書かれていると云う。これは、まさにエゴ性の放棄を説いている言葉であると、住職に解説して貰って、わかった。親鸞は、宇宙一杯を相手にして安らぎを見出したのだと思った。

念仏を唱えても、躍り上がるような喜びが湧いて来ないのは、親鸞も同じで、それは煩悩の故であると云う。煩悩があるから、早く往生したいと云う気が起こらない。それは阿弥陀仏の慈悲の心である。この世の縁が尽きた時、浄土に往生させて頂く。少しでも早く浄土に往生したいと思うのでしたら、煩悩がないのだろうかと疑わしく想う。(煩悩は即ち生きること)。

子供の頃聞いていた、田舎のお爺ちゃんが唱えていた「南無阿弥陀仏」の響きが、今、夏の蝉の声のように聞こえて来て、私を祝福し、私を導いていくれるように想う。

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August 10, 2013

"ありがとう"と云う行き先、そして未来の人の先祖になる、

大法輪9月号は、"死んだらどうなる"と云う特集が組まれていて、医師が考える死後の世界、仏教・キリスト教・イスラム教が説く死後の世界が、紹介してあった。

90歳前後の戦争を体験された方々が、この数年、亡くなる前に合掌されていた姿の写真も何枚か掲載されていて、人の合掌する姿の美しさに、感動した。

薬師寺住職の言葉に、「自分の命のある間だけに光を当てるのではなく、自分が先祖・先人と呼ばれる人として、未来の礎になる。」とあった。 "私は、先祖として未来の人の礎になる"と云う考えに、人間の持つ自己犠牲の喜びの存在を確信した。

奈良の大仏を建立された聖武天皇は、「中今」(なかいま)と云う言葉を遺されたと云う。それは、過去と未来の間の意味であったと紹介してあった。 "中今・なかいま"を生きると云う響きは好い。

読み進むと、東京の香林院住職の言葉に、「"ありがとう"と云う行き先」と云う文章も紹介されていた。

私も想う。どんなに試行錯誤しても、遠周りをしても、私の行き先は、"ありがとう"。


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August 09, 2013

ラマダン明けの日に、イスラムの生死観に触れる、

昨日は、一ヶ月続いたラマダン(断食)が明けの朝だった。アラブの親しい友人達に、"Eid Mubarak" と、お祝いの挨拶のメッセージを発信した。

たまたま、昨日発売の月刊誌・"大法輪"の9月号に、イスラムの生死観が載っていた。「朝一番にイスラムの人が口にするのは、生を戻して貰ったことへの感謝の言葉である」。イスラムの人にとって、毎日の就寝は、小さな死"小死"なのだ。

朝一番、生き返ったことへの感謝の祈りで始まる。

そうだな、毎日、もう死んでしまったようなものだと想う。 朝日が、私をよみがえらせる。

早朝、小鳥が私を祝福する。私も、小鳥を祝福する。

そして一日が始まる。今日も、神との対話が始まる。

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August 08, 2013

なぞなぞの問題のメルヘン、

ちっちゃい女の子から20代の私への手紙の中に、なぞなぞ問題が幾つも書いてあった。その手紙を、今読みかえして、なぞなぞを楽しむ。

(1)みかんの真ん中にある物は何でしょう? → 「か」、

(2)三つ一度にメガネをかけた人は? → 「サングラス」、

(3)熱いようで、冷たい花火は? → 「シャワー」、または「水に映った花火」、(私は「雪の結晶」と答えてXだった)

(4)ペンはペンでも書けないペンは?→ 「ワッペン」、

などの、可愛らしい問題であった。

1問25点、全点150点、私は75点と採点されていた。

お互いにすっかり忘れていた、何十年も前のこと。何故か、元気が出て来る。

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August 07, 2013

4ヶ月の赤ちゃんを抱く安らぎ、ヒッポクラブ、

昨日、会社帰りに横浜のヒッポクラブ(語学クラブ)の例会に参加した時のこと、3歳の男の子と、4ヶ月の男の赤ちゃんを連れた若いお母さんも、会に参加していた。 

何と、赤ちゃんを抱いてみて下さいと気軽に云われて、恐る恐る、何十年振りかで、赤ちゃんを抱いた。産まれた時は3400グラム、今は7キロとのこと。 私は、何だか、赤ちゃんの感触が嬉しく、暫く抱いて、ゆっくりと揺らして、あやしていた。

会社帰りのワイシャツ姿で赤ちゃんを抱くと云う、珍しい体験。記念に写真も撮って貰った。 一人娘が結婚して、赤ちゃんを産む日が来れば、こんな感触かと、ちょっと、脳裏に臨場感。

会場を走り回る3歳の男の子。 ちょっとお兄ちゃんの小学3年生の男の子は、魚釣りの話。

ヒッポクラブは、ちっちゃい子供達と輪になって、英語や外国語で歌って、踊って、時に、とても面白い。

今月末は、米国に夏休みホームステイの中学生の女の子が帰国して、報告会をしてくれる。たぶん、アメリカの体験を、目を真ん丸くして、話をしてくれると想う。

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August 06, 2013

幼児の女の子からの手紙の宝もの、長岡の花火によせて、

今回の週末の長岡の花火、新潟の旅で、沢山の懐かしい人達との再会があった。

新潟大学ESS・OBの友人、当時英語漬けであった者どうし、今は、意外に、禅や神について語り合った。

NHK・ESS時代の友 人は、私が昔からギャグばっかり云っていたと云う。当時、私が時々、合懇を企画していたこと、その合懇で結婚までした人もいたことなど、面白く想い出した。

そして、病気療養中のNHK・ESSの先輩ご夫婦を見舞って、昔のように、冗談を云って笑った。ご夫婦は、当時、私が、大学卒業後、誰も知り合いも居ない新潟に赴任、独身寮で寂しく暮らし始めた頃、家族ぐるみで私とつき合って下さった。一人過ごす大晦日に、一緒に夕食や、近所の神社への初詣の想い出。

その先輩の、当時幼児だった息子さんや娘さんが、今回、入院先や家を案内してくれた。その、当時幼児だった娘さんから、私が横浜へ転勤した後、何通も、なぞなぞや、あぶり出しの字の入った、ひらがなの手紙を貰った。その手紙は、今では私の人生の宝のようなもの。読みかえす度にほのぼのとして来る。今は、女の子のお子さんが二人いらっしゃる。

そして、1975年頃、私が石油会社の新入社員時代、人事・労務をやっていた私が、新潟で採用した後輩達3人と、新潟駅前の居酒屋で、夜8時半の新幹線の時間まで飲んだ。当時、私は、寮長として、18歳の高校卒業したばかりの後輩達の朝のマラソン、夜、消灯係りなどしていた。彼らの先輩・教育係りだった。再会、懇親会は、盛り上がり、新幹線の時間を忘れそうになるくらいに。

長岡の花火の頃、私の人生の花火も、フェニックスのように新潟の空に舞った。

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August 05, 2013

長岡から飛び立つフェニックス、人生の花火、

昭和20年8月1日の長岡の大空襲の被災者の慰霊に、長岡の夜空に白菊が咲く。

当時の夜空を埋め尽くした、爆撃機と焼夷弾が、今では、不死鳥として、夜空の花になって飛び立つ。

これが長岡の意地、長岡の安らぎ。

週末の長岡・新潟への短い旅だったが、多くの出会い、気づき、友人との再会に、人生に大輪の花火が舞った。

人生の喜びも悲しみも花火。人の出会いも花火。

今回、初めて、良寛和尚の国上寺、直江兼続の雲洞庵も、訪ねる機会もあった。

足を伸ばして、羽越本線の小さな旅も、心に残る。車窓から見る、越後平野の水田は耀き、田んぼを吹き渡る風の匂いの安らぎ。

ほんの週末の短い旅だったのに、何十年振りかで、横浜に帰って来た想いの朝。出会った人達の笑顔も花火、再会した友人達の笑顔も花火。人生の花火を想う。

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August 04, 2013

東京で、会社帰りの露天風呂の怪、

最近、私は、東京から横浜への会社帰りに、川崎・矢向で趣きのある露天風呂に入れることを知った。

それは、川崎から南武線の矢向で下車、住宅地の中に、ポツンと現れる温泉。

大きな味噌樽(直径2メートル)の浴槽もある。素朴な木造の建物、歩くとメキメキと音がする廊下、廊下にはホタルの飼育箱もある。 木造の大浴槽は、諏訪の祭りの御柱が持ち込まれて、威風がある。

露天風呂は、草木もあり、岩がごつごつとして、笠のついた素朴な電球の照明も心地好く抑えられ、山中の隠れ家にでもいるような気持になれる。

そんな、温泉・露天風呂に、会社帰りに寄れるとは、今でも、キツネにつままれたように不思議に想う。

(2013年8月2日の記)

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August 03, 2013

シッカロール、蚊帳、そんな子供時代の夏

私は、毎朝、シャワーを浴びる時、夏は、シッカロール(天花粉)をつける瞬間が好きだ。 すぐ、子供時代の風呂上がりの情景を想い出すからだ。

娘も、幼児の頃は、風呂上がり、バンザイして、シッカロールをつけて貰っていた。

私は、夏の日の朝のシャワーの後、シカロールの清涼感、清々しさに浸る。

そして、連想するのが、緑色の蚊帳。蚊帳を張る時の楽しさ、蚊帳への出入りのコツ、蚊帳に入って来る風の涼しさ。

そう云えば、路地に水玉のついた朝顔も、公園のラジオ体操も。

宮崎駿のアニメの絵のように、夏の情景が浮かぶ。

(2013年8月2日の記)


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August 02, 2013

私も光景、

昨日8月1日は、昭和20年、長岡空襲の日であった。 その犠牲者の鎮魂の花火が、毎年8月2日と3日、長岡の空の花となる。新潟在住の、高校の先輩の紹介の縁で、今年も、長岡の花火を見に行けることとなった。

そして、この週末、新潟の友人達にも、久しぶりに会えることとなった。

先週、九州・大牟田に法事で帰省した時、鹿児島で久しぶりに会った、前の会社時代の友人(現在OB)が、その後メールをくれた。私と久しぶりに会って、会社時代を想い出して、感無量だったと書いてあった。

最近は、年賀状だけのつき合いの友人も多いが、たまに会える機会があれば、貴重だと想う。私と久しぶりに会って感無量だったとの言葉に、私が、その友人の会社時代の想い出の厳然たる一部であったことがわかる。私も、当時の会社時代の想い出が蘇り、感無量であった。

人は、お互いを、人生の光景の一部として見ていることを想う。

私は、普段私が見ている世界に馴染んでいるが、私が、光景として、周りに映っている世界もある。

私も、自然界の、ある光景であることに安らぐ。

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August 01, 2013

鹿児島本線、長洲駅の光景、

先日、東京から九州へ帰省した時、空路・鹿児島へ入り、鹿児島中央駅から新幹線で熊本駅へ出て、熊本駅から在来線(鹿児島本線)の普通電車(2輌編成)で大牟田駅へ向った。

地元の高校生などを乗せた2輌編成の電車が、田原坂駅など、田舎の山野の光景を走る。

大牟田に近付いたところに、金魚で有名な長洲駅がある。駅前でさえも、建物も少なく、静かで、賑やかさと無縁の田舎の小さな駅。電車は、そこに、数分間、時間調整で停まった。

何か人生の戦(いくさ)の跡のような静けさを感じた。蝉は、ワシワシワシと激しく鳴いているのに。

東京は戦(いくさ)の光景、田舎の小さな寂れた駅は、妙に落ちついて心が鎮まり、私は、美術館で見る絵画のように、その光景を鑑賞した。

人生の中で、天下分目の関が原も体験して来たのだろうと想う。その戦(いくさ)の跡の静けさのような、安らぎの光景に、見ている私の目が変わって来たことに気づいた。

実は、こんなに、素晴らしい絵画の中に生きていたことに、ハッと気づいたような気がした。

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